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こんな所でしゃがんだら、あの眼鏡と同じ末路を辿ることになる。分かっているけれど、息苦しさに視界がぼやけた。
なんとかカラーのうなじ部分に手を伸ばし、生体認証パネルに指紋を読み込ませる。ピ、ピ、ピ。電子音が三回。これで高岡に緊急連絡が届くはずだ。
最後の力が抜けたみたいに、足元がふらついた。
人の波に身体が沈む。
けれど、恐れていた衝撃はやってこなかった。
誰かの手が響の腕を掴んでいる。強い力で身体を引き上げられた。
「掴まって」
誰かはそう言うと、軽々と響を横抱きにした。
デカい。男。助かった。
断片的な情報が頭の中に浮かぶ。
響を抱えた男は、そのまま緊急停止していたエスカレーターの手すりを駆け上がっていく。
――ブルース・ウィリスのアクション映画で、こんなシーンあったな……いや、ジェイソン・ステイサムだっけ?
どこか夢心地のような気分で、響はそんなことを考える。
地上へ伸びるエスカレーターも階段も人で埋まっていて、その頭上を、男は安定した足取りで進む。
男からは、なんだかとてもいい香りがした。
乱れた呼吸も鼓動も落ち着いていく。
安心した。驚くくらいに、心の底から。
無事地上に辿り着く頃には、響の本能を支配していた不快感はすっきりとなくなっていた。
地下から逃げ出してきた人々や野次馬、警察や救急隊が入り乱れる混乱を離れ、歩道のベンチに降ろされた。
「……あの、ありがとうございました。本当に、助かりました」
マスクを外し礼を言う響を、男は無言で見下ろしている。
かなりの長身だ。百七十八センチある響より、十センチは高いかもしれない。手足も長いし肩幅も広い。
長い前髪で目はよく見えないけれど、鼻筋はスッとしているし、顎のラインも綺麗だし――と、響が多くを観察する間も、男は何も喋らない。
「……え、と……何かお礼を――」
「……バルドル」
男が唐突に、何語なのかもよく分からない言葉を発した。
――バルドル?
聞き覚えのない単語に首を傾げると、男は響の足元に片膝を立て|跪《ひざまず》いた。
そして大きな手で、響の両手を握る。触れられたところから、じんわりと熱が伝わる。
見ず知らずの他人に、突然しっかりと手を握られているのに、振り解くことができない。
それは男の力が強いからだけでなく、自分が彼の手を不快に感じていないからだ――と気づいて、響は困惑する。
「会いたかった。ずっと。……俺の神様」
男が手の温度と同じように熱く囁き、響の困惑をさらに深めた。
「……は?」
……神様、だって?
地下鉄で感じた危機感とはまた違う種類の危険を感じる。
自分の見た目が良い――それもかなり――ということは自覚している。
自惚れでも自意識過剰でもない。整った形の目と鼻と口が、適切な場所に配置された顔だという、ただの結果であり事実だ。
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