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第19話
「んぅ……っ」
唇を押し当てられ、反射的にのけぞる俺を阻むように手が後頭部に回された。
でもそれも、無理やりとかじゃない。
優しく、支えるような手つきに、俺はそのまま身をゆだねてしまう。
というか、気持ちよすぎてもうなにも考えられなかった。
「……はぁ……んんっ」
ねっとりとした中条の舌に俺の舌が何度も何度も絡め取られる。その度にぞくぞくと体が喜ぶのを感じながら、俺は必死で中条に縋りついていた。
「んー……、もう行かなきゃだな……鐘鳴っちゃった……」
名残惜しそうに放たれたその言葉で俺は我に返る。
鐘が鳴ったのにも気づかないくらい、夢中になってた……。
「尊、大丈夫か? そんなんで授業受けれる?」
ぼうっとする俺を心配そうに覗き込むイケメンが憎らしい。
おれを”そんなん”にしたのは、お前だろ!
「な……、なんで、お前は、そんなに平気でいられるんだよっ」
「なんでって……、そりゃ、慣れてるからとしか……」
「うぅ……」
くそ……。そうだよな。
国宝級イケメンと地味男の経験値なんか天と地ほどの差だよな……。
ちくりと胸が痛んで、俺はそれ以上考えるのをやめた。
彼女だからとは言われたけど、それは所詮ただの名ばかりで暇つぶし相手にしかすぎないんだ。そんなことは、わかってる。
「でも、こんなに気持ちいいキスは尊が初めてだから安心して」
「なんだよ、安心って。俺はそんな不安になんかなってない!」
「ツンデレな所も可愛いな」
ちゅっとリップ音をわざと立ててキスが降ってきて、俺はまた固まる。そんな俺の反応を中条はふ、と笑った。
「慣れるように、いっぱいキスしような」
「――ば、ばかか! 誰がっ」
「え、しないの? 忘れられないくらい良かったのに?」
「あーもう、言うな! 忘れろ!」
腰に絡みつく腕を押しやって中条から逃れた俺は、外階段からのドアから校舎内に入った。幸い予鈴が鳴った後のため、人気はほとんどなく怪しまれることもなくほっとする。
でも、俺の心臓は全然鎮まらない。
「尊」
「……なに」
今度はなんだ、と思えば、中条は耳を寄せて「今週末、デートしよ」と小さく言った。
「やだ」
「なんで」
「いやなものはやだ」
だって、絶対俺のことをからかって楽しむに決まってる。
俺の拒絶に、中条は大げさに傷ついた顔をするが無視だ。
「えー! 久しぶりに二人っきりでデートしたいなぁー」
「ばっ、お前、声でかい!」
しー、っとジェスチャーでねめつける。
この前の学校でのキスといい、さっきといい、人目を気にするってことを知らないんじゃないかと神経を疑いたくなる。
だけど、中条はにたにたと無邪気な笑顔を浮かべてて、俺はその可愛さにまた胸が打ちぬかれてしまう。
あー、もー、無理無理無理。
こいつといると、俺の心臓がもたない。
なのにこいつは、
「してくれないなら、教室で付きまとうよ?」
それでもいいの? と言ってきた。
ひ、卑怯だ……!
そんなことされたら、今度こそ俺の平穏なスクールライフが脅かされるじゃないか……!
うううう……。
「――……わかったよ。付き合えばいいんだろ」
唸った挙句、俺は仕方なく負けを認めるしかなかった。
*
約束の週末。
セットアップを完了した俺は、待ち合わせの場所に向かった。
姉ちゃんのお任せで仕上がったmiccoは、パステルグリーンのフリルブラウスに白のロングスカートというThe女子仕様だった。
「よっ」
「え……?」
待ち合わせ場所で顔を合わせるなり、中条にフリーズされて俺も「え?」となる。
あれ、どこか変だっただろうか。
不安になってかつらがずれてないかをまず確認する。
大丈夫、ちゃんとついてる。
メイクも服装も姉ちゃん担当だから、おかしくないはず。
じゃぁなんだ、と中条の反応を待てば「わざわざmiccoにしてきてくれたの?」だと。
「はっ? だって、おまえがデートって言うから」
デート=miccoだろ?
と思っていたのは俺だけだったらしい。中条は手で口元を覆って笑いをこらえている。
「おまっ、わ、笑うな!」
「違うよ、嬉しくて、顔がにやけちゃうから隠してるの」
ふて腐った俺をなだめるように、中条は「ごめんごめん」と言って俺の頭に手を置いた。
長い髪を手で梳いて降りてきた手は俺の頬に添えられる。柔らかくて暖かいその手の感触が心地いいと思ってしまう俺、はい、重症。
完璧に国宝級イケメンに絆されてしまってる……。
「俺はmiccoでも尊でもどっちでも嬉しいんだよ。――でも、miccoのが尊のかわいい顔がよく見えるから嬉しいかな」
ったく、こいつは……。なんでそういちいち恥ずかしいことをずけずけと言うかな!
顔がぐんぐん火照るから、俺は中条の手を払う。
しかしやつは気にすることなく、俺の手をとって握ると「じゃ、行こうか」と歩き出した。
つーか、今日の中条もめちゃくちゃかっこいいな。
一歩遅れて歩きながら、俺は中条の姿を見る。
海外の有名スポーツブランドのシャレオツな配色のTシャツに、緩めのジョガーパンツ。ほんっと、嫌味なくらいなに着ても似合うんだから感心してしまう。
すれ違う人みんな中条を振り返っていくし、その相手はどんな奴だって俺にまで視線が突き刺さるんだ。
これだからイケメンの隣は居心地が悪いのに。平和に暮らしたいのに、中条はそれを許してくれない。
でも……、こうして中条のそばに居られることを望んでいる自分がいるのは、否定できなかった。
俺たちは近くのファミレスに入ってとりあえずドリンクバーを注文した。
「お、ちゃんと勉強道具持ってきたじゃん」
「当たり前だろ」
席に着くなり教科書ノートを広げる俺たち。
そう、今日はデートとは名ばかりの勉強会だった。
学年最初の期末試験が目前まで迫っていたため、デートがしたい、と言った中条に、俺はそれでも食い下がって試験勉強するなら良いという交換条件を出して今に至る、というわけ。
そうだ、俺には、キスだどうのこうのと現を抜かしている余裕なんかないんだ!
どうか発情期に戸惑っている高校生だとは思わないで欲しい。俺たちはジュースをお供にもくもくと勉強に打ち込んだ。
俺と中条の成績は似たり寄ったりくらいで、俺は数学が苦手で中条は歴史が苦手だとお互いに知る。こういう何でもないことを知ると、俺たちってそんなことも知らないくらい浅い関係なんだな……とちょっと切なくもなるが、こうして少しずつでもこいつのことを知れるのは実のところ嬉しかったりする。
「なぁ、ここの数式ってこれで合ってる?」
「どれどれ? んー、逆さだと見づらいな」
立ち上がった中条は俺の方に来ると「ちょっと詰めて」と隣に座った。
いつもの中条の香りが鼻先を掠めていく。無駄にくっついて座るものだから、肩と肩が触れ合った。
「ちょ、中条、せまい」
「文句言わない。わかんないのここ?」
「う、うん」
その近さに、嫌でも心拍数が上がる。
男同士なら別になんてことのない近さなのに、あぁもう、俺はいちいち……。
平静を装って、俺は隣で教科書を覗き込む中条の、彫刻のような横顔を眺めた。
伏せられたまつ毛は長くくるんと上を向いて、頬に影を落とすほどにびっしりと生えているし、鼻は外国人かってくらい高くてすーっとした鼻梁が羨ましい。
薄い唇は柳の葉のように美しい線を描いている。
この唇と、キスしたんだよな……。めちゃめちゃ柔らかくて、甘くて。それで……気持ちよくって……。
「またキスしたくなった?」
「――っ、ば、ばか、なに言ってんだよ、ここファミレスだし!」
「ふは……くくくっ」
なぜかツボに入ったらしい中条を俺は睨みつける。そうやってすぐに俺をからかって面白がるんだから。
「なにが面白いんだよ」
「いや、だってさ、その言い方だと、ここがファミレスじゃないならしたいって意味に聞こえるんだもん」
――ぼっ、ぼぼぼぼぼっ
「ち、ちが……」
羞恥心に襲われ顔を真っ赤にする俺に、中条は「どこでならキスしていい?」と耳元で囁いた。その熱を帯びた声に、体がぞくりと震える。
「どこでもよくない!」
「可愛いなぁ」
「っだーもう! この人たらし。早くここ教えろ」
あぁ、俺の心臓どうしてくれるんだよ。早死にしたら絶対こいつのせいだ。
俺はいたたまれず教科書に向き直ると、中条は丁寧に数式の解き方を教えてくれた。肩や手が時折触れる度に俺はなんだがどぎまぎしてしまう。これじゃぁまるで恋する乙女みたいじゃないか……。俺の頭はお花畑か?
ぶんぶんと頭を振って意識を勉強に集中させたその時、
「おっ、佑太朗じゃん」
と呼ぶ声が降ってきた。
俺と中条が声に振り向くと、そこには男女3人ずつの高校生らしきグループがいた。
「おー、久しぶりー! お前ら相変わらずつるんでんだなぁ」
どうやら中条の友人たちらしく、中条は笑顔を彼らに向ける。グループの女子たちは一様に頬を染めてはにかんだ。
あーわかるなー。このイケメンスマイル向けられるとさ、直視できないんだよな。
内心で同意しつつ、ぽかんと彼らの久しぶりの再会のやり取りを眺めていると、
「――みんなどうしたの?」
と、遅れてやってきた一人の女子が、立ち止まる友人たちを不思議そうに見てそう言った。ひと際目を引く綺麗な顔をした子だな、と目を奪われる。長いストレートヘアは艶やかに背中に流れ、大きな黒い瞳はきりっとしていてTheクールビューティーといった雰囲気を醸し出していた。
「あっ……石黒……、その、佑太朗に偶然会って」
「え……?」
石黒と呼ばれた彼女は驚いて、ゆっくりとこちらを向いた。その瞳がさらに見開かれて、中条を捉えたのだとわかるのと同時に、彼女にとって中条が特別な存在だということがその表情から見て取れてしまった。
「――久しぶり、茉央(まお)」
あぁ……、なんかあったな、この二人。
俺が知る中で、中条が女子を名前で呼んだことは一度もない。それに加えて、中条が石黒さんに向けた表情で、ただの旧友ではないことは明白だった。
「久しぶりだね。……――もしかして……佑太朗くんの彼女さん……?」
石黒さんの視線が俺に向けられた。
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