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酒場1
「ね、ねぇ。レオネ様っ、この後ご予定は……」
酒場の安い楽器で奏でる不揃いな旋律の中、レオネと踊る若い娘は意を決したように切り出してきた。頬が上気しているのはテンポが速い曲のせいだけではないだろう。
「あー……友人と合流する予定なんです」
頭の中にいくつかある断り文句から適当なものを選び口にした。
「そうですか。残念」
娘がガッカリした様子でそう呟くとちょうど奏でられていた曲が終わりそこかしこで拍手が起こった。間髪入れず次の曲が始まるが、レオネはこのタイミングでダンスから抜けることにした。
「素敵な時間をありがとう、お嬢さん」
名も知らない娘の手の甲にキスを落とし、社交界でするような丁寧なお辞儀をして、その場を辞する。娘はうっとりとし何も言わず見送ってくれた。
(可愛いんだけど、若すぎるよな)
若い娘は本気になりやすく、後々トラブルになる事が多い。処女だとなお面倒だ。
踊っていた娘と離れると待ち構えていたように次々と声を掛けられる。女からも。男からも。
「レオネ、次は私と踊りましょうよ」
「ゴメン、ちょっと休憩」
「やあ! レオネ。一緒に呑まないか!」
「すまない、また今度!」
レオネは一つに束ねた長い金髪を尻尾のように揺らし人波を掻き分け酒場の中を進んだ。
レオネ・ロレンツ・ブランディーニ。
ロヴァティア王国の地方領地ロトロを収める候爵家の次男として生を受け、現在二十二歳。
レオネは自身の見た目の良さを自覚していた。
両親から授かった金髪と青い瞳。平均的に伸びた骨格を覆う健康的な筋肉。偶然バランスよく揃ったそれらの要素により、いつも人々から『美しい』と言われている。特に金髪はいつの時代ももてはやされるものだからと、父親の勧めで十五歳の頃から長く伸ばしていた。
普段はその父親の命を受け、貴族たちを相手に社交の場で愛想を振りまく日々。時にはご婦人達のご機嫌取りで寝室を共にすることもある。そんなレオネの息抜きがここ港町ラヴェンタにある海亀亭。商人をはじめ、港で働く荷役夫や船員、工場の女給など、気取った社交界とは全く違う人たちの世界がここにはある。
喉の乾きを感じカウンターに寄りビールを注文した。グラスに波々と注がれた黒いビールを受け取っているとまた声を掛けられた。
「ブ、ブランディーニさん」
呼ばれて振り向くと猫背の野暮ったい男が立っていた。茶色の長髪を後ろで縛り、顔にも長い髪がかかり目がよく見えず陰気な印象。
「なんでしょうか」
「い、一緒に呑みませんか? 彼女達も一緒に」
彼の視線の先には娼婦が二人。テーブルに頬杖をつきこちらに手を振っている。この男はレオネをダシに娼婦達と遊びたいのだろう。レオネにとってはよくあることだ。
(娼婦と遊ぶカネがあるのなら一人で買えばよいのに)
レオネはそう思いつつも、申し訳なさそうな顔を作り男に視線を戻した。
「せっかくのお誘いで申し訳ないのですが、友人と待ち合わせてまして」
レオネの返答に男はガックリと肩を落とし「そうですか……」と小さく呟いた。レオネは「では」と軽く会釈し男に背を向けた。
『さてどうしようか』と辺りを見回すと入口付近の円卓に顔なじみを見つけた。ここラヴェンタで道具屋を営んでるカルロだ。カルロはレオネよりやや低い背丈でくせ毛にギョロッとした目が特徴だ。カルロが座る円卓には中年の男が二人いた。カルロはその男達に嬉々として話しかけているようだった。女以外に嬉しそうに話すカルロは珍しい。レオネは円卓に近づき声をかけた。
「やあ、カルロ」
「おー! レオネ。今夜も選り取り見取りかぁ?」
「こちらはお知り合い?」
レオネが男二人に軽く目礼しつつ尋ねるとカルロはヤレヤレと大げさな身振りを見せた。
「レオネ……こちらの方がわからないのか?」
レオネはカルロが示した方の男を見た。
年は恐らく三十代半ば。座っていてもわかる鍛え上げられた大柄な体型で、短い黒髪に銀縁の眼鏡の奥に鋭く光る黒い瞳。着ているものはごくごく庶民的なジャケットなのだが、胸板の厚さや、コーディネートの良さで洗練された大人の装いだと感じさせる。
「お会いしたことがありましたでしょうか」
こんな印象深い男は一度会ったら忘れなさそうだが、一応聞いてみる。男はレオネをチラッと見ると煙草の煙をフーッと吐き出した。
「いや、君とは初対面だよ」
実に耳心地の良いバリトンボイスが響く。
「レオネ、知り合いとかじゃなく、超有名人! こちらの方があのジェラルド・バラルディ氏だよ!」
カルロはギョロ目を大きく見開き声を張り上げた。レオネは驚き彼を見た。当人はなんて事はないという風にウィスキーのグラスに口を付けている。
(この人があの巨大豪商のトップ……!)
ジェラルド・バラルディ。この国でその名を知らぬ者はいない。
ロヴァティア王国に拠点を置き、国内外で幅広く商売を行っている貿易会社バラルディ商会。今や貿易だけでなく製造業や物流業など、多岐にわたり商売を広げ、その資産は王族を凌ぐほどだと言われている。
するともう一人の中年男が声を潜めてカルロを咎めてきた。
「君、君〜、あんまり大きい声で言わんでくれたまえ。ここの輩でジェラルド様に気付いてるのは君くらいなんだから」
小柄な四十過ぎの男だ。白髪混じりの髪をセンターで分けたっぷりの整髪剤で撫でつけてある。丸い分厚い眼鏡をかけた少し出っ歯な男だ。
「そうだ。ここの奴ら奢れと言われても、私はびた一文払う気はないぞ」
ジェラルドが壁に寄りかかりながら小馬鹿にしたようにそう言い切るとカルロは「えー、期待してたのになぁ」と大げさに残念がった。確かにこの海亀亭にバラルディ商会会長が来ていると知れば、大勢の客が奢ってくれ、と言い出しかねない。
「では、自分の酒は自分で持ってきたので、私はご一緒させていただいてもよろしいですか」
レオネは社交界で培った笑顔を浮かべジェラルドに尋ねると、彼は空いている背もたれのない丸椅子に座るよう促した。許可が下りたのでジェラルドへ右手を差し出す。
「レオネと申します」
ファミリーネームは名乗らない。
ジェラルドは座ったまま右手を出してきた。
「バラルディだ」
レオネより一回り大きく肉厚なその手は温かかった。
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