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第41話 殺せない

「……」  ニケはぶすっとした面持ちで、それを見下ろしている。  ヒスイの死体――ではない。顔は真っ赤に晴れ上がり歯がほとんど砕けているが、生きてはいる。辛うじて。 「ニケ……。その、ごめん。やっぱり、殺せない……」  どうしようもなく肩を落とし、謝罪を述べているのはフリーだ。  彼はヒスイを殺せなかった。殺人に躊躇した。命を奪うことに躊躇ってしまった。  ヒスイの顔面に当たる直前で、急停止をかけたのだ。止まりきらずにめり込んだが。それでもえげつない威力であったようなのは、ヒスイの状態を診ればわかる。  ヒスイが倒れ、フリーが気を抜くと呼雷針(こらいしん)は夢のように消えた。  万が一、動き出しては敵わないと、ヒスイは縄でぐるぐる巻きにされている。倉庫にあったソリを引く縄の予備だ。  ニケはふるふると首を横に振る。 「いや。いい。命を奪えないお前さんに、僕はほっとしている」  たとえ殺していてもフリーを嫌いになることはないが、優しい彼は外道とはいえ、ヒスイを殺せば気に病むだろう。  ていうかこのくらい、僕がやればいいのだ。戦えないのなら、手を汚すのは自分の役目だろう。  ニケは身を翻すと、墓石に向かって歩いていく。ミナミの手当てをしていたホクトが不思議そうな目を向けてくるも何も言わず、またよいせっと墓石をのける。  そしてその中から、重そうな銀色の箱を引っ張り上げた。 「?」  防空壕のようになっていたし、非常食でも入っているのだろうか。全員が見守っていると、ニケはその箱の中身をヒスイにぶちまけた。 「ぐえっ」  鼻を突く強烈なにおいに、ホクトの顔が歪む。治療で両手が塞がっていなければ鼻をつまんでいただろう。そばにいたフリーもうえっと手の甲で鼻穴を塞ぐ。 「に、ニケ? その液体ってもしかして……」 「油」  黒褐色のどろりとした液体。石油ともいう。  人差し指サイズの骨を取り出し、がじがじと齧る。フリーとホクトとミナミは、嫌な予感がした。  ぼっと骨先が引火する。  ――火葬する気だ。  これには全員が一斉に声を上げた。 「ニケ。ちょ、ちょっとままま待って?」 「木々に囲まれた場所でキャンプファイヤーするとか、やめてほしいっす!」 「死ぬ! 俺ら全員炎と煙にまかれて死ぬっ」  森の中で火災。笑えない。  唇で骨を挟み、ニケは思い出したように手をポンと打つ。 「ああ。しょうだったしょうだった(そうだったそうだった)。こやつを始末することで頭が一杯だった」  息をかけ火を消すも、貴重な油を使ってしまったのだ。燃やさないのは勿体無い。 「こやつをソリに乗せて、ふもとで燃やすか」 「そんな、スルメを炙るか、みたいなテンションで言われても……」  当分目覚めないであろうヒスイを見下ろす。しぶとく残っていた黒亡手長猿(ヒスイが召喚した魔獣)と錫杖はホクトとフリーが執拗に粉砕しておいたから、もう何もできないはずだ。魔獣よりやたらと丈夫な錫杖を壊す方が骨だった。  こいつは悪い奴だ。ニケの大切な宿を壊し、大切なヒトを傷つけた。許せるわけもない。  でも。 「あの、さ。殺すのは……やめない?」  情けない声。  フリーに険しい目が向けられる。  魔獣魔物はたくさん退治してきた。それでもヒトを殺したことはない。  その瞳から目を逸らさず、フリーは続ける。 「なんか、嫌だよ。殺すのって」 「……」 「変かな? 俺、変なこと言ってるかな?」  ニケは仕方なさそうに頭を掻く。 「ではこやつを見逃して、また僕らは危険な目に合うってか?」 「ん……」 「殺すのは僕だ。お前さんじゃない。それでも嫌か?」 「嫌だ」  泣きそうな顔で、だがフリーははっきりと言った。  そこに応急手当を受けたミナミがやってくる。包帯まみれでホクトに肩を借りてはいるが、その足取りはしっかりとしていた。 「ミナミお兄ちゃん。怪我をさせて……」  そこまで言い、ニケは首を振った。  そしてきっぱりと告げる。 「戦ってくれて。守ってくれて、ありがとうございます」 「……いやぁそんな。ただボコされてただけですよー」  照れているような狼狽えた声を出すミナミに、フリーが近寄る。 「ミナミさん、怪我は? 酷いようなら一旦下山してえっ」  つるっどすん。  ぬかるんだ地面を踏み、これまたきれいに転ぶ。前のめりに倒れたフリーに、身体強化は解けたんだなとニケは頷く。  ホクトは見ないふりをしてくれたが、「なんで転ぶんですか」とミナミには盛大に笑われた。 「あーもー。笑わせないでくださいよ。怪我に響くじゃないですか。あ、怪我は大丈夫ですよー? それよりも水晶突起触られた気持ち悪さが、取れませんわ」  貝殻柄の手ぬぐいを巻き直したが、乱暴にされた感触を思い出し、ミナミは身震いする。 「そこ、触られたら痛いんですか?」  起き上がり真っすぐな目で聞いてくるフリーに、ミナミは返答に窮した。なんだか「痛くないです」と言うと「じゃあ触っていいですか?」と言われる気がするのだ。  目を泳がせる相方に、ホクトが肩を竦める。 「ヒスイは、あっしらで預かりましょうか?」 「「へ?」」  ニケとフリーの声が重なる。 「治安維持隊の牢屋に入れておいても、仲間が助けにくる可能性があるっす。それは危険なので、ボスに預けるんすよ。ボスの元なら逃げられないし、こき使い倒してくれるっす」  あきれ顔でミナミが続ける。 「多分、死ぬより辛いでしょうねー。俺らの仲間、ボスの部下には拷問のプロもいらっしゃるし、性格終わってる先輩もいるしで、いじめ倒されちゃいますよー」  にししっと笑うミナミに、ニケとフリーは顔を見合わせる。 「それは助かりますが、いいんですか?」 「任せてくださいっす! ヒスイのことはばっちり見張ってるっすよ」 「雑用押しつけまくって、ニケさんのこと考える暇すら失くしてやりますよー」  なんかミナミの声にだけ恨みが籠っているような気がするが、護衛ズの頼もしい言葉にニケは頷いた。 「それでは……お願いします。火葬出来ないのは残念ですが」 「やる気だったんだ」  引きつったフリーの声に、当然だろうと返す。 「雪崩村に行く予定だが、怪我人もいるしヒスイも放置しておきたくない。……雪崩村に行くのは、また今度になるが。いいか?」 「あ、俺のことは気にせんでいいですよ?」  自分の足で立って見せようとしたが、ずきりと体中が痛んだ。傷口を押さえてへたり込んでしまう。 「いでででで……」 「無理するからっすよ」  歩けなさそうな相方を片手でひょいと持ち上げる。 「ニケさん。俺のことはほんっとうにお構いなくっ」  涙を浮かべつつ強気にまだそんなことを言うミナミに、ニケも半眼になる。 「ミナミお兄ちゃん。無理すると翁に叱られますよ?」 「そうですよ。雪崩村にならいつでも行けますし。今は身体の心配を」 「いやだ! 俺のせいで予定取りやめになるとか。ボスに……っていうか先輩にこれでもかっていじられるううううっ」  そこかよ。  自分の未来を憂いてさめざめ泣くミナミに、フリーはため息をつく。 「なんだ? 疲れたか?」 「あ、ううん。平気だよ」  今のため息は疲労からではなく、呆れから出たものだ。  足をよじ登ってくるニケを抱き上げ、すりすりと頬ずりする。もちもちほっぺがやわらかあああああい。  ニケはすぐさま「仕方ないなぁ」という表情を作った。それを見たミナミが唇を尖らせ、ホクトの方を向きながら指差す。 「俺もあんな風に丁寧に持ってほしいんですけどー?」  ミナミは今、小脇に抱えられている。 「お前はヒスイの死体と一緒にソリに積んで下山する予定だから。ちゃんと運んでやるから安心しろ」 「お前にはあったかい心とか無いんかっ? 年上を敬えよ! いやーっ。死体と一緒にソリに積まれるとかイヤーッ」  気まずそうにフリーは微苦笑を浮かべる。 「ヒスイさん死んでませんって」

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