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第48話 夢蝙蝠族

 十年以上も昔の出来事だ。「あの子」も成長しているに決まっている。何故その考えに至らなかったんだ。自分を叱りつけたい。  十年以上経っているのに少年の外見が十歳程度なのは、成長がゆるやかな種族なのだろう。  少年は左腕に視線をやるが、フリーはその腕を放さない。どこにも行かないでほしいと言いたげに。 「フフッ。可愛いことをする」  少年は構わずに傘を広げる。こちらもひらひらで飾られた小さな黒い傘。日光が苦手なのか単なる雪よけか。空気椅子に腰かけると怪しく唇を吊り上げる。 「では、改めて。こんにちは。フロリア。僕はイヤレス。夢蝙蝠(ゆめこうもり)族……ま、ただの血吸い蝙蝠さ」  きらりと鋭い牙が覗く。  イヤレスと名乗った少年は、両手でフリーの顔を挟むと、そっと唇に唇を押し当ててきた。 「わっ」 「何その反応……。もしかして初めてだった?」  秀麗な顔に、もふもふ以外にあまり反応しないフリーですらぼうっとなる微笑を浮かべた。ただし、その笑みにはどこか小悪魔の雰囲気がある。うかつに触ると火傷しそうになる予感というか。これで少年がもふもふした耳や尾まで完備してあったなら、フリーはそれこそ夢中になっていただろう。  蝙蝠羽にはちょっと触ってみたくなるが、特にもふもふは見当たらない。それと腕の中にもちもちともふもふを揃えた大本命がいるおかげで、理性が消し飛ぶことはなかった。 「ううん……? おかしいな」  フリーが自分という釣り針に引っかからないことを不思議がったイヤレスは、顎に指をかけて小首を傾げまじまじと旧友を見つめる。やがてその目がニケで止まった。 「ねえ、フロリア。その子は……? もしかして僕の代わりとか?」  にかあと三日月の口で笑う。 「そっかそっか。寂しかったんだね! しっかしよく見つけたね~。僕そっくりのお人形なんて。それだけ僕が恋しかったんだね。フフッ。かーわいい」  フリーの周囲を飛び回る。腕を掴んでいるためダンスのようにフリーもその場で回転するが、やがて目が回ったのか吐き気を堪えてうつむく。強化中なのだが三半規管は雑魚のままだった。 「うぐぐっ」  クスクスと笑う少年。品定めするような眼差しに動じず、ニケはガンをつけ返す。  焦ったのはフリーだった。 「う、うえ。やめてよ、そんな言い方……」  確かに最初は似ていたから惹かれた、ところがあるかもしれない。  でもいまはもう。 「俺はニケのいない人生なんて考えられないんだよ」  ニケはムスッと頬を膨らます。でも頬は赤く染まっているので、これは照れ隠しである。 「この方は誰かの代わりじゃない」  フリーは少年を引き寄せる。  予想以上の力強さに、イヤレスは一瞬目を見開いた。  互いの鼻先がくっつきそうな距離で、 「ていうか、君にだって代わりはいないよ? 君は君だけだ」 「……」  こっ恥ずかしいことを真正面から言われ、イヤレスの切れ長の瞳が泳ぐ。 「そうかい」  少年は何故か頬ずりをしてきた。フリーとしては大歓迎である。すりすりとしていて素晴らしい触感だ。懐っこい猫のような愛らしい仕草に、ニケのことをほんの一瞬だけ忘れた。  イヤレスは悪戯っ子のような笑みで、フリーの鼻先をちょんとつつく。 「でもこんな言葉もあるよ? 「確かに代わりはいないだろう。だが、上位互換はいくらでも存在する」ってね」  首を傾げながらも、フリーは即座に言い返す。 「「それでも君の代わりはいない」……だろう? 何を言っているんだ? 上位互換がいくらいようと、あの時、声をかけてくれたのは君だけだ」  そんなことも分からないのかという眼差しに、イヤレスは笑顔のままだったが、悪戯が失敗した子のように汗を流していた。  やがて「あーあ」とため息を吐く。浮いたまま。 「僕ってなーんか言い負けちゃうんだよなー。語彙力が無いせい?」 「言い負けるって……。別に俺ら喧嘩してないじゃん? それよりさ。名前で呼んでいい? イヤレス……だっけ」  人懐っこい犬のような視線に、イヤレスは白い髪を一房手に取る。 「それって、僕のハーレムに入りたいって意味?」 「は、はーれ……? ハム?」 「僕のことが好きな人の群れ、だよ。フフッ。君なら歓迎するよ?」 「それって……は、はっ」  ニケは耳を塞ぎ、イヤレスはきょとんと首を傾げた。 「――はっくしょんっっ!」  よほど体重が軽いのか、少年はフリーのくしゃみで二メートルほど吹き飛び、地面に転がる。  フリーは急いでイヤレスを拾いに行く。少年はどえらい体勢で倒れていた。 「ひ、ひどい……。この僕を吹き飛ばすなんて」  潤んだ瞳で睨んでくる。こういう表情は年相応で和んだ。 「ご、ごめ。寒く、て。ぶえ、ぶしゅんっ!」  こうしている間もどんどん雪は降り積もっていくのだ。フリーは返事も聞かず少年も抱えるととある場所へ走った。  フリーが目指したのは雪崩村の外れにある祠。中には女神像があり、土地の霊力が集まっている一種のパワースポットとでも言うべき場所だ。また村の避難所でもあるこの祠は、魔除けの力も兼ね備えており、夏エリアの近くでもないこの村が無事だったのは、女神像の加護による力が大きい。  魔獣の骨が鳴子のように吊り下げられ建造物の趣味は少々悪いが、女神像の力は本物である。とはいえこの祠は、村全体を守護するものではない。安全が確保されているのはあくまで祠の中。内部に逃げ込めた人がいるなら、助かったかもしれない。  目的地が見えたところで、フリーの強化が切れた。いつもより長く続いたのは、女神の加護のおかげなのか。流石に二人は抱えきれず、その場でへたり込む。 「はあはあ。ご、ごめんね。ここからは歩いて祠の中に入っ……って、何してるのっ?」  ギョッとしたフリーが見たものは、互いに頬をつねり合っている幼子と少年の姿だった。どこかの護衛ズと重なる光景である。  フリーが驚いている間も、ちびっ子たちはぎゅうううっと顔を伸ばし合う。 「うっざいんだよ……。絡んでくんなよ、元カレ風情があぁ……」 「へえええ? 本妻だからって油断してると、足元掬われる、かもよ? いったい。力つっよいなこのワンコ」  ……状況的にはニケが優勢のようである。祠を目指している短い間に何があったのやら。フリーは身体ごと割って入る。  ――何してるの。喧嘩は止めて! 「何してるの、俺も混ぜて!」 「「……」」  本音が出た。  無言でこちらを見てくる二人に首を振る。 「じゃなくて、なんで喧嘩を……ってそれもあとあと! 祠に入って。ここは安全だから。雪も防げるし」  ふたりを転がすように押して祠の内部にお邪魔する。久方ぶりの祈り場はなにひとつ変わっていなかった。澄んだ空気。くすりばこよりもっと狭い空間には女神像と、大きな葛籠(物を仕舞う箱)がいくつかあるだけ。少しだけ寒さが落ち着いたように感じ、ホッと胸を撫でる。  風化で屋根の一部に穴が開いており、そこから光が差し込み女神像を白く照らしている。  ちびっ子たちはそんな神象には目もくれず、額をぶつけ合う。ニケがわずかに背伸びしているのがほほ笑ましい。……ほんわかしている場合じゃなかった。 「なんで喧嘩してるの? 原因は何?」  ニケは素直に離れたが、ムスッとして腕を組み、イヤレスを睨んでいる。まるで原因は彼にあり、言い訳してみろよオラァと言うかのようだ。  対してイヤレスはふんと顔を逸らし、またもや宙に浮かび上がる。 「フロリアの今カレがどんなのか気になって、つんつんしていただけだもん。饅頭みたいなほっぺだね」 (ニケは親しくないヒトに触れられるのを嫌うからな……)  フリーはニケの隣に腰を下ろす。石造りのはずなのに床はちっとも冷たくなかった。その膝上に当たり前のように乗っかってくるニケと……イヤレスまで乗っかってきた。二人の視線がぶつかり合い、見えない火花が盛大に散る。  いままではニケ一人だったが、二人も膝に乗るというのは初めてだ。なんというか、自分が偉くなったような、金持ちになったようななんともいえない良い気分になる。気が大きくなったというべきか、とにかくこの状況が終わってほしくないとそわそわした感情を抱いた。  それでも何とか理性を総動員させ、よしよしとニケの頭を撫で、イヤレスに視線を向ける。 「イヤレス。会えて嬉しいけど、なんでこの村にいたの? 偶然?」  お盆だし、彼もまた墓参りに来たのだろうか。

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