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第49話 口づけの意味

 少年はニケなど忘れた顔でほほ笑む。ぞっとするほど魅力的だった。 「違うよ。フロリアに会いに来たんだ。今日ここに来れば会えるって、分かっていたからね」  わざわざ耳元で囁いてくる。くすぐったくて耳を手で覆う。 「それって、どういう意味? 俺がここに来るのを知っているのは、ごく一部の人だけなのに」 「気になる? 詳しく知りたい? それなら――」  少年の目が仄かに光ったように感じた瞬間。 「いででっ」  ぐいっと髪を引っ張られ、フリーは強制的に横を向かされた。今度は左右同じ濃さの赤い目に見つめられる。 「あまりそいつの目を見るなよ? 僕ら(赤犬族)が火なら、こいつらは目が合っただけで虜に落ちる魔九来来(まくらら)を使う奴が稀にいる」  少年は足を組んで「フフッ」と笑う。 「大丈夫だよ。僕は魔九来来使いじゃないさ。……そもそも魔九来来なんかに頼らなくとも、僕の周りは下僕で一杯だからね。いやあ、モテるってツラい」  ふふんと勝ち誇った顔でニケに目をやるも、 「そんな畜生に囲まれて喜ぶとは……。随分特殊な性癖の持ち主だな。変態はフリーだけかと思っていたぞ」  なんか流れ弾が飛んできた気がする。  両拳を握り、イヤレスは可愛らしく頬を膨らます。 「家畜じゃないよ! ヒトだよヒト。僕を牧場主か何かだと思ってる? ったく……。フロリアの今カレは可愛げがないね」 「無くて結構だ」  ばっさりと言い捨てる。 「僕はほんのり未来が見えるんだ……。それでフロリアを迎えに来たってわけ」 「えっ? 未来?」  咄嗟に出た大声が祠内に反響する。うるさいとニケに目で言われたので謝っておく。 「ご、ごめん。そんなこと出来るの? すごいね!」  未来予知なんてキミカゲくらいしかできないと思っていた。……もちろんキミカゲに未来を予知できる力はない。膨大な人生経験が、予測を予知じみたものにしているだけだ。 「あっさり信じたね……。フロリアが詐欺に引っかからないか、心配になってきたよ」  気まずそうに頬を掻き、イヤレスは口元だけで笑う。 「フフッ。そんな心配なフロリアを、僕が守ってあげる。僕のところへおいでよ。竜は才能の有る者、珍しい者を集めるけれど、僕は美しいものに囲まれていたいんだ」  ついっと少年の指がフリーの唇をなぞる。 「特にフロリアは白い髪が」 「うひぃ!」  くすぐったかったのか、フリーの身体は大げさなほど跳ね、二人は石の床に転がり落ちた。  ごつっと痛そうな音が鳴ったから、どちらかは頭ぶつけただろう。フリーは真っ青になってふたりをかき集める。膝の上に乗っかってくれていたほうがあたたかくて助かるのだ。  ぶつけたのはイヤレスだったようで、頭を押さえ、ぷるぷると震えている。うつむいているため表情は見えないが、痛そうだ。 「ご、ごめんよ!」  まさか「あの子」に怪我を負わせてしまうなんて。どう償えばいいんだ。  ひとまず華奢な身体を抱きしめ、ぶつけたであろう個所を少年の手の上から懸命に摩る。 「……ふ…」 「え? 痛い? ごめんよ? 本当にごめん」  何を言ったのか聞き取ろうと、耳をぐっと近づける。 「ふ、ふふ……」  少年の方が小刻みに揺れる。目をぱちくりさせ見守っていると、やがて彼は顔を上げた。 「フフフッ。心が優しいね、フロリアは。真心美味しいよ」  からっとした笑顔だ。痛みに歪んでいるわけでも、涙を流しているわけでもない。ぽかんとしていると、白けた表情のニケが目に入った。彼は身体を丸めて受け身を取ったようで、怪我ひとつない。あほくさと言わんばかりの冷めた目で、悪戯っ子とまんまと騙されたフリーを見ている。 「どう見ても嘘泣きだろうが。簡単に騙されおって」  と言いつつ口元がにやけているのは、「帰ったら僕も試してみよう」と企んでいるからである。  フリーは眉を八の字にする。 「……騙したんだ?」 「おや。泣いちゃった? 怒っちゃった? フフッ。そうやって頭の中を僕で満たすと良い。僕以外のことを考えられないようにしてあげるよ」  白い髪を掬い取り、ちゅっと口づけする。 「?」  首を傾げるフリーに姉のように頭を撫でる。 「おや。キスの意味を知らないのかな?」 「え、あ! あ、これは知ってるんだ実は」  いつも教えてもらっている自分が誰かに説明できるチャンス。興奮気味のフリーに、ニケまで疑いの目を向けてくる。 「え? 知っとるのか?」  フリーはえっへんと胸を張って人差し指を立てる。 「もちろん。キミカゲさんに教えてもらったんだ。唇をくっつけると鎮痛効果や髪をツヤツヤにする効果があるってね。それってつまり、箪笥(タンス)に指ぶつけた際に唇くっつけると、痛みが和らぐってことなんじゃないの? すごい発見をしてしまった! 俺って天才かも。そんなわけでこれからどこかにぶつけたらニケに唇くっつけるぅ~」  目を輝かせるフリーに、凪いだ海のような表情になる少年たち。なんだか女神像まで「ふっ」と鼻で笑った気がした。 「え? なに?」  彼らのこけしみたいな顔を交互に見やる。 「違うの? そんなわけないよね。だってキミカゲさんが言っていたんだし。イヤレスさっき俺に唇くっつけたじゃん? あれって、お腹でも痛かったの? それならもっとくっつける?」  目を閉じ、「ん」と唇を突き出すフリーに、こけし顔から復帰したイヤレスが舌なめずりをする。 「フフッ。そうなんだよ。実はお腹痛くてさ~。そんなわけで……。いっただっきまーす」  差し出された唇に全開笑顔のイヤレスが噛みつこうとしたとき、小さなあんよがふたつ飛んできた。それはきれいにイヤレスの脇腹を蹴り飛ばす。  不審者撃退案その三・ニケドロップキックである。 「ぎゅっ?」  手加減が一切含まれていない両足蹴りに、祠の外まで吹っ飛んだイヤレスの華奢な身体は地面にバウンドし雪に埋まる。 「え?」  騒ぎに片目を開けたフリーだったが次の瞬間顔を掴まれる。視界には仏頂面のニケ。そして、 「ぶっちゅうううう~~~っ」 「!!!??!??!!」    ニケが唇に吸いついた。 「んんんんんんっっ?」  フリーはもがくが、怒っているのかニケはがっちり顔を両手で挟んで逃さない。その吸引力は凄まじく、フリーは顔の皮が持って行かれそうになった。 「……っ……? …………ッ!」    どれほど吸われていただろうか。フリーが酸欠で目を回す頃にようやくニケは顔を離した。ニケはぐいっと袖で唇を拭い、ぺっと唾を吐く。 「おい! いいか、フリー。種族によって口づけの意味は異なる。僕ら(赤犬族)は愛を誓うという意味があって、心を許した相手にのみする行為だ。気軽にほいほいするもんじゃない。覚えとけーーッ!」  祠が震えるほどの声量で唾を飛ばして怒鳴るニケに、腰を抜かしたままフリーは唖然となる。ぱらぱらと天井から砂埃が落ち、四つん這いで戻ってきたイヤレスも「うわぁ……」という顔をしていた。  腕を組んでぷいっと顔を逸らす。 「鎮痛剤代わりにされちゃ、たまらんわ。まったく」  って姉ちゃんが言ったんだ。身内と本当に心を預けられる相手にしかしちゃ駄目よって……。ニケったら可愛いから心配だわ。変な人が言い寄ってきたらお姉ちゃんに言うのよ? 回りくどくて陰湿な嫌がらせで追い払ってあげるからねって。優しく真剣な目つきで教えてくれたんだ。だからきっと大事なことなのだ。 (……でも、フリーとの口づけはなんだか気持ち良かったな。……あれ? 僕いまフリーに口づけしたのか?)  膝の上で仁王立ちしたままほんのり頬を染めていると、ぐいっと尻尾が引っ張られた。 「!」 「おいコラ。駄犬が。なに蹴っ飛ばしてくれちゃってんの?」  イヤレスである。笑顔に青筋を浮かべて、ぎりぎりとニケ尻尾を雑巾絞りしている。  ぽてんと尻餅をついたニケだが、チンピラのような不穏な表情で、片眉を跳ね上げた。 「ああん? ヒトの持ち物にべたべた触れるからだろう? 手垢を付けるなよ。掃除するの僕だぞ?」 「フフッ。テディベア座りのお子ちゃまが言うじゃないか。なんなの今の掃除機みたいなキスは。下手くそすぎでしょ」 「お前さんが尻尾引っ張ったからやないか。おお? 口づけに上手いも下手もあるかい。なんや? お前さんは口づけした相手にいちいち下手だの上手だの感想言うのか?」  ばちばちと火花を散らすお子様たちだが、ここはフリーの膝の上である。ダブルオモチが間近にいてなにもしない彼ではない。フリーはふたりの言い合いなど聞こえていない様子でニケたちを抱きしめる。 「ふへへへへへ。これって、あれかな? 両手に花ってやつ? ディドールさんが言ってた~」  頬を押し当て、ふたりまとめて頬ずりする。 「へっへっへ。やわらけぇ。やわらけぇなぁ……。あ、ごめんねニケ。怒らせちゃって。唇がニケに触れないよう、これからは気をつけああああー!」  ニケの片手が頬を掴んで伸ばす。 「痛いです、ニケさん。お許しを……」 「ふんっ。ま、まあ。たまにならしても構わないぞ?」 「え?」  イヤレスが「ぶほぉっ」と吹き出したが黙殺する。

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