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第36話 置き手紙
雪が弱まり、気温が高くなっていく。
安全圏の夏エリア。
打って変わってあたたかな空気に、フリーは顔をあげた。
「この雪山の一部に夏が居座っている感じ、懐かしいね」
「おっ、フリーさん。起きたっすか」
ここまで運んでもらった礼を言い、ホクトの背中から下りる。あったかいので笠と半纏はすぐに脱いだ。
「ホクトさん。疲れていませんか? 重かったでしょ?」
「このくらい平気っす」
「そうですか。あの、ニケとミナミさん。なにかありました?」
白目剥いているミナミを引きずるニケを指差す。
「気にしなくていいっすよ……」
もう説明するのも馬鹿らしいといった声音で、被っていた笠を外して雪を払う。
首に巻いていたやわらかな長布も巻きなおし、ミナミの首根っこを掴んで立たせる。
「こら! しっかりしろ」
「身体削れた。ダイエットに成功したかもしれん……」
目を回しながらよく分からんことを言うミナミに呆れつつ、ニケに続いて宿の方へと歩いていく。
久しぶりに見る畑は荒れ果てており、雑草の侵略速度と生命力に驚かされる。
フリーは悲しい面持ちでニケの横に並ぶ。
「畑……草ボーボーだね。作物駄目になっちゃったかな?」
「いや? そうでもないぞ。空芋(そらいも)は普通に無事だった」
「え? そうなの?」
驚くフリーに頷いてみせる。
風流風船(ふうせん)の好物。空芋を取りに一度宿へ戻った際に、少し土を掘り返して確認した。風流風船にあげたのは、食糧庫に保管されていた空芋。畑の空芋ともども平然としていたのには驚いたが嬉しかった。
「だが、湯煙花(ゆけむり)の方は、駄目だな……」
ちらりと赤い目をもう半分の畑へ向ける。湯煙花はすっかりしおれ、謎の草が畑を呑み込むように生い茂っていた。これはちまちま雑草を抜くより、まとめて焼き払った方が早いかもしれない。
「そっか……」
フリーも世話を頑張っていたため、少なからずショックだった。
「ん?」
辛くてなるべく直視しないようにしていた宿の残骸に、何か白いものが落ちているのを目の端に捉える。
駆け寄ると、それは手紙だった。飛んでいかないように上に石が乗せてある。拾い上げると「宿の修復の件で相談がある。今度くすりばこへ行く。レナ」と美しい字で書かれていた。
フリーが手元を覗き込んでくる。
「なになに? レナさんからの、手紙?」
「そう……らしい。前回来た時はなかったから、ここ数日のものか」
見れば、その他にも手紙はたくさんあった。雨に濡れない屋根になっている下にまとめてあり、中には子どものおもちゃが置かれている紙片もある。
すべて拾い上げ、ざっと目を通す。
『ニケちゃん。なにがあったの? 無事なの? あの従業員の人は? 連絡ください』
『私たち、いつでも力になるから。また元気な顔を見せて』
『ご飯食べてるの? 家がなくて困っているなら、私の家に来なさい』
『ニケちゃん。おうまさん。またあそぼうね』
子どもが書いたような丸っこい文字もある。
「これって……」
衣兎(ころもうさぎ)族の村人のものだ。この紙全て。ニケの安否を気遣うものばかり。壊れた宿。居ないニケ。荒らされた畑を見て、彼らは何を思っただろう。
「だから……」
力が入り、手紙がくしゃっとなってしまう。
なんで優しいの? ぞっとするような習わしを大事にしているくせに。わからない。わからない。
スミから聞いたのか、ニケが死んだとは思っていないようだ。
思えば、彼女たちはいつでもニケに優しかった。冷たい目を向けてくるのはいつだって年寄り連中ばかり。だが手紙の中には、そんな年寄りたちの名前もあった。信じられないくらい達筆で、
『私の孫に心配をかけさせないで』
『墓掃除だけはしておいてやるから、早く帰ってきなさい』
『婆さまが風呂に入りたがっているぞ』
勝手な内容が多かったが、ニケのために筆を執ったのは事実だ。
感情がぐちゃまぜになり放心していると、ぽんと頭に手のひらが乗せられる。
「心配かけちゃったね。達筆すぎて所々読めないけど、俺のことも書いてある。不謹慎だけど、嬉しい。……馬じゃないって言ってんだろ」
あったかいフリーの言葉に、じわりと視界が滲む。胸が痛い。自分はこんなに泣き虫だっただろうか。ホクトとミナミは何も言わず、見守ってくれた。
ごしごしと袖で目元を拭って、やや乱暴に手紙を纏めて折りたたむと、懐へ仕舞う。
「あ、俺の懐に仕舞うんですね」
「なんか文句あんのか?」
鼻をすすりながら睨んでくるニケに、フリーはふふっと笑う。
「ふんっ。宿の修繕はレナさんに任せるとして、その資金は僕たちが集めないといけない。これからもっと働かないといけなくなるぞ」
「任せて。涼しくなれば今以上に働けるだろうし。借金なんてあっという間さ」
腕を曲げて力こぶを作って見せるフリーに、ニケは冷笑した。
「はっ。モヤシが」
「ごふっ……」
地面に倒れたフリーの背中に尻を乗せ、ふうとため息をつく。
「疲れたっすか?」
「休んでる間、俺らは畑の草抜きでもしてましょうか?」
畑を指差すミナミに首を振る。
「いえ。ちょっと椅子があったから座っただけです。ていうかミナミさん……お兄ちゃん。草抜きする元気はあるんですね?」
ホクトはミナミの頬にどすっと指を差す。
「こいつ。回復が速いんすよ」
「いてぇぞ、こら」
「さ、出発しましょう」
喧嘩が始まる前にぴょんと椅子から下りると、墓参り道具一式を持って花壇の裏へ回る。再び森に入り夏エリアと凍光山の境目ぎりぎり、うっすら雪の積もる拓けた場所。
ぽつんと、お墓が建てられていた。
石が重ねられただけの簡素なものだが、石は磨かれ、花が添えられ、周囲には雑草一本もない。本当に墓掃除をしてくれていたようだ。
墓石に近づき、そっと膝をつく。
「ただいま帰りました。お爺様。父さん。母さん」
拳を作り、胸の前で腕を交差させる。赤犬族特有の冥福の祈り。フリーもニケを真似て、ニケの半歩後ろで膝をつく。
墓石にはアビゲイル。ニドルレッド。ルビー。ニケの家族の名前だろう。三名の名前が刻まれている。
「……」
名前じゃなかったらどうしよう、という不安が湧き出たので、黒い三角の耳に唇を近づける。
「ねえ、ニケ」
「ぴゃっ」
驚かしてしまったようだ。耳を押さえ、ニケは目をぱちくりさせて振り返る。
「なんだお前さん」
「この石に刻まれているのって、名前なのかなって思っぶええ、ごめんふぁふぁい」
怒った(それほど怒っていない)ニケにびよーんと頬を伸ばされる。
手を放すと、呆れたようにニケは前髪をかき上げた。名前をひとつずつ指差していく。
「アビゲイルが祖父の名で、ニドルレッドが父。ルビーが母だ」
「な……ぶほ!」
ナターリアさんのはないんですね、と言いかけた自分の顔を咄嗟にビンタして黙らせる。
「いって~」
「な、なにやってんだ。お前さん……」
突然の奇行に全員の視線が集まる。フリーは誤魔化すように笑う。
「ちょ、ちょっと、蚊がいたんで。えへへ」
「雪山に?」
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