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第56話 謝ってきます

 翌朝。  目を覚ますと先輩も盗人もいなかった。何故か壁の一部が凹んでいるだけで。 (そういえば、朝一で引き渡すって……言ってたな)  ボケボケの頭で欠伸をし、布団をきちんと畳んでおく。  普段着はよれてしわだらけの汗だく。とても人前に出られるような恰好ではない。寝ぐせのついた髪を掻き、草履を履いて桶で水瓶から水を掬い、ざばぁと頭から被る。 「ふうっ」  サッパリした。  桶を逆さまにして戻し、外に出る。朝から地上を干からびさせんとする陽光が降りそそぎ、フリーはうへぇと舌を出す。せっかく被った水がみるみる蒸発していく。  道行くヒトを眺めてみるも、やはりリーンの姿はない。 (先輩……。一人で行っちゃったのか。起こしてくれても良かったのに)  フリーが疲れているからと遠慮してくれたのだろうか。 (帰るべき、か……?)  気持ちとしては一刻も早くくすりばこへ、ニケの下へと走りたかったが、リーンは「フリーが留守番してくれてる」と思っている可能性もある。それなのに戻ってきてフリーがいなかったらショックを受けるかもしれないし、そもそも先輩の家を放置して行けない。 (鍵がどこにあるのか分かんないしな~。もしかして鍵なんてないのかもしれないけど、判断つかん)  回らない頭で考え、家の周りをうろうろしていると、やさしく背中を叩かれた。 「もし」 「え?」  振り返り少し探してから、目線を下げると黒髪の女性が立っていた。地味な色の着物だが、きりりとした顔立ちで赤い唇が愛らしい。だが、見覚えは一切ない。  イヤレスの件があるし、またもや必死で脳内記憶のページをめくっていると、黒髪の女の子はビシッとフリーを指差した。 「あんたが、フリーね?」 「……へ?」  顎先につきつけられた指に、自身の指先を合わす。  ちょん。  だが頬を膨らませた女性に、手を払われた。 「その図体でなに可愛いことしてるの! 初めまして。わたしはカランコエ」  むんっと薄い胸を張る女性に、フリーはなにがなにやらといった面持ちで、ひとまず低頭する。 「あ、えっと。はじめまして。フロリアです。フロリアと言います」 「え?」  女の子は目を丸くした。 「え? あ、わたし、人違いしちゃった? フリーって人を探してるの……。白髪で背が高いって言うからてっきり……貴方かと思って」  朝っぱらからごめんなさい! と頭を下げられ、フリーは慌てて手を振る。 「あ、待って! フロリアだけど、フリーなんです。あだ名が。なので俺はフリーでもあります」  なんだか言葉がおかしくなったが、伝わったようで女の子はぱっと頭を上げる。 「そ、そうよね。白髪なんてめったにいないし……。ところで貴方、くすりばこで働いているのよね? ちらっと見たことあるんだけど。トメってヒト、知ってる?」  顔ではなく髪を見て喋ってくる女の子に、フリーは頷く。 「くすりばこで働いてはいないけど。トメさんは知ってる。常連のお婆様、だよね?」  ニケに優しくてたまにお菓子もくれる、品のあるお方だ。 「そうよ!」  女の子、カランコエは腰に手を当てる。 「わたしはトメ婆ちゃんの孫なのだけど。昨日ニケちゃんがうちに来たのよ」 「ニケが? ニケがどうしたの!」  目の色を変えるフリーに、カランコエはぴゅうっと物陰に隠れた。気は強そうでもやはり背の高い男性というのは恐怖の対象のようだ。  それなのに大声を出して申し訳ないと、声を小さくする。 「ご、ごめん。それでニケがどうしたって?」  努めて優しい声を出すと、カランコエは物陰からちらっと顔を出した。 「うちに来て泣いてたのよ。キミカゲ様は里帰りなさってて居ないから。寂しくなったのね、きっと。それでずっと貴方の名前を言っていたわ」  フリーは心臓を撃ち抜かれたような衝撃を受けた。  カランコエは続ける。 「フリーの馬鹿、フリーの馬鹿って。あんた何したの? あんなちっちゃな子を泣かして一人にするなんて。サイテーよ」 「ごはっ」  真面目に血反吐を吐いた。 「え? どうしたの?」  地に伏したフリーを、その辺にあった木の枝でつつく。 「貴方も病を患っている、とか?」 「ぐ、ぐうう……」  胸を押さえ地面を引っかくフリーに、カランコエはあわあわと首をめぐらせる。 「だ、だれか! キミカゲ様を……っていないんだった」 「大丈夫です……。あの、ニケは今もトメさんの家に居るんですか?」 「え、ええ。そうよ。朝ごはん一緒に食べたわ。ニケちゃんお魚焼くの上手ね」  フリーは気合で立ち上がる。 「俺、ニケを怒らせちゃって。とにかく謝って、ニケに土下座してきます!」  トメさんの家はくすりばこのすぐ近くだ。孫娘はぐっと拳を握る。 「その意気よ! ……でも、土下座はする必要ないと思うのだけれど」  トメ家へ向かって駆け出す。リーンの家のことは、何かあれば謝ろう。謝ってばかりだなと思いつつも、振り返ることはなかった。  仕事へ向かうヒトの波をかき分け、汗を垂らして走る。間違ってくすりばこを目指して、トメ家を通り過ぎかけた。転びそうになりながらもなんとか停止しする。  梅の木がある門の前を、トメさんがさっさっと箒で掃いていた。フリーを見るやいなや、親しげに手を振ってくれる。汗ひとつかいていない。 「フリーさん。おはよう。今日も暑いねぇ。カランちゃんが探していましたよ」 「おは、おはようございます。トメさん。カランコエさんに先ほど会いました。あの、ニケは?」  ぜいはあと肩で息をしながら訊ねると、トメさんはのんびりとくすりばこの方角を向く。 「くすりばこへ帰りましたよ。先生が帰るまで、うちにいればいいと言ったのですがねぇ」 「ありがとうございます!」  頬に手を添え寂しそうに言うお婆さまに勢いよく頭を下げ、フリーはくすりばこへダッシュする。  ヒトにぶつからないよう注意を払いつつ、一際目立つボロ家の戸をガラッと開ける。 「ただいま!」 「うおっ、びっくりした」  中にいたニケが目を丸くする。割烹着と三角巾を身につけ。手にはハタキ。踏み台に足をかけ、棚の上によじ登ろうとしているところだった。キミカゲのいないうちに掃除と思ったのだろう。  フリーはすぐに駆け寄ると正座した。 「ごめん! ニケ。不快な気持ちにさせて」 「……」  踏み台の上から、頭を下げる白髪を見下ろす。 「はあ……」  ニケはため息をつくと踏み台に腰掛ける。 「お前さん。昨晩はどこに居たんだ?」 「先輩の、家に。お邪魔してました」 「はあ」  再度ため息。  ハタキを床に置くと、両手を伸ばす。 「抱っこ」 「はい」  やさしく抱きしめられ、ニケはしわだらけの着物を握りしめる。そして、ぽつぽつと語り始める。 「……僕はトメさんの家にお邪魔してた」 「はい。……知ってます」 「トメさんに、どれだけ喧嘩してもいいから、殴ってもいいからちゃんと話し合えって」  ――トメさん。俺のことどんだけ殴られても大丈夫な種族だと思ってませんか?  口角が引き攣ったが、悪いのは自分なので聞かなかったことにしよう。 「拗ねないことが大事って。後悔したくないなら……って言われたから、ちゃんと話し合ってやろう」 「……ありがとう。ニケ」  三角巾の上から艶やかな黒髪を撫でる。それに比べて自分の有り様が酷い。自分でも気になるほど汗のにおいがするし、水被って走って乾いた髪の毛とか爆発してそう。  こんな風に身だしなみを気にするようになったのも、ニケがフリーを見つけてくれたからだ。 「僕がいるのに、あの蝙蝠野郎に目を奪われやがって。僕は傷ついたぞ」 「……はい。俺が悪いです」 「毎回許してもらえると思うなよ?」 「……はい。気をつけます」 「……阿呆」  ニケはぐりぐりと着物に顔を擦りつける。  もしかしてこの着物のまま眠ったのだろうか。生地にフリーのにおいが染みついていて、呼吸をするのに忙しい。フリーのにおいがたっぷりする……。心地いい。 「なにか、罰でも与えてくれていいよ?」  頬を押し当てたまま、ニケは赤い瞳を上に向ける。 「罰って……。そうだな。いや、僕が罰を与えても、お前さん喜ぶだけじゃないか?」 「うぐっ」 「まったく……。じゃあ、今日は罰として一緒に寝るんだぞ? 僕が寝るまで撫でて。僕が起きるまで横にいることっ。いいな!」  本当だ。罰にならない。 「了解です。ニケ~」  ぴしっと指差してくるニケに笑顔で頬ずりする。「むぅ~」と不満そうな声を出すも、フリーを突き飛ばしはしなかった。上下に動く尻尾がフリーの足をくすぐる。  相変わらず弾力のあるほっぺに浸りながらも、イヤレスが脳裏に浮かぶ自分ってどうしようもないなと思った。

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