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第35話 登山
道とも呼べないような険しい山道を苦労しながら歩いていた。
といっても苦労しているのはフリーだけで、ホクトとミナミはそんな凡人を引っ張るのに忙しい。なんせニケに合わせてひょいひょい進んでいると、フリーはあっという間に置いて行かれる。それを見かねた護衛ズが頑張ってくれているのだ。
なだらかだったのは比較的最初の方だけ。おまけに体力もけた違いに無いフリーはすでに息が上がっていた。
「ひぃ、ひぃ。あの、ミナミさんはともかく、ホクトさんも、ひぃ、寒くないんですね?」
「あっしはまだ暑いくらいっす」
荷物(フリー)の手を引いて余計に体力を使うので、汗を浮かべている。背中を押しているミナミも同じだ。
すでに小雪がちらつき始めているが、誰一人身を震わせてはいない。
ニケは時折足を止めて、背後を振り返る。
「お前さん。雪が降ってきたぞ。笠を被ったらどうだ?」
「ま、まだ。大丈夫……ひぃひぃ」
「笠を、被ったら、どうだ?」
「はい。被らせてもらいます」
ニケの姉の物。耳用の穴が開いた笠を頭に乗せ、顎の下で紐をきつめに結ぶ。頭があったかくなった気がした。……耳穴から風が吹き込んでくるので、やはり気のせいだった。
詰め込んでいた荷物が減り、繊細な字でくすりばこと書かれた鞄が軽くなる。
(こんな険しい道を、意識のない俺とレナさん抱えて下ったのか。ニケすごいな……)
大きめの岩だらけの道や、張り出した太い木の根が階段のように重なり合っている。
素直に感心しているが、あの時のニケは火事場の馬鹿力を発動していただけで、今同じ事をしろと言われても出来ないだろう。持ち上げるだけなら可能だろうが、あの時と同じ速度では走れない。なるべく平らな地面を選んで先導してくれた青年もいないのだ、高確率で転倒する。
えっちらおっちらと登ること数十分。蔓が幾重にも巻きついた大樹に、『この先、崖と寒さ注意。現在標高百メートル』と書かれた木の板が吊り下げられていた。
フリーがかすれた声を出す。
「ま、まだ……百メートル、しか、登っゲホゲホ! ……ひぃ」
「お前さんが亀の歩み過ぎるんだよ」
膝に手をついて咳き込むフリーの太ももを、ニケが憐れんだ目で叩く。
水分補給をしながら、護衛たちは周囲を警戒する。
「ここの魔物たちは二百メートルから下にはこないって話ですけど、絶対ではないんですよね?」
「ええ。二百メートル下だからって油断していた人が、魔獣に襲われた話を聞いたことがありますし。僕もこの辺で見かけたことがあります」
かなり遠くだったとはいえ、木々の隙間から魔獣の姿が見えた時は背筋が冷えたものだ。
生きた心地がしない顔で、ミナミはうろうろと落ち着きがない。そんな彼の足元に移動し、ニケは安心させるようにぐっと拳を作る。
「大丈夫ですよ。ミナミお兄ちゃん。いざとなれば僕が守りますから」
「それ、こっちの台詞ですぅ……」
お兄ちゃん呼びにも抵抗が薄れてきたらしい。嬉しそうにミナミはそんな幼子の頭を撫でる。
が、ニケは違和感を覚えて、耳をぴくぴくと動かす。
(ん? ミナミさんやけに切り替えが早いな……。もしかして怖がっているふりをしているだけか?)
じとっと訝しんで見上げるも、ミナミの手を払いのけはしなかった。
そんな同僚に肩を竦めるが、ホクトは意識を耳に集中させているため一言も発さない。
キミカゲが気軽に持たせてくれた携帯食――そば粉と空芋と赤音人参を粉末にして丸めたもの――を口に含み、水で流し込む。
「ふう……。ちょっと落ち着いてきた」
「そうか。じゃあ出発するが、辛くなったらすぐに言うんだぞ? 返事は?」
「はい!」
敬礼をするフリーに頷いて移動を開始する。素っ気ない態度だったがぎゅっと旗の棒を握り、その口元はにやけるのを懸命に堪えていた。
(何だこの口はあああっ。フリーが笑顔を向けてくれただけで、なにをこんなに喜んでいるんだ僕は)
むぎぎと頬を両手で引き伸ばす。にやけるな自分。鎮まれ!
赤くなった頬を摩り、ちらっと首だけで振り返る。以前は神速で顔をそらしていたフリーだが、ニケと目が合うとはしゃいだ様子で両手を振った。
(むぐぐぐぐ……)
またしても口元が緩む。これは見られたくない。
「あっ、ニケさん?」
何故か足が速くなったニケを、三人は急いで追いかけた。
『この先、吹雪と寒さと魔物に注意。現在標高二百メートル付近』と書かれた看板が、木の枝に吊るされ風で揺れている。地面に刺さないのは、雪で埋もれてしまうからだろう。周囲はすっかり雪に覆われ、雲からは灰雪がしきりに降り注ぐ。
暗い。山の中がとにかく暗い。
口から白い息を吐き、ホクトは前を歩く幼子に目を向ける。
笠と雪下駄を履いているだけで、特に厚着などはしていない。雪などないような足運びで、段差もぴょんぴょんと超えていく。
――かなり雪に慣れているっすねぇ。
背後を見れば、腕まくりをしたミナミがくたびれた様子でうなだれている。だいぶ距離が開いていた。
ホクトは声をあげる。
「おい。ミナミ。倒れても放置して行くからな。しゃんと歩け!」
なんせ屍になったフリーを背負っているのだ。これ以上は持てないぞ。
気づいたニケが足を止める。
「歩くの速いですかね?」
「すんませんっす。ニケさん。余裕があるなら貝野郎の手を引いてやってほしいっす」
「構いませんよ」
ニケはミナミが追い付いてくるのを待ってから、彼の手を握る。彼の手は全く冷たくなかった。どうやらミナミにとって、このくらいの気温は寒くないらしい。
「もう少しです。ミナミちゃん」
間違えた。
「ミナミお兄ちゃん」
「は、は~い……」
力強いニケに手を引かれ、半ば引きずられるように歩く。
「疲れましたか? でも大丈夫ですよ。宿に荷物運搬用のソリがあったはずなので、帰りはそれで運んであげます」
「おっ。いいですねぇ。雪国に住む白雪犬(しろいぬ)族がよくそんなバイトやってますよね」
雪国など行ったことのないニケはもちろんそんなバイトは初耳だったが、白雪犬族(彼ら)が出来るなら自分もできるはずだと考えた。
(単純にフリーを乗せて走ってやれば喜ぶかもしれんな……)
ほわわんと楽し気な妄想をし、高速で首を振った。
(なんで僕がっ。あの阿呆を運んでやらねばならんのだ。僕が乗って、フリーがソリを引くべきだろう。まったくう!)
急に首を振ったニケに、いろいろ察したミナミがにやぁと笑みを浮かべる。
「どうしたんです? フリーさんをソリで引っ張る想像したけどなんか違うなと感じて、自分がソリに乗って走ってもらう想像でもしましたか?」
「!」
心を読まれたかと思う発言に、ニケはフリーの身長あたりまで飛び上がった。
目を見開いた状態で、ミナミの顔を勢いよく見上げる。
「……」
見つめ合い、三秒くらい笑いを堪えていたミナミだが、やがて決壊した。
「ぶふっ! あっはっはっはっは! ニケさん! 分かりやすすぎですよ。はっはっは。ひー……腹いてぇ」
涙まで浮かべるミナミに、ニケはぷるぷると身体を怒りで震わせる。以前もこのようにからかわれたことを思い出し、今回は羞恥より怒りが勝った。
ミナミの手を改めてぎゅっと握ると、いきなりダッシュした。
「おわっ!」
くたくたでニケの走りについてこれないミナミはきれいに顔から転び、そのまま馬に繋がれた罪人のように引きずられる。
「おあああああストップ! ニケさあああああっストッ、ああああ」
ずるーっと雪の上に轍を刻む同僚に、ホクトは盛大にため息をつくのだった。
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