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第20話

 そうだった! 俺、今女装してんだった!  すっかり忘れてた俺は慌ててよそ行きの顔を作り軽く会釈をする。 「うん、そう」 「あ……、そう、なんだ」  彼女の瞳が揺らぐ。その傷ついた表情に、たまらず目を逸らした。  な、なんで、俺が気まずくなってるんだよ……。 「うっわ、彼女ちょー可愛いじゃん!」 「な、なぁ……、もしかして、miccoさん……?」  その声に、女子の一人が「あ!」と声をあげた。 「そうじゃん! 佑太朗くん、この前リンスタでmiccoとコラボしてたよね!」 「そうだった、うちの学校でも話題になってたよな! お前いつの間にそんな有名人になったんだよ」  そうそう、とそれぞれが口を合わせてから、再び視線が俺に集中する。  うっ……、身バレだけは勘弁してくれ……!  俺はテーブルの下で中条の裾をくいくいっと引っ張って助けを求める。 「あー、よく似てるって言われるけど、違うんだ。こいつ極度の人見知りだから、ごめん」 「うわ、悪いっ、急にこんな大勢から声かけられたらビビるよな」 「ごめんねぇ、彼女さん」  言われて俺は「あ、いえ、全然! 佑太朗くんのお友達に会えて良かったです」と返した。不自然にならない程度の裏声は、姉ちゃんと出かけることが多かった昔にマスター済みだ。今まで中条といる時に使わなかったのは、単に疲れるのと、気持ち悪く思われるのが嫌だったから。 「急に悪かったな佑太朗」 「全然、久しぶりに顔見れてよかったよ。またな」  一行はぞろぞろと奥の席へと消えていき、俺はほっと胸をなでおろした。 「ふぅ……――って、なんだよ」  俺の顔をきょとんとした顔で振り返った中条を睨む。俺は、なんとなくむかむかしていた。なのに、こいつはくすくすと笑い出しやがった。 「もう女の子じゃん」  声のことを言われたのだとわかり俺は恥ずかしくなる。  だから嫌だったんだ、知り合いの前でこの声を使うのは。笑われた俺は返事をする気も失せた。  無言のまま教科書に向けば「尊、怒った?」と中条の声が追いかけてくる。  そりゃ、笑われて良い気分なわけがない。でも、今口を開いたら余計なことまで言ってしまいそうで俺は無視を決め込んだ。問題を解いていると、シャープペンを持った右手に中条の手が重なり邪魔をされる。握りしめていた指を解かれてペンを取られたと思えば指を絡めて握られた。  掌の肌と肌が触れ合って密着して、その滑らかな肌の感触とぬくもりに胸がとくんと高鳴る。黙ったまま抗議の目を向ければ、紅茶のように透き通った瞳が俺を見下ろしていた。  そして、それは一瞬のこと。  中条の瞳がズームされる。  いや、俺の目にズーム機能なんてものは搭載されていない。  ズームされたんじゃなくて、中条が近づいてきたんだ――と気づく間に、キスが降ってきた。  押し当てられたと思えば一瞬離れ、そして絡み合う視線。それもつかの間、再び触れたそれは、はむ、と俺の下唇を一度食んで引っ張りながら離れていく。  ぞくぞく――――  唇って、こんなに感じるもんなのか。  中条とのキスは、いつでも俺に快感をもたらすんだ。そう、それがどこでも。 「ば、ばか、おま……」  ここをどこだと思ってんだぁぁ!  そう叫んで目の前の美顔をぶん殴ってやりたいのに、体に力が入らない。それにきっと、俺はこの彫刻像のように美しい顔に傷をつけるなんてことはできないだろう。 「ごめん、可愛くて我慢できなかった」  俺は怒ってるのに……! 「可愛いって言えば済むと思ってるだろ、お前」 「思ってないけどさー、尊返事してくんないし」 「それは、お前が笑うから……」 「ごめん。それは、びっくりしたのと、声が可愛かったのと、尊に名前で呼んでもらえてうれしかったのとで笑っちゃった。嫌な思いさせたならごめん」 「……馬鹿にされたのかと思った」  ぼそりと呟いた俺の言葉に「するわけないじゃん」と中条は言う。確かに、こいつは人を馬鹿にして笑うようなやつじゃないのはわかってる……。ホントは、このむかむかの原因は別にあるって気づいてた。  俺はそれを我慢できずに中条にぶつけてしまう。 「あの黒髪ロングの人、……元カノ?」 「あぁ茉央のこと? そう、元カノ。中学の時の話だよ」 「ふーん……、彼女いたんだ」  中条が高校生活で彼女がいたという話は聞いたことがなかったから意外だった。いつも特定の彼女は作らず、女子生徒からのアタックをらりくらりとかわしながら遊んでいるという話はいくらでも聞いたことはある。  以前、「彼女ができた」発言をしたときにクラスが、いや学校全体の女子が絶叫していたのはそんな背景があったからだ。  そんな中条も、中学時代には彼女がいたんだ……。しかもあんな美人な彼女が。  中条は昔の話だと言っているが、あっちはまだ未練ありそうだったな……。  そう思ったけど、もちろん口にはしない。 「え、なになに、もしかしてヤキモチ?」  ヤキモチ……?  それって、好きな相手に対して抱く気持ちだよな……?  もしこれがヤキモチなら、俺がこいつを好きってことになるじゃん。ないない、それはない。 「ちげーよばーか。ただ気になっただけ」 「大丈夫、俺には尊しか見えてないから」 「だから、そんな心配はしてねぇっつーの! おいこら、抱きついてくんな、離れろっ」  腰に回った手をつねってなんとか引きはがす。邪険に扱われてるのに、中条はにこにこと嬉しそうで、さっきまでのもやもやは嘘のように消えていってしまう。 「ちょー可愛いって言われてたね、俺の彼女」 「あいにく俺は男だけどな」  まぁ、正直なところ可愛いもの好きだから、可愛いと言われて悪い気はしない。そもそもmiccoは姉ちゃんの“作品”だから、褒められたら純粋に嬉しいんだ。 「じゃぁ、ちょー可愛い俺の彼氏」  こいつといるとホント調子狂う。 「ふっ……なんだよ、もうっ」  俺は降参して、笑ってしまった。 *  ひよりと中条がうちに来る日。  母さんはどうやら昨日からなにかを仕込んでいた模様。ひよりが母さんの手料理食べたいって言ってた、と伝えたら早く連れておいでとテンション爆上がり。ついでに、俺と姉ちゃんの料理に対するリアクションが薄くて作り甲斐がないのだとお小言までついてきた始末だ。  ひよりは部活を少しやってから来るとのことで、俺は中条を連れて先に帰宅していた。中条の家は、俺の最寄り駅から更に2駅ほど行った所にあるから、定期券の範囲内で来れる。 「おじゃましまーす」 「いらっしゃーい。今日もイケメンねぇ、佑太朗くんは」 「お母さんも今日も綺麗ですね」 「あらやだもー! お茶とおやつ用意しとくから後で取りにきなさいね」  イケメンはいつでもイケメンだよ、母さん。  心の中で突っ込みつつ、俺と中条は二階の俺の部屋へと上がる。 「あんまり褒めると母さん調子のるからやめろよな」 「えー、だって本当のことだし」 「あーお前はそういうやつだったな」  可愛いとか、恥ずかしげもなく言えちゃうやつだった。 「そういうやつって?」 「誰にでもかわいーって言えるやつ」 「俺尊にしか言わないけど」 「え? ……あ、あぁ、お前ホントmicco大好きだよなぁ」  そうだ、miccoが理想なの忘れてたわ。  部屋に入った俺は、鞄を椅子に置いてから転がっていたクッションを中条の近くに置き、折りたたみ式のちゃぶ台を組み立てる。今日も試験勉強をする話になっていた。ちょっと狭いけどこれで我慢してもらうしかない。 「よし、これでおっけー。中条は座って待ってて、俺飲み物取ってくるから――うぉっ?」  進行方向と反対方向に腕を引っ張られてよろけた俺は中条の胸に顔をぶつけた。ただでさえ低いのに鼻がこれ以上潰れたらどうしてくれるんだ、この野郎。  内心の文句とは裏腹に、中条の腕が背中に回されたせいで俺の心臓はまたしても急加速を始めた。  中条は俺の頭上で「はぁ……」と息を吐いて、腕をぎゅっと密着させる。  6月に入って衣替えがあり、ワイシャツ一枚になったことでお互いの体温や感触がよりダイレクトに伝わってくる。  うわ……うわっ……これヤバい……!  中条の掌が俺の腰と背中を撫でるように触れる。そこからじわじわと広がる熱は俺からなのか中条からなのかわからない。  いろんな刺激に頭が半分パニック状態になって俺は言葉も発せられずにいた。 「ずっとこうしたかった」  耳元で発せられた言葉は、ひどく切なげだ。  中条は今、どんな顔をしてるんだろうか。見てみたいけど、恥ずかしくて顔をあげられない俺は中条の胸の拍動に耳を傾ける。  とくとくとく、と規則正しいそれは、いくらか平常時よりも早いのではないか、と思う程度で俺のに比べたら歴然の差だった。  中条に抱きしめられるのは嫌いじゃない。嫌いじゃないから、余計に困る。 「俺、尊のことしか可愛いって思えないよ」  ひぇぇぇっ!  いきなり甘々モード突入すんなよなぁ!  こっちは免疫ないっていうのに!  つか、俺はこれになんて返せば良いんだ?  正解のわからない俺は「う、うぅん……」と返事とも唸りともつかない声を漏らした。  まぁ……、中条が可愛いって思ってるのは、俺じゃなくてmiccoだからな。 「キスしていい?」  降ってきた突拍子もないセリフに、俺の心臓は陸に釣り上げられた魚のごとく跳ね上がった。 「お、お前は、またそういうことを……! だ、だめって言ったらしないのかっ?」 「ううん、する」  するんかい!  いや、そうだよな、こいつはそういうヤツだよ。わかってたじゃんか。 「キスしたい」  耳元であまく囁かれ、顔に熱が集中する。 「キスしたい」  うわうわうわぁっ…… 「尊にしか、欲情しないよ」  よ、欲情って……!  最強にエロくて甘い言葉に、めまいがした。

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