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第42話 兎肉大好き

 ぎゃあぎゃあ騒ぐミナミとぐるぐる巻きにされたヒスイを引きずり、宿へと戻る。ホクト達の後ろを歩いているのをいいことに、ニケはフリーの顔にぐりぐりと頬を押し当て続けた。  襲い来るむちむちの暴力。つきたての餅すら凌駕するもっちもちが、フリーの顔に。 (ああああああ! やわらか、やわらかいいいいいっ。ううっ。甘えてくれているんだよね、これ? ニケが可愛いよおおおお! 時よ止まれ!)  フリーの心の中はうるさかったが、心の中なのでニケに「うるさい」と殴られることはなかった。  ニケはすりすりしながら安堵する。  彼に怪我がなくて本当によかった。鬼の時のように怪我をしたら……ま、まあ? いくらでも看病するけど? 怪我がないに越したことはない。  フリーは戦闘の疲労がすべて癒えた至福顔で、ふらふらと森の中を歩いた。そのせいか、 「おっと」  ぴたりと足を止めるホクトの背中に、当然のようにぶつかる。 「おふっ。すみません。ホクトさん?」  自分よりでかい男にぶつかられても、ホクトは微動だにしない。三角の耳を動かす。 「宿の近くに、誰かいるっすね」 「また衣兎(ころもうさぎ)族の人が手紙置きにきた……とかでは?」  楽観的な意見をフリーは言うが、魔研の仲間かもしれないのだ。 「あっしが様子を見てきますよ」  ミナミとヒスイを地面に置くと、ホクトは素早く駆けだす。足音一つしない。  止める間もなかった。 「俺のこと完全に荷物扱いしてますねー。あの狼」  ぼやくミナミの目線に合わせてしゃがむ。 「俺が抱っこしましょうか?」 「……」  こっちを見てくる金緑の目が怖い。冷や汗を流すミナミは、フリーと目を合わせないようにする。 「あ、大丈夫です。フリーさんに抱っこされるくらいなら転がった方がマシです」 「そんなぁ」  えぐえぐと泣くフリーはぎゅっとニケを抱きしめる。ミナミの前でも黒い尻尾がはたはたと揺れた。 (もっとぎゅっとせんかい。おらおら) (ニケさん、だんだん隠し切れなくなってきてるやねー)  どうにもフリーと引っ付くのが嫌ではない様子。普段の大人びた性格は、かなり無理をして作っているのではないかと思う。ニケの根っこはどうにも、甘えん坊な気がしてならない。  からかってやりたいが、さっき思いっきり引きずられたので自重しておく。からかうのは怪我が治ってからにしよう。そんなしょうもないことを考えていたときだった。 「あああ、誤解だって! 置いた手紙が消えていたから自分、ちょっと気になって、気になったっていうか! もしかしたら野生動物が持ってっちゃったかなーと不安になったから探していただけで……」  喧しい声に、フリーとミナミは眉をひそめる。ただ一人、ニケだけが大きく反応した。 「この声……」  目を向けると、ホクトが戻ってきた。片手に何かを掴み引きずっている。首根っこを掴まれているのは、男性だろうか? 陸揚げされた魚のようにびちびちとのたうち暴れているが、鍛えているホクトと一般人の差は大きかった。  フリーたちの前までくると、ホクトは首根っこを掴んだまま腕を持ち上げ、全員の前に晒す。観念したのか大粒の涙を流し、その人物は摘ままれた猫のようにぶらーんと垂れ下がる。 「宿の周囲を嗅ぎまわっていたっす。処分するっすか? それならお腹すいたので、齧っちゃってもいいですかね?」  ギラリと光る狼の牙に、吊り下げられている人物は青ざめ、恥も外聞もなく泣き叫ぶ。 「うああああああ! あかん死ぬうううっ。母ちゃん、ばあちゃん。先立つ不孝をお許しください! 妹よ、好き嫌いせず飯食って大きくなれよ! 変な男に引っかかるなよ! 取り敢えずマザコン男と結婚したら仕事辞めて専業主婦になってくれって言う男だけはやめとけええええ」  甲高い声が凍光山(とうこうざん)に響く。木々に泊まっていた鳥たちが一斉に飛び立ち、ホクトはうるさそうに片目を閉じる。遺言のつもりなのか、両手を祈るように合わせて、ぶんぶんと首を振っている。激しく振りすぎて、頭上の耳がプロペラのように回転する。凄まじい必死さにミナミとフリーが呆然としていると、ニケが声を上げた。 「スミさん!」  ヒスイ戦で大怪我したレナとフリー。その二人に応急手当をしてくれただけでなく、街の近くまで共に走り、ニケをずっと励ましてくれた衣兎族の青年。ニケに良く懐いているうさ耳っ娘の歳の離れた兄貴、スミ――アイスミロンである。  ところどころ金が混じる黒髪から伸びるうさ耳に、日焼けした肌。都会でしか見かけないシャツとズボン――かなりほつれが目立つ――という洋装姿で、泣きすぎて真っ赤になった目元を擦っている。  正座を崩し乙女のように泣く、その頭を撫でているのはニケだ。 「ひぐっ、ぐすっ……。ニケ、皆心配してたんだぞ? ずびっ。良かったよ、また会えて」 「スミさん……」  ニケは困惑気味だった。まるでどうして彼が優しくしてくれるのかがわからない、というように。  いや、それよりも今は、 「スミさん。あの、僕ずっとお礼が言いたくて」 「はひ?」  彼は鼻をすすりながら顔を上げる。 「あの時、レナさんとこのボケを手当てしてくれただけでなく、励まし続けてくれたこと、忘れた日はありません。本当にありがとうございます」  頭を下げるニケに続き、フリーは即座に土下座する。フリーは気絶していて知らなかったが、この青年は応急手当をしてくれたようだ。ならば自分も礼を言わねばならない。 「ありがとうございます。俺はフリーです。間違えた。いや間違ってないけど、フロリアです。フロリアと言います。お世話になりました」 「……」  ぽかんとして、頭を下げる二人を交互に眺める。するとなぜかスミも居ずまいを正し、同じように頭を下げた。 「い、いや! ニケだって自分の妹に優しくしてくれてるみたいじゃん? 妹のやつ、ニケの話ばっかするし。……まあ、ニケになら妹を嫁にやってもいいかなって」 「「ふぁっ?」」  急に話が飛び、二人は当惑する。  スミは面倒くさそうに頭部を掻く。 「いやあほら。妹が変な男連れてきたら事故に見せかけて殺せって親父に頼まれてっから……。ニケなら安心して任せられるし? いちいち面倒な死偽装しなくて済むじゃんか」  そういうとこだぞ、本当にあの村。  ヒスイを火葬しようとしたことは棚に上げ、ニケはじっとスミを睨む。  そんなニケたちの心情に気づかず明るく笑い……そのまま青ざめていく。 「だからその。このヒト、なんとかしてもらえないかな?」  震える手でホクトを指差す。先ほどから腹を空かせた狼がスミの周りを、うろうろうろうろしているのだ。落ち着かないったらない。しかも目が完全に獲物を狙うそれで、フリーまで居心地悪そうに肩を震わす。  ――丹狼(たんろう)族って兎肉好きだからな。  見かねたミナミが鞄から包を取り出し、ホクトに放り投げる。 「飯食え、飯。そしてそこに座ってとにかくじっとしろ、じっと」 「はっ。……そうっすね」  我に返ったらしいホクトが地面にどすんと座し、包を開いてお弁当を食べ始める。だがその目は真っすぐにスミを捉えており、たまらず兎はニケを抱えフリーの背に隠れた。 「なになになになにっ? 死ぬの? 自分死ぬのか?」  がたがたと震える青年にニケは「大丈夫ですって」となだめる。へたれているうさ耳をフリーが凝視している。 「スミさん。宿が諸事情で壊れてしまって、いまはキミカゲ翁の元で、お世話になっているんです」 「キミ、カゲ……? ああ、紅葉街か。そうかそうか。って、諸事情ってなんだよ。老朽化?」 「まあ。そ、そんなもんです……」  目を泳がせるニケに疑いの目を向ける。

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