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酒場3

「何か追加でいかがですか?」  しばらくするとウェイトレスが話ばかりではなく注文しろと催促しにきた。ジェラルドはメニューを受け取りそのままレオネに差し出してきた。 「何か頼め。奢る」  ジェラルドが素っ気なく放ったその言葉にレオネは驚いた。 「え、いいんですか?」 「ああ」  ジェラルドが少しだけ犬歯を見せ笑う。カァッと耳が熱くなる感覚がした。  この男は『奢れと言われてもびた一文払う気はない』と言い、『払う価値があると思えばいくらでも使う』とも言ったのだ。つまりこの時間は価値があると思っていてくれている。……ということなのだろうか。レオネはジェラルドが飲んでいたウィスキーと同じものを頼んだ。 「君は子供はいるのか?」  奢ってもらった強い酒をちびちびと口にしていた時、ふいにジェラルドが聞いてきた。 「あー、結婚もまだで……」 「ん? 今いくつなんだ?」 「二十二歳です」 「二十二か。貴族にしてはのんびりなのだな。許婚が若すぎるのか?」 「いえ、許婚すらいないので……」  酒の肴にする程度な気軽さで振っただろう話題が思いのほか深刻でジェラルドの眉間に深い皺が刻まれる。新しく火をつけようとしていた煙草を咥えたまま彼の顔には『何故!?』と大きく書かれている。 「えっと……我が家は兄と私の二人兄弟なので、当然父の後は兄が継ぎます。私はどこかに婿に行くべきなのですが父が縁談に望みを高く持ち過ぎてまして、未だに婿入り先が決まらないのです」  レオネは困ったように作った笑顔を向けた。 「高望みとは、相手の家から貰うカネか?」  ジェラルドが怪訝そうに聞く。 「そうです。支度金や条件などですね。うちは今それほど潤っているとは言えない状況なので、私が父の最後の切り札なのです。普通のお嬢さんとの縁談は無いと思います。当主を失って困ってる未亡人とか、当てにしてた一人息子が亡くなったとか。あー……男色家の爵位持ちに妻としてってことも考えられますね」  この国では力ある男性が望めば男でも子供でも異国人でも婚姻関係を結べる法ができた。それ以来、愛ある結婚と言うより様々な契約的な関係に利用されている。レオネが美しく育ち始めた頃にこの法が制定され父親は歓喜した。次男の縁談の幅が広かったからだ。 「君は……それでいいのか?」  笑いながら話したがジェラルドの顔はより厳しいものになっていた。強い疑問は否定だ。良いはずがないと言っている。 「それが私の役目なのだと思っています」 「いや、違う」  ジェラルドはレオネの言葉を遮るように口を挟んだ。そしてレオネの目を見て言葉を続ける。 「自分の人生は自分で選ぶべきだ。さっき時代は今大きく動いているって話をしただろう。まさに今の君の状況がそれだろうに……!」  強い口調で諭すように言われレオネは戸惑った。動揺しジェラルドから目をそらしウィスキーグラスを持つ己の手を見ながらボソボソと呟く。 「しかし、家から離れて生きていく術も私には無いんです。そこまでしてやりたいことがあるわけでもありませんし……」  しかしジェラルドは許し流してはくれずさらに続けた。銀縁眼鏡のレンズ越しに黒い瞳がレオネを貫く。 「君は今まで考えてこなかっただけだ。今の話を聞く限りお父上は縁談を決めかねているのだろう? だったら今がチャンスじゃないのか。例え君が身売りのように結婚しても君の実家も嫁ぎ先もこの先安泰だとは言えないだろう。経済的問題があるのなら、根本を解決しない限り、その愛の無い結婚に君の人生をかける意味は無い」  突然の指摘にレオネは動揺した。結婚以外の道など考えたこともなかった。 「ですが、私達貴族にとって家の為にする結婚は当然のことで……」  と言いかけてジェラルドに目線をやるとギロッと睨まれ気付いた。 「……って、これが時代遅れってことですね」 「その通りだ」  ジェラルドはこちらを見てしっかり頷いた。 「はは、青天の霹靂だなぁ。でもこの通りフラフラ遊んでるだけの次男坊ですよ。こんな私に出来ることってあるんでしょうか」  レオネは両手を軽く広げてジェラルドに聞いてみた。 「例えばだが……自由になる資産があるならそれで事業を起こすとかな。君の得意な分野がいい。君のその容姿は宣伝に使えるから君自身が広告塔になる」  なるほど。そういう手もあるのか。  と、思いつつジェラルドを見つめていると、ジェラルドがはぁーっと溜息をついた。 「いや、ダメだ。一旦忘れてくれ。何か詐欺に巻き込まれそうな気がしてくる」 「私はそんなに頭が悪そうですかね」  レオネは頬をポリポリ掻きながら聞く。 「いや、年齢を重ねた貴族でも騙されて大金を巻き上げられている。私が時々相談に乗れれば良いのだが、明日出立したら戻るのは一年後だ……」  今後も相談に乗ってくれそうな気があるような発言に一瞬喜びを感じたが、次の発言に胸がきしんだ。 「一年も、戻らないんですか?」 「ああ、今回は長めの出張なんだ。とにかく良く考えて、行動する時は慎重に、だ。信頼できる人に相談して……」  ジェラルドの話を遠耳に聴きながら、今後この男に最低でも一年は逢えないという事実にレオネは胸が締め付けられる思いを感じていた。酒場でちょっと話した貴族の若者のことなんて、一年後まで覚えていてくれるだろうか。

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