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第52話 気を遣ってほしいわけではない

「――で、俺様のところへ来たってか?」  美しい夕日に染まる紅葉街。  少し早めの、晩飯の準備中だったリーンはあきれた顔で腕を組む。  「さあ、飯だ」と上機嫌だったところにドンドンドンと戸を叩きまくる突然の来客。喧嘩腰で戸を開けると涙目の後輩が飛び込んできた。  フリーは部屋の隅っこで両膝を抱えたまま、えぐえぐと泣き続けている。部屋が湿っぽくなるから速やかに泣き止んでほしい。  話を聞くに(嗚咽が酷くて何を言っているのかほとんど分からなかったが)、どうやら飼い主と喧嘩したようだ。魔境と呼ばれる凍光山(とうこうざん)へ墓参りに行ってきたばかりで、疲労困憊。一度座り込んだせいか立てないようだった。たったふたりで危険な山へ行くとか、後輩の頭が心配になる。  畳にぼたぼたと雫をこぼしながら、フリーは頷く。 「うええええっえっ。ニケに……ニゲにがおもっ、がおもみだづないっで……、ぐすっ。いわれだぁ……」 「はあ……」  こんな調子で何を伝えたいのかが伝わってこない。  リーンは撫子色の髪を掻くと、しょうがない後輩の側でしゃがんでやる。相変わらずのヤンキー座りだが、フリーは顔をちゃんとこちらに向けた。残念な後輩ながら、潤んだ瞳はなかなかだ。  フリーの額にデコピンをお見舞いしてやる。 「いだっ」 「なに驚いた顔してんだ。なぐさめとか期待すんなよ? 俺は美女しか慰めない! はあ……。ついでだから飯食ってけよ、と言いたいが飯は一人分しかない。出涸らしの茶でも飲んどけ」  すっと出された色の付いた水をすする。リーンは雲柄の布の上に座り、両手を合わせる。 「この命は次のために。星屑ひとつ残さず太陽の元へ」 「……へ?」  意味不明なことを言われぱちくりしていると、リーンは飯を食べ始めた。 「今のは?」 「あー? 俺ら(星影族)の「いただきます」だよ。出されたものは残さず食べます、的な」 「へええ。きれいだね」  なんだその子どもみたいな感想は、と思ったがリーンはツッコミを破棄した。  住処を追い出され腹を空かした後輩の前で遠慮なく飯を食う先輩の図。しかしリーンは気を遣わない。追い出さないだけありがたいと思ってほしいわ。  うまく炊けなかったねちょねちょのお米を咀嚼しつつ、フリーを盗み見る。 (……別にこいつも気を遣ってほしいわけじゃ、なさそうだしな)  雨生川(あまうがわ)のほとりで座り込んでいてもいいが、それだと街人が心配するから俺のところへ来た、って感じだろう。  隅で座敷童のように膝を抱えているフリーだったが、リーンの家にいることで落ち着いてきたのか、家の中をしきりに見回している。 「おい。あんまヒトん家じろじろ見んなよ」  くすりばこほどボロ……年季は入っていないが、面積は狭いくらいなのだ。長身男がいるだけですごく狭く感じるし、見られていい気分ではない。  物珍しいものなど何もないと思うのだが幽鬼族だし、生者には見えない何かが見えているのかもしれない。 (……って、こいつ幽鬼じゃなかったんだったわ)  ――人族。  星影的には「なんじゃそら」だったので、リーンなりに人族について調べてみると、出るわ出るわ。おぞましい文献や物語の数々。海や空、果ては大地まで汚染した世界の癌。あらゆる生命の敵。邪神さえ顔をしかめた絶対悪。などなど。  書物などあまり読んだことがないリーンは、苦虫を丸呑みしちゃった顔で本を閉じた。  確かにこんなものを幼い頃から読んでいれば、人族は悪だとすり込まれる。  リーンは唯一知り合いの人族と物語上の人族のイメージがあまりに一致せず、読んでいて消化不良を起こしそうだった。  ……まあ、それだけである。  フリーが美女で人族の扱いに胸を痛めているなら喜んで力になるが、野郎だし気にしている素振りも見せない。ならばリーンも出来ることはないし、どうでもいい。というか、頭の中、ニケさんで一杯だろう。 「えへへ。きれい」  注意したにもかかわらず、フリーは首を動かすのをやめない。いい加減、首を固定してやろうかと立ち上がりかけた時、ようやくフリーが見ている物が理解できた。  室内で干している、リーンの着物である。  蝋燭を節約しているリーンの家は当然暗い。窓や戸を全開にしているも、やはり外と比べて暗いのは否めない。  そんな薄闇で煌めく星空の着物。  リーンは当たり前すぎて気にも留めていなかったが、やはり他の種族の目を奪ってしまうようだ。  ため息をついて、上げかけた腰を下ろす。 「おい! 見るなっつってんだろ。金取るぞ」 「いい天気なのに、外で干さないんですか?」 「敬語」 「干さないの? って、ちょっと敬語になっちゃうくらいいいじゃ~ん」 「お前に敬語で話されると気色悪いんだよ。もっと俺様に気を遣えよ。先輩ぞ? 我」 「ぬう……」  しょんぼり顔でうつむく後輩を無視して、野菜のくずが浮いた味噌汁をうんざりした顔で一口。あー、ちょっと薄かったかな。 「外で干してもいいけど、高確率で盗まれるんだよ」 「えっ?」  涙をこぼしていた目を光らせてフリーが詰め寄ってくる。 「俺も盗みたい!」 「おいこら」  正直すぎるだろう。男の着物盗んで、何が楽しいんだ。後輩の額を箸で突いてやる。 「あいでっ」 「泥棒のせいで貯金が、金が溜まらないんだよクソが。年中室内干しだわクソが。そのせいで、湿気で壁や畳がどえらい速度で痛んでいくんだよクソが。おかげで三食食えねえよクソが!」 「お、落ち着いて、先輩……。その顔でクソ連呼しないで」  鬱憤が溜まっておられるようだ。手の中の箸を折りそうなほど握り締めているリーンをなだめる。  たくあんを箸で串刺し、口内に押し込む。買い付けたたくあんだけはうまかった。 「もぐもぐ……。だからお前にやる着物はない。そんな余裕はない」 「盗まれたんでしょ? 治安維持のヒトたちに言えば、探してくれたりしないの?」  見事に地雷を踏んだ。  リーンは箸を放り投げて立ち上がる。 「言ったわ! ここに来た時アキチカ様に「何かあれば治安維持隊にも相談するんだよ」って言われたしな! で、俺は素直に維持隊の連中になぁ、盗まれたって訴えたんだよ!」  いそいそと先輩がぶん投げた箸を拾って、目は合わせたまま箸を膳に戻す。 「そしたら連中「金になるんだからしゃーない」って言ったんだぞ」  のけ反って叫んでいる先輩の後ろへ移動し待機しておく。これなら先輩がもし倒れても受け止められる。 「しょうがない。じゃねえよ。仕事しろや! そんなんだから街のヒトらがオキンさんやアキチカ様を頼りにするんだよ。それなのにアキチカ様に文句言うな」  リーンはくるりと身を翻すと、フリーの胸ぐらを掴む。 「あいつらはあてにならん!」 「わかっわかりました。わかったから前後に揺するのやめて?」  火を噴きそうなほど怒っているリーンの両肩をぽんぽんと叩く。ニケも言っていたが、この街の維持隊はどうにも頼りないらしい。  理由は分かったが、洗濯物は仕舞わないのだろうか。家の中だし、干しっぱなしでいいやと思っていそうだ。  はあはあと肩で息をしている先輩の背を雑に叩く。近所から苦情がきそうな大声である。開け放たれた戸をそろっと見るも、誰も怒鳴りこんでこなかった。  ほっとして、リーンの正面に移動する。膳をはさんだだけの距離で座るフリーに半眼になる。 「……そこに陣取られると、食べづらいんだけど」  一メートル未満の距離。 「俺は先輩の顔が見れるから、心地いいですよ?」  リーンは眉間を指で揉む。  素直にもっと離れて座れって言った方が良いだろうか。それよりも殴った方が早いか。

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