8 / 48

[7] 縁談

 ベルモンド侯爵家での失態から五日後。  レオネは屋敷の庭で薔薇の蕾を切る作業をしていた。  開花の盛りを終えた薔薇だが、暑くなってきたこの時期でも蕾を出す。このまま咲かせても色や大きさはあまり良くなく、むしろ株を弱らせるので摘み取るのだ。  気分転換に始めた作業だが黙々と一人で作業していると色々なことが頭を過っていく。  改めて振り返ると、ジェラルドに出会ったあの日から女性と関係を持っていないことに気づいた。商会に入りたいと言う目標に邁進していたので、特に意識していなかったのだ。そして先日のベルモンド夫人の件で、女性に反応できないことに気付いた。  性欲が無くなったわけではない。むしろジェラルドとの一夜を思い出しては身を焦がし、夜な夜な自身で慰める日々を送っている。だからこそまさか女性に対しては男として不能になっているとは思いもしなかったのだ。  これは実にまずいのではないか。  縁談以外の道を探しながらも結局は上手くいかず、やはり自分には結婚しかないのか、と思えば女性に対して不能。では殿方からの縁談なら問題無いのか。いや、ジェラルド以外の男に触られるなんて考えただけでゾッとする。つまりこの状況は実にまずい。  今日も日焼けを気にして曇りだからこの作業をすることを決めた。日を遮る厚めのシャツに園芸用のグローブ。つばの大きい麦わら帽子を被っている。おかげで中は汗だくだ。それもこれも貴族では肌の色が白い方がモテるからだ。外で農作業などしない高貴な身分の証。  心ではジェラルドを想いながらも、貴族の淑女達からも気に入られなくてはと義務感を捨てられずにいる。結局は結婚以外の道を探しながらも長年に渡りそれが最善だと思い込まされてきた道を簡単には切れない自分がいるのだ。  パチン、パチン、と剪定バサミで蕾を切っていく。求められていないタイミングで本能の赴くままに出てしまう蕾。それを摘み取る。実に残酷ではないか。  レオネは深く溜息を付いた。 (ジェラルドに会いたい……)  来春には会えるだろうか。  帰ってきたら何らかの方法で連絡してくれるだろうか。  こちらからコンタクト出来るだろうか。  ジェラルドが自分ほと重く思ってくれているとは考えられない。レオネは自身でもこの感情はかなり異常だと認識している。たった一晩一緒にいただけなのに、ここまで想ってしまうなんて客観的にみるとありえない。 「レオネ様。旦那様がお呼びです。」  気が付くと花壇に沿って作られた小道に執事のオネストが立っていた。 「三時には応接間へ集まるようにとのことです。奥様とエドガルド様もご一緒でごさいます」  レオネは剪定していた薔薇の株から顔を上げ、オネストを見た。 「ああ、わかった。今何時だい?」 「二時十五分でございます」 「ん、じゃあもう戻るよ。汗だくだ。着替えたい」 「承知いたしました」  オネストは一礼すると屋敷に戻っていった。  陽射しが出始めて来たのでちょうどいい。レオネは庭の端の作業小屋に道具を戻し、近くの井戸で手押しポンプのレバーを上下させ水を出す。冷たい水で手と顔を洗いながら思った。 (父さまからの話って……まさか……)  自室で身支度を整え、一階の応接間に降りていくと、父ランベルトと母ジーナ、兄エドガルドは既に席に着いていた。  外の明るさと対峙するように暗く感じる屋敷内。開けられた窓から夏の空気が流れ込み、レースのカーテンを微かに揺らしていた。 「お待たせ致しました」  応接間に入り、エドガルドの隣に腰を下ろした。  エドガルドは今日も高い襟のシャツにタイ。夏用とは言えジャケットもしっかり着ている。 (見てるだけで暑いな……)  レオネはひっそりと思う。  レオネが席に付くとすぐさま女給がお茶を出してきた。最近入った若い女給だ。レオネが目配せで礼を述べると女給は顔を赤らめお辞儀をし去って行った。 「レオネ、お前に好条件の縁談が来た」  ランベルトが嬉しそうにそう口にした時、レオネは驚かなかった。  いつかは来ると思いながらも父の長年の迷いから、縁談を受けるのはあと十年くらい先ではないかとレオネは希望を抱いていた。  バラルディ商会支店へ勤めに出ると言う思惑はエドガルドに揉み潰されたが、何もかも諦めたわけではなかった。来春ジェラルドが帰国した時、もしも会えたら胸を張って報告できるような成果が欲しかった。しかしどう足掻いても結局は親が敷いた道を歩むほかないようだ。貴族に生まれたと言うことはそういうことなのだと痛感する。父と母もそうであるし、兄もそうなのだ。  レオネはお茶を一口飲みふぅっと息を吐き、ランベルトを見た。 「どちら家からのお話でしょうか」  覇気無く尋ねるとランベルトはレオネをまっすぐに見てはっきりと言った。 「貴族ではない。ジェラルド・バラルディ氏から打診があった」  ドッと心臓が大きく跳ね、全身の血液が一瞬で沸騰したような感覚がレオネを襲った。 (ジェラルド……!?)  その名前がまさか自分の父親の口から発せられるとは全く予想していなかった。 「はぁっ?」  声を上げたのはエドガルドの方だった。母ジーナは既にこの話を知っていたようで、ただランベルトの隣で黙っている。  ドクドクとうるさく鳴り始めた心臓が隣にいるエドガルドにも聴かれそうだ。エドガルドは横目でチラッと弟の様子を伺ってくる。 「バ、バラルディ氏に、お嬢さんはいらっ……しゃらないかと思ったのですが……」  できるだけ平静を装いながらレオネはランベルトに尋ねる。 「バラルディ氏を知っているのか」  ランベルトが意外そうに言う。 「バラルディ商会くらい、流石に私でも知っていますよ」  声が不自然に震えてしまわないように注意しながら言葉を発するが、動揺は悟られてしまいそうだ。 「御子息が一人いるそうだ。だが、縁談はジェラルド氏本人だ。レオネ、お前を妻にとの話だ」  全身がカッと熱くなり、全身の毛穴から熱湯が吹き出しそうだ。夏の暑さのせいにはできない熱量を感じる。  レオネは深く息を吐き、指を組んだ両手の中に額を埋めた。  息が苦しい。呼吸だ。呼吸をしなければ。  心臓がうるさい。壊れそうだ。  両親を前に顔が上げられない。  頭の中には三ヶ月前の彼の声と顔で埋め尽くされる。 (どうしよう……! 凄く、凄く嬉しい……!)  顔を伏せて固まる次男にランベルトは男との縁談にショックを受けていると捉えたようだった。 「レオネ、落ち着いて聞きなさい。この話は昨日ジェラルド氏の実姉であるジルベルタ様の使者が手紙を持って伝えに来た。これはあくまで貴族である我がブランディーニ家と、豪商であるバラルディ家を繋ぐ、これはいわば同盟だ。バラルディ家の要望は我が家の伯爵の爵位と領地、ロッカ平原をお前に継がせてバラルディ家へ嫁ぐことだ。バラルディ家からは支度金として一億五千万ジレ。伯爵領のロッカ平原からは年間収益の三パーセントを無期限でブランディーニ家へ支払うと言っているんだ」  そのとてつもない金額はレオネは働かない脳にも響いた。 「一億五千万ジレって……」  レオネは驚いて顔をあげた。 「我が候爵領と伯爵領、合わせても年間収益の五倍は超える」  それは支度金という名目に収まる金額なのだろうか。戸惑う弟につられて動揺しつつもエドガルドが口を挟む。 「ま、まあ、確かにその支度金には驚きますが、伯爵領のロッカ平原で収益三パーセントってのは大した金額ではないですよ。あそこは延々と岩と砂の平地が広がってるだけですから。それでも我が家が先祖より受け継いだ土地です。そう安々と商人なんかに渡して良いものとは思えませんよ」  長男からの当然の指摘にランベルトは言った。 「私も同じように思い使いの方に同じことを言ったんだ。そしたらその方曰くバラルディ商会は……あの地に飛行船の港を造りたいと考えていると言ったんだ」 「飛行船⁉」  兄弟の声が揃う。  飛行船は十数年前から徐々に聞くようになった空を飛ぶ技術だ。  世間では蒸気船や蒸気機関車が大量の荷物を運び、大型の工場で大量の人と機械がモノを作る世になっていた。飛行船もその中の技術の一つで、巨大な袋に空気より軽い気体を入れ、プロペラで空を漕ぎながら目的地まで進む。船ほど大量の荷物は運べないが、驚くほど早く目的地に人を運ぶことができる。何より空を飛ぶという人間の夢を叶えた乗り物だ。貴族や大金持ちの商人達はこぞって乗りたがったし、乗ったことは社交界では格好の自慢話となっている。 「確かに、ロッカ平原は平地ですし、港からも車か馬車で半日もかからないくらいですから、良い立地なのかもしれません……」  レオネは小さく呟いた。そしてまっすぐ父ランベルトの目を見てはっきりと言った。 「父さま、このお話お受けいたしましょう!」 「レオネ……!」  ランベルトは次男の潔い決断に驚くと同時に安堵した。しかし納得できないのはむしろ長男のほうだった。 「レオネ、何を言ってるんだ! そんな簡単に。お前はもっとよく考えるべきだ! 一生のことなんだぞ! 我らがブランディーニ家の歴史としても伯爵領を手放すことはそう安々とできることじゃない!」  兄の言葉に弟も言い返す。 「兄さん、その気持ちは私にも理解できますし、伯爵の領地と爵位を兄さんから私が奪ってしまう形になるのは心苦しくも感じますが、私達一族はもう百年近くあの土地を有効に活用できてないんですよ。誰もがただの岩砂漠だと諦めてきた。飛行船の港なんて、私は思いつきもしませんでした。やっぱりバラルディ商会は凄いですよ!」  レオネは微かに笑みすら浮かべエドガルドにそうに言った。エドガルドは弟のその表情に苛立ちさらに強い言葉を投げた。 「伯爵領をお前が継ぐことに私は異論はない! そんなことはいいんだ!」  長男エドガルドは幼少から決められていた許婚と六年前に結婚し、妻と幼い二人の子供と共に同じ敷地内に屋敷を建てて暮らしている。いずれは父ランベルトの持つ候爵と伯爵の二つ爵位を継承し、この地を統治する予定だった。ランベルトも自身の父、つまりエドガルドとレオネの祖父よりこの二つの爵位を継承している。息子が複数いても複数ある爵位は分けることなく長男がすべて継承するのがこの国では一般的なのだ。  エドガルドが言いにくそうに言葉を続ける。 「だか、単なる同盟と思わせて、バラルディ氏が、その……だ、男色家の可能性もあるだろ。わかってるのか! 父上、いくら男を妻に迎えることが認められるようになったからと言って、弟を売るようなそんな行為、私は賛成できません!」  鼻息荒くそうまくし立てたエドガルドにレオネは反論の言葉を飲み込む。そのまま出してしまえば『それでもかまわない』が答えただからだ。 (母さまの前でそんな直接的なことを言わないでくれよ……)  レオネは心の中でそう呟いた。 「エドガルド、お前なら我が家が今どういう状況か、よくわかっているな。それにレオネには、十代の頃から結婚相手が殿方になる可能性もあると言ってきた」  興奮する長男に向かってランベルトは静かに伝えた。 「はっ⁉ 父上はまだ子供だったレオネにそんなことを要求してきたのですか!」  だがエドガルドは余計に興奮してしまった。レオネはエドガルドが何も知らない事が逆に驚きだった。 「エドガルド、お前の言いたいことはわかる。たがこの三十年で世の中が大きく動いた。我々貴族は長年に渡る安寧に緩みきって変化に乗り切ることが出来なかった。私がそれに気付いたのは十五年前。お前たちのお祖父様が亡くなり私が爵位を継いだ時だ。我が一族の状況を知って愕然としたよ。私なりに策は練って来たつもりだが大きな変化はもたらせなかった。現状のままだとブランディーニ家はあと十年ももたない。レオネは私に残された最後の切り札だ」  ブランディーニ家が財政的に厳しいことは感じていたが、父親がそれほど前から危機感を募らせていた事をレオネは始めて知った。  男達の重い空気感に黙って聞いていたジーナが口を開いた。 「結婚というものはそういうものです。私もおばあさまも皆、周りが決めたお相手に嫁ぎました。それが運命なのです。その与えられた運命に従ってその中で己の役割を果たすのが貴族に生まれた者の努め。知らぬ相手であっても結婚生活の中で信頼を築いて行けばよいのです」  ジーナはニッコリと二人の息子を見つめる。そしてさらに言葉を続けた。 「それにランベルトだってレオネのことを思って結婚相手を選んできたのよ。ほら、あなた、二年ほど前でしたよね?クレメンティ候爵が生まれたばかりの孫娘にレオネを婿として迎えたいと。許婚ではなくてすぐにでも我が城へって。あれは流石に私も反対しましたし、ランベルトもすぐにお断りしたのよね」  レオネとエドガルドは揃って言葉を詰まらせた。  クレメンティ候爵は社交界では男色家であると有名だった。ブランディーニ家と同じく候爵という立場ではあるが、その領地は広大で製糸業などにいち早く手を広げたこともあり、莫大な資産を有していた。その財力で派手に遊んでいるようで、御年六十歳を超えていると言うのに、青年の愛人を何人も持っているとか。レオネも夜会で言葉を交わすことがあったが、値踏みするように全身をジロジロと見られ、下品なジョークを言われた覚えがある。 「クレメンティ卿になんて、明らかにレオネを売ったと思われる……」  エドガルドが熱量を下げてぽつりと呟く。ランベルトも同じように思い断ったのだろう。ブランディーニ家の名を下げる事になるから。  レオネは父をまっすぐ見た。 「父さま、話を進めて頂きましょう。この好条件、よそへ話が言ってしまう前に」  ランベルトは商魂たくましい次男の感激すら覚え、しっかりと頷いた。

ともだちにシェアしよう!