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第53話 すぐに謝れ

 話を聞くだけで肩が凝る。リーンは疲れた顔で出涸らしではないお茶を飲み干す。 「で? お前は? 喧嘩したなら早いうちに謝った方がいいぞ。どうせお前が原因なんだろうし」  ドキッとフリーの肩が跳ねる。 「な、なんで俺が原因だと決めつけるんですか」 「違うのか?」 「はい。俺のせいです」  やっぱりな!  正座して項垂れる白髪に空になった湯呑を乗せる。 「大方、違うタイプのもふもふに目を奪われでもしたんだろう? それでニケさんがヤキモチ焼いた……とかじゃねぇの?」  フリーは勢いよく顔を上げる。 「見てたの⁉」  リーンの顔は呆れていた。 「見てないけど、分かるわ。ま、言いたいことは山ほどあるが、俺も人のこと言えないしな」  フリーは首を傾げる。それでも落ちない湯呑。 「人のことって? ……あ、ディドールさんが好きなのに違う女のヒトに毎回見惚れてあがっあああああ?!??」  星影バックブリーカーを決められたフリーは、泡を吹いて動かなくなる。どすんと落とされ畳の上で痙攣するだけになった後輩を無視して、リーンは棚から酒を引っ張り出す。飲まなきゃやってらんねぇ。 「ニケさん、今頃いじけているかキミカゲ様に八つ当たり……それはないか。拗ねているんじゃねえの? 手土産でも買って土下座してこい。はよ」  風流な器など持っていないので、畳に転がっていた湯呑にとくとくと注ぐ。酒と言っても甘酒のようなものなので、子どもが飲んでもキミカゲにヘッドロックされる心配はない。  背骨と腰にダメージを負ったフリーは、よろよろと起き上がる。 「ぐ……ぐおお。でも、顔も見たくないボケェって、言われたし……。今日は帰らない方が良いのかなって……」 「明日帰るってか? ニケさんはともかく、お前はニケさんに明日まで会わなくて平気なのか?」  フリーはがくっと両手をついた。 「実は言うと、そろそろ限界なんです」 「はあ」  酸素ボンベから離れて何をしとるのだこいつは。 「その喧嘩の原因になった……夢蝙蝠(ゆめこうもり)族だっけ? そいつはどうしたんだ?」 「白い馬に乗って、帰ってった」  帰したくなかったが、これ以上ニケを怒らせることもできないので別れたのだ。イヤレスは笑顔でまた会えると言ってくれたが、寂しかった。  星影族お手製の星屑入りの甘酒を傾けながら、リーンは興味なさそうに訊いてくる。 「白い馬? ペガサスか? 角生えてた?」 「角? えっと、生えてなかったよ?」 「じゃあ、雪羽馬(ゆきばば)か……」  一気に飲み干し膳と一緒に片すと、布団を敷き始める。 「え? もう寝るの?」  夏は日が長い。冬であればすでに真っ暗な時間だが、まだ眠るには早いはず。そう思い戸の外に目をやれば、空はすっかり暗くなっていた。 「あ、あれ?」  一番星が赤く煌めいている。 「もうこんなに時間たっていたのか、みたいな顔してんな」 「う、うん……」  枕をフリーに放り投げる。  フリーは片手で受け取った。 「え?」 「泊ってくなら、その布団と枕使えよ。俺様はもう寝る。明日仕事だし」  着物を脱ぎ、寝間着の甚平(じんべえ)へと着替え始める。紺色の涼しそうな生地だ。こちらも星空に染まっている。  思わず枕を抱いたままガン見していると、じろりと睨まれる。 「ヒトが着替えていたら、目を逸らすのが礼儀だろ」 「えへへ。目を逸らすのが勿体なくて。ごめんね。てか、先輩はお布団で寝ないの?」  くすりばこで泊った際、そういえば布団を使っていなかったのを思い出す。  リーンは気にせず畳の上に、ごろんと横になる。 「布団で寝るのに慣れてないんだよ」 「じゃあこれは、俺のために布団敷いてくれたの? あかん……。好きになりそう」  ぼそっとした呟きに、青ざめたリーンは素早く遠ざかった。四つん這いでカサカサと何か黒い虫を彷彿とさせる動きだった。 「俺様の半径十メートル以内で寝るな! いいな?」 「どう頑張っても家から出ちゃうんですが……。遠回しに出てけって言われてる?」  着替えを持ってきていないので、フリーは着物のまま布団に潜る。しわになるだろうな。ニケに叱られるだろうか。無視をされるくらいなら、叱ってほしい。  暑いので掛け布団は足元に畳んでおく。 「おい。着物脱いで寝ろよ。ごわごわして寝づらくないか? それと、暑くても掛け布団は腹に乗せておけ。お前、キミカゲ様が仰ってたけど、オタマジャクシより弱いんだろ?」  フリーが畳んだ薄い布団を腹にかけてやる。返事がないので顔を覗き込むと、規則正しい寝息が聞こえた。 「もう寝てるのかよ」  登山の帰りのようだし仕方ないか。  呆れながらリーンも隣に寝転ぶ。 「はあ……。あっちいな」  どれだけ窓や戸を開けても風は吹き込まず、蒸し暑い空気が居座る。目を閉じても汗がじわりと滲み、何度も寝返りを打つ。今宵も寝苦しい夜になりそうだ。  だが、フリーの寝息を聞いているうちに、いつの間にかすこんと眠りに落ちていた。  草木も眠る丑の刻。じめじめした夏の闇を、なにかが蠢く。  それは足音を一切立てることなく、とある一軒の家へと迫っていた。家というには小さく、物置のようであり、立派な建物が多い影都紅葉街の隅っこ、貧しい者たちが住む地区の中にその家は在る。  暑さからか、どの家も軒並み戸を全開にして眠っている。防犯意識などあったものではない。暑さで死ぬよりはマシなのだろうが、すだれすら垂らしていない家もあった。  貧困層が多く住む地区の中では普通くらいの家だろうか。蠢く何かはその家をそっと覗き込んだ。  静かだ。家主は眠っているようである。素早く左右に目を動かし、目当てのものを探る。  それは暗闇でもすぐに見つかった。 (きひひ……)  ほくそ笑むそれは、満天の星空を切り取ったような着物に手を伸ばす。 (あったあった)  盗まれるのを警戒してか、持ち主が外に干さなくなったせいで星影の着物がめっきり手に入らなくなった。注文の数に対して、星影族の着物の手に入らなさといったら。お得意様にお叱りを受けるのはワシなのだぞ? 宙の民はもっと地上に降りてワシらと交流するべきだ。星空着物が手に入らないではないか。まったく。  心の中でぶつくさと文句を言い、手早く洗濯ばさみを外し着物を収穫していく。 (ん? これはまだ星に染まり切っていないな)  着物に顔を押し当て、すうっと息を吸い込む。ほのかにユメミソウの香りがした。汗臭さなど皆無である。  なんといい香りだろう。顔がにやける。 (おお。これもいい)  眠っている少年が身につけている紺色の甚平。流石にこれは、起きてしまうだろう。しかし目が離せない輝きがあった。  盗人はそろそろと少年に近づき、上に覆いかぶさる。ここまで近づいても、少年は目を覚まさない。あどけない寝顔にたくさんの汗を浮かべている。

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