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酒場4
ガッカリした気持ちを隠し、レオネはからかうように話題を繋げた。
「ご主人が一年も不在となると奥さまは寂しがっていらっしゃるのでは?」
レオネの政略結婚にそこまで拒否反応を示すとなるとジェラルドは自身で妻を選んだのではないだろうか。相思相愛の夫婦ならば長期間離ればなれになるのはきっと寂しく感じているだろ。
だが……、
「いや、妻とはもう死別してるんだ」
ジェラルドは少し寂しそうな、でも優しそうな笑みを浮かべた。レオネは絶句しつつ言葉を絞り出す。
「あ……不躾に申し訳ありません……」
「立場上よく聞かれるんだ。気にしないでくれ。もう八年も経つし」
「八年……」
どう言葉を続けてよいか分からない。レオネの落ち込みを察してかジェラルドが話を続ける。
「子供は息子が一人でね。女性の同伴が必要なときは姉を連れて行くのだが、これが出戻りのくせに私以上に会長のような態度なんだ。やたら再婚させようとするし、なかなか面倒だよ」
「再婚は考えていらっしゃらないのですか」
やれやれと愚痴るジェラルドだが、大富豪で見た目も良くまだまだ若い。そりゃ引く手あまただろう。やはり妻をまだ愛しているのだろうか。
レオネの質問にジェラルドは淡々と語り始めた。
「四十間近の男が再婚相手を選ぶとなると、どうしても条件で選ぶようなことになる。さっき君に反対したような政略結婚が私にも起こるのだよ。息子も今年から私の仕事を手伝い始めたし、私が再婚して子供を授かるような事態になると、跡取りの問題も発生しそうで面倒だ」
「なるほど……」
レオネとは立場も状況も違えど親近感が湧いた。違いはジェラルドは自身でそれを払いのける力があることだが。
「それに……他人の人生を背負うのはもう無理だな。若い時は何も考えず勢いで結婚できたけど」
目つきは鋭いが時折とても優しげな表情を見せるジェラルド。レオネはこの人の愛情を当然受け取っているだろう家族がとても羨ましくなってきて、なんだかとてもこの男の視界に入りたいという思いが胸の奥で膨らんでいた。
深夜になり客はずいぶん減ってきた。
店員が客の居ない場所から片付けを始めている。
「明日の船は何時出港なのですか?」
「確か十時だったかな。これで三日間狭いキャビンにあのウーゴと二人生活だよ」
うんざりした様子でジェラルドが言い、レオネは思わずクスクスと笑ってしまった。
そろそろ彼を解放してやらなければ、と思うのだがこの時間を終わらせることを惜しく感じる。
チラリとグラスを傾けるジェラルドの横顔を盗み見る。
もう残り少なくなった琥珀色の液体が彼の唇に吸い込まれていく。嚥下に合わせて喉の尖りがゴッと動いた。その頬や唇、喉に自身の唇を這わせたい衝動がこみ上げてくる。男にこんな感情を持ったのは初めてで、レオネは自分自身に驚いた。
これで別れたら一年は会えない。帰国しても彼はきっと自分のことなんて忘れてしまうだろう。だったらどんな醜態を晒しても失うものは無いに等しい。
レオネの視線を感じたのかジェラルドがレオネを見た。視線が絡む。
「ん?」
ジェラルドが小さく聞いてくる。レオネはあわてて自身のグラスを持つ両手に視線を落とした。
「あ、あの……」
まだ決意が出来てないのに口が勝手に開いてしまった。
「私……今日は車を返してしまったので、帰る脚が無いのです……」
ジェラルドが微かに目を見開き固まった。レオネが何を言い出したのか察しているような気がする。だがもうここまで来たら言うしかない。
「……だから、貴方の部屋に泊めてもらえませんか」
心臓が早鐘のように鳴っていた。女を誘うのにこんなに緊張したことはない。
男が男の部屋に泊めてくれと言うのは別に不自然ではないだろう。カルロもよく男友達と夜明けまで飲み明かしたと話している。
だがジェラルドは「はぁーっ」と大きな溜息と共に自身の手で両目を覆った。やはり唐突すぎて軽蔑されただろうか。レオネは緊張しつつ返事を待つ。ジェラルドが顔を隠していた手を下ろし、レオネを見た。
「君は……自分の容姿を自覚してるのか」
呆れた様子で投げかけてくる質問。レオネはその意図を測りかね聞き返した。
「……と、いいますと……」
「君ほどの美しい男が泊めてくれと言ってきたら、大抵の男は下心を抱くぞ」
物心ついた頃から挨拶のように言われてきた容姿への賛辞。しかしジェラルドに『美しい』と言われたことにじんわりと嬉しさが広がる。だがこれはジェラルドからの警告でもあるのだ。
レオネは迷った。
今ならまだ『そんなつもりは無かった』『男同士だから気にしてなかった』とでも言って誤魔化せる。軽蔑されるのはやっぱり嫌だ。だがジェラルドとこれきりで別れるのはもっと嫌だ。
「……貴方もその大抵の男の一人ですか」
レオネは真っ直ぐにジェラルドを見つめて尋ねた。ジェラルドは一瞬驚き、三秒ほど考え込み、そして深呼吸に似た溜息をつくとレオネに視線を戻し、ニヤリと笑みを作った。
「そうだよ」
吐息交じりで大人の男の色気を含んだその『そうだよ』はレオネの鼓膜と胸を震わせた。
顔が一気に熱くなる。きっと真っ赤になっているだろう。レオネはジェラルドを見つめ、意を決し再び願い出た。
「だったら、なおさら泊めてほしいです」
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