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第9話 2章 星夜と名付けて

 そういうわけで、彰吾は生活する上での基本的な事柄を星夜に教えた。何しろ、自分から食事をすることさえしない。目の前に出されないと食べない、それが星夜だった。彰吾が不在の昼食でも、自分で食べて、食後の食器は食洗器に入れる。そこから教えた。  星夜は、思いの外素直で、覚えも良かった。教えたことは、概ねきちんとこなす。今はまだ、食事は彰吾が準備するが、そのうち簡単な料理は教えても いいかなと、彰吾は思っている。  そんなことも含めて、焦ってはいけない、彰吾はそう思っていた。確実に星夜の中で、死のうとする気持ちは薄れている。このまま穏やかに過ぎて欲しい。そして徐々に、心も開いて事情を打ち明けて欲しい。それが彰吾の願いであった。 「あ、あの彰吾さん」  彰吾のことは名前で呼べと言ってある。柏木でなく、彰吾と呼べと。 「うん、なんだ?」 「髪を切りたいのです」 「……? 美容室へ行きたいのか?」 「美容室は、お金がないので」 「金の心配はいらないし、髪を切るなら美容室だろ。俺は、メスで人を切るのはプロだが、髪は切れんからな」 「あの、じゃあ美容室に行きたいです」  きれいな黒髪だ。定期的に美容室へ行き手入れしていたであろうことは察せられる。だから、髪の手入れをしたくなったのか……これは益々良い傾向。生きる意欲がある証拠とも言える。死にたい人間に髪などどうでもいいだろう。  星夜は、髪さえ切れれば、どこでも例えば彰吾が切っても良かったのだが、美容室でも勿論構わないと思い同意したのだった。  髪を切ることに関して、彰吾の考えは星夜のそれとは違っていたが、良い意味で裏切られることになる。  彰吾は、早速自分の行き付けの美容室を、星夜のために予約した。それは、星夜をここへ保護してからの初めての外出になる。当然自分が連れて行き、付き添っていなければならない。 「明後日予約が取れた。俺の休みに合わせたから連れて行く」  彰吾の休日、普段より少し遅く起きて朝食をとる。星夜も彰吾が作った物をテーブルに運ぶくらいは出来るようになった。慎重に運ぶ姿が可愛らしいし、ここでの生活に大分馴染んできたようだ。  今朝は食後のコーヒーを入れる時、入れ方を教える。と言っても、本格的なドリップコーヒーではなく、コーヒーマシーンをセットするだけだから簡単だ。それでも、出来上がった時は嬉しそうにして、真剣な表情でカップに注ぐ姿は、やっぱり可愛い。これはいかんなあと、彰吾は自嘲気味に思う。  日々星夜を可愛いと思う気持ちが増していく。傷ついた小鳥を庇護する親鳥の気持ちもあるが、それ以上の思いが増していくのを自覚している。 「うん、美味い! 簡単だけど美味いだろ。本格的なドリップコーヒーでなくても、俺にはこれで十分だ」  星夜も頷く。思ったより簡単に入れられて、少々意外だったのだ。もっと難しいと思っていた。  ここへ来て、教えられたことは、難しくなく覚えると簡単だ。そして、それをこなすと彰吾は必ず褒めてくれる。褒められると、素直に嬉しい。彰吾の褒め方は自然で、嫌みがないからだ。 「飲んだら髪切りに行くぞ。予約の時間がある」  彰吾が飲みながら言うと、星夜は頷きで同意した。

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