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第55話 掟

 盗人を椅子にしているフリーを見て、リーンは小さく笑う。  先輩が笑ってくれたのが嬉しかった。 「いえ、誰かが歩いているような気配? を感じたんですよ。先輩かと思ったら全然違ってびっくり」  はっきりとは見えなかったが、リーンの上に誰かが乗っかっていたから三度見してしまった。ふと目が覚めて横を見ると一緒に寝ている人が襲われているというのは、なかなかに怖かった。こいつは着物泥棒だから、きっと先輩の寝間着を剥ごうとしていたんだろう。そうに違いない。 「先輩。怪我はありませんか?」 「おう。どこも痛くねぇ……っと、あったあった」  暗闇から縄を探し当てると、絡まっているのを解いていく。縄が、絡まっている。  リーンは一仕事終えた顔で布団の上にどっかりと座り込んだ。隣には信じられないほどぐるぐる巻きにされた盗人が転がる。  額の汗を拭った手をぱっぱっと払う。 「もー。この暑いのに汗かかせんなよ。でも捕まえられてラッキーだぜ。泣き寝入りするしかなかったからな~ぁあああ。思い出したら腹立ってきた。よ~し。顔の形変わるまで殴ろう」  笑顔で拳をバキバキと鳴らすリーンに、余計に汗をかきますよとだけ言っておく。  ヒスイ並みの強敵かもしれないと呼雷針(刀)を召喚したが、いらんかったかもしれん。身体強化だけで間に合ったな。にしてもなんの種族なのだろうか。月明かりもない家の中だと本当に何も分からない。夜目が効くってどんな感じなのだろうか。どかっどかっという打撃音をBGMに、フリーはぼーっと考える。暗くても視界が昼間と変わらないんだろうか。 「ふあああ……」  大あくびすると、いい汗かいた先輩が戻ってくる。 「寝てて構わねぇぜ。俺はこいつを見張っとく。朝一で維持隊に投げ渡してくるから」 「今、行かないんですか? ついて行きますよ?」 「お前、ふらふらじゃん。眠いんだろ」 「寝ないと明日辛いですよ?」 「俺様は一日くらい寝なくても平気なの。あーやれやれ」  ううんと背伸びし、水瓶から桶で水を汲むと、手ぬぐいを濡らして絞る。上半身を晒して身体を拭いていく。視線を感じたので振り向くと、金緑の目が瞬きもせず予想通りこちらを見ていた。  一瞬怯みかけたがフリーに詰め寄り、頬を摘まんで伸ばす。 「おめーは! なんで・目を逸らすっていうことが・出来ないのっ?」 「ふええええ?」  なんでですかね~みたいな顔に拳を叩き込みたくなったが、盗人に気づいた功績に免じて我慢してやる。フリーに手ぬぐいを投げ、背を向けて座る。 「ほら。目ぇ逸らさないのなら背中拭けや」 「ありがとうございます」 「なんで礼を言うの?」  きつく絞られほぼ水分の残っていない手ぬぐいで、ほっそりした背中を拭っていく。 (先輩、めっちゃいい香り) 「はあ。騒ぎ起こしちまった。住みにくくなるかもな……」   肩を落としぼやく先輩に、フリーは一度瞬きする。 「つまり、くすりばこで暮らす、って意味ですか?」  なにが「つまり」なのだろうか。  肩越しに、呆れたリーンの金青(きんせい)色の瞳が見つめてくる。暗いなかでも、濃い青というのが分かる美しい色。 「お前はそんなに俺と暮らしたいんか?」 「はい」  食い気味に返事をされ、リーンはあぐらの上で頬杖をつく。  狭いくすりばこでキミカゲとニケとフリー、そして自分とで毎日わちゃわちゃして過ごす。 「……悪くないかもな」  ぽつりと呟き振り返ると、フリーが両手をあげていた。目がキラキラと輝いている。夜中じゃなければ「やったー」と叫んでいそうだ。 「早とちりすんなよ。まだ決めてないし。そもそもキミカゲ様の許可がいるだろうが」 「キミカゲさんは上目遣いで「お願い~」って言ったらなんでも言う事聞いてくれそう」 「思ってても言うな。そういうことを」  叱られた。  「背中はもういい」と腕を払われ、甚平(じんべえ)に袖を通す。汗で濡れたそれは冷たくなっていた。 「ああ、駄目だ。風邪引きそう」 「他に浴衣無いんですか?」 「冬用の、厚手の生地のなら一枚あるけど、死んでしまう」  顎に手を添えて悩む。 「もう全裸でいるか」 「それはちょっと……。俺の理性が」 「お前の理性がどうした? いいわ。どうせあと数時間で朝だし」  諦めて甚平を脱いで、薄い掛け布団を肩からかけておく。 「目が離せません」 「何が? もう寝ろお前」  ぎゅうっと布団に押し付けられる。 「じゃあ寝ますけど。もし何かあれば起こしてくださいね」 「へえへえ」  ひらひらと手を振るリーン。  登山の疲労と暑さと魔九来来(力)使用の疲労が重なって、フリーは眠りに落ちた。一瞬だった。  うるさい後輩が眠ると、途端に静寂が下りてくる。強がってはいたが、フリーがいてくれて良かったと息を吐く。 (また助けられちまったか)  今回はフリーに大きな怪我はなかったが、もし怪我をさせたらニケさんになんて言って謝ればいいんだ。  眠らないけど横になろうと床に雲柄の布を敷くと、きひひ、きひひ、と笑い声のようなものが聞こえた。  睨みつけると、盗人が体を震わせ笑っている。  リーンは顔をしかめて舌打ちした。 「気持ち悪い奴」 「あん? なんだガキ。眠っている時はあないに可愛げがあったというのに」 「はあ?」  イラついた表情を見せる少年に、盗人はせせら笑う。 「先ほど忍びこんだ時のことよ……。我慢できずに味見してそのせいで見つかってしまったが、可愛らしく囀っていたな」 「……?」  起き上がろうとするも全身締め付けられているため、地に落ちたミノムシのようにもがくしか出来ない。それでも盗人は喋ることをやめない。  ぶつぶつした太い舌を見せながら、狂気の笑みを浮かべる。 「お前の汗はミントに似た味だなぁ~。すっとしていて清涼感がある。着物ばかりが目立つが、星影は愛玩動物としても優秀よなああ~」 「はあ……? ! まさか」 「きひゃひゃひゃひゃっ」  壊れた笑いに、リーンは眠っている間に何かされたのだと悟った。凄まじい嫌悪感が沸き上がり、顔を青くし後退る。 「――うっ」  吐き気まで込み上げ、ぐっと口元を押さえる。  その反応に気を良くしたのか、はたまた見ていないのか。盗人は芋虫のようににじり寄ってくる。目は完全にイっていた。 「もう一度、もう一度舐めさせてもらえんか? はあ、はあ。着物などもうどうでも良い。はあ。ワシはお前に魅入られたようだ……。責任を取ってほしいのおお~」  舌を限界まで伸ばし、それはリーンのつま先に迫る。 「……っ…!」  あまりにおぞましい光景に、リーンは目を瞑ることも出来なかった。  動けない少年。無情にも生暖かい息と共に、舌が小指に絡みつく。 「ひいっ……。や、やめろ!」 「はあ、はあ。しゃぶってやる……。全身くまなくなぁ。はあ、はあ。ふくらはぎも太ももも、舐めつくして。んん? 泣いているのか? 可愛いなあ。その眼球も舐めてやろうなああ~――ふぶっ」  コキャッと骨が軋む音がしたかと思うと、盗人が視界からすごい速度で消えた。  壁にぶつかる音がし、くの字に折れ曲がった盗人は沈黙した。  静寂。 「……えっと……。ふ、フリー?」  口元が引き攣る。  目だけ動かせば、布団から白い足が伸びていた。フリーの足だ。顔を見ても瞼は閉じており、半開きの口からは寝息も聞こえる。リーンの危機を察して助けてくれた、わけではないらしい。  リーンはそろりと寝ているフリーに近寄る。 (えっ。寝ぼけてんの? フリーってこんな寝相悪いんか? ニケさんたちいつも大丈夫なんかっ?)  身体強化が切れていないキックは、盗人を壁に半分めり込ませた。寝ぼけていてこれなのだから、起きているフリーが蹴れば、恐らく盗人は二軒先まですっ飛んでいただろう。是非起きている時に蹴ってほしかった。 (まあええわ。壁に穴開けたらまたなんか言われそうだし……)  眠気は消えたが、安堵感はやってこない。ただ気持ち悪いという感情だけが残り、リーンは落ち着かなくなる。  さっきの手ぬぐいでつま先を丹念に拭い、ため息を落とす。  リーンは布団を強めに巻きつけ、ぎゅっと自身を抱きしめる。  星空着物は目を奪い、体臭体液はマタタビのように特定の種族を狂わせ、夜宝剣(やほうけん)は便利だと狙われる。  星影が、地の民と交流を絶っていた理由も、二百歳になるまで地上に近づくことも禁じられていた理由も、身をもって知れた。痛いほどに。 (掟なんて馬鹿らしいと、思っていたのにな)  どんな掟にも理由がある。幼い頃は自由がないと不満を言うだけだったが。  自分がどれほど危険な場所にいるか、改めて突きつけられた気分だった。 「……っ。帰りたい……ッ」  身を丸め、身を震わす少年の嗚咽が、いつまでも闇に響いた。

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