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[11] 誓約
年が明け、レオネは王都サルヴィへ入った。
父ランベルトと共に臨んだ国王へ伯爵位継承の報告は実にあっさりしたものだった。正装し王の前に出て報告するだけ。王室側も国王とお付きの役人が二人いるのみ。通された謁見の間も普通の応接間のように見えた。ファンファーレが鳴り響き紙吹雪が舞う……とは想像してなかったが、もう少し豪華な儀式なのかと思っていた。むしろホテルの方が豪華で、家族水入らずで最後の夜を楽しんだ。
翌日、父と母、そして兄に見送られホテルの車でバラルディ家へと向かった。付き添いとしてオネストが同伴した。
「付き添いが私だけなんて、あんまりな扱いではございませんか」
オネストは車の中でくどくどと愚痴った。
「ジーナ様が嫁いで来られた時はそれはそれは大人数でいらっしゃって、近隣の住民も花嫁を一目見ようと押しかけてそれはそれは盛大で……」
「オネスト。これはそういう結婚とは違うのだよ」
「そうでございますが、貴族を一人迎えると言うのはそう気軽なものではございません」
「でも母さまの支度金より遥かに高いよ」
「金額の問題ではございません。レオネ様がこれからどんな扱いをされるのか私は不安なのです」
オネストは昔から口うるさい執事だった。子供の頃からエドガルドと二人よく叱られ長時間にわたり説教された。このくどくどした話も今日までだと思うとなんだか聞いているのが苦ではなくなってくる。
バラルディ家の要望でジェラルドが帰国するまではこの結婚は秘匿とされた。なのでレオネのバラルディ家本邸入りも車はホテルのものだ。
オネストの愚痴を聞いているうちに車は高い石塀沿いを走り大きな鉄製の門をくぐった。大富豪バラルディ家本邸に入ったのだ。
王都とは思えないほど広大な敷地だった。門から母屋の玄関まで延々と長いレンガの道が続き、その左右には庭が広がっている。冬季である現在は木々がひっそりと春を待っているようだ。だか春から夏にかけて美しく花が咲き乱れる様子が想像できレオネの期待は高まった。
やがて車窓から巨大な石造りの建物が見えた。レオネの生家と比べるとかなり新しいが、建物自体の大きさは同じくらいのか、それより少し小さいかもしれない。だが王都の地価を考えるとこの規模は実に恐ろしい。
玄関前の広いロータリーで車は停まり、オネストに促され車を降りる。停車した車のすぐそばにはジルベルタとバラルディ家の執事らしき人物が立っていた。
「レオネ様、お待ちしておりましたわ」
ジルベルタは満面の笑顔で手を広げレオネを迎えた。
「ジルベルタ様。お久しぶりでございます」
レオネがジルベルタに挨拶をすると、執事らしき老紳士が一歩前に歩み出た。
「レオネ様。ようこそおいでくださいました。私、この家で執事をしておりますドナートと申します」
執事のドナートは優しげな笑顔で優雅にお辞儀をした。グレイヘアが七三分けに整えられ、スレンダーな体型に背筋がピンと伸びた品のある執事だ。
「よろしくお願いします」
(うちのオネストより優しそうだな)
そう思い、オネストを振り返りレオネはギョッとした。オネストが目から大粒の涙を流していたからだ。
「オネスト! お前が泣いてるのを初めて見たぞ」
レオネは笑いながらオネストに寄りそっと抱きしめた。オネストは今年で齢六十。見上げるほど大きく感じていたオネストはとても小さかった。
「申し訳……ございませ……」
声を詰まらせるオネストにレオネもつられそうになる。
「オネスト、私はちょくちょくロトロに戻ることになるんだぞ。ロッカ領の事もあるし。そんなに泣くな」
「左様でございますね……」
オネストの背中をポンポンと叩き、レオネは離れた。
「オネスト、付き添いありがとう」
そう言ってジルベルタとドナートと共に屋敷へ入る。オネストは頭を下げそれを見送ってくれた。
屋敷へ入り玄関扉が閉められるとドナートがひっそりと微笑みながら言った。
「執事と良い関係を作っていらっしゃいますね。私も見習いませんと」
レオネは照れながらも家族を褒められ嬉しくなった。
「ささ、レオネ様、こちらへいらして」
ジルベルタが浮き足立ってレオネを呼んだ。促され玄関ホール横の談話室に入り、指示されるがままソファに腰を下ろす。
テーブルに一枚の紙と羽ペンが置かれていた。
結婚誓約書だった。
一息つく暇もなく差し出されたそれにレオネは内心驚いた。
「では、こちらにご署名をお願いいたしますわ」
ジルベルタがニコニコ笑顔で言ってくる。今更断る気もないしそのつもりで来たのだから当然サインするのだが、ジルベルタの勢いに少々戸惑う。
誓約書には既にジェラルドの署名がされていた。初めて見るジェラルドの筆跡。とても達筆で意外と繊細な筆運びだった。
緊張しつつ羽ペンをとる。
(こんな紙切れ一枚でジェラルドの妻になるのか……)
そう思いつつレオネは妻の欄にペンを走らせた。
――レオネ・ロレンツ・ブランディーニ
ブランディーニと書くのはこれが最後なのだろうか。うっすらとした寂しさを感じる。この事務的な処理自体が寂しいからだろうか。
「はいっ! ありがとうございます!」
ペンを置くと同時にジルベルタが書類を取り上げた。
「では、私はこれを提出して参りますわ。レオネさん、今後ともどうぞよろしくね」
ジルベルタは上機嫌で靴をカツカツと鳴らし、屋敷から出て行った。レオネは呆気にとられながらそれをただ見送るしかなかった。
談話室にぽつんと残されたレオネにドナートが声をかけた。
「忙しなくて申し訳ございません。ジルベルタ様は一直線な方でございまして……」
ドナートが苦笑いでフォローしてくる。
「あ、いえ……大丈夫ですよ」
レオネも戸惑いがあるが、貴族がのんびりし過ぎているのだろう。もっと自分もシャキシャキと動かなくては、とも思う。
「さて、お部屋にご案内する前に、当家に使える者達を紹介させて頂きますね。どうぞこちらに」
そう言うドナートについて再び玄関ホールに戻るとそこには四人の使用人が立っていた。ドナートが順に紹介していく。
「こちらから、メイド長のマルタ」
「レオネ様、何でも何なりとお申し付けください」
マルタと呼ばれた女性は五十代くらいのふくよかなメイドだった。気さくそうなご婦人だ。
「次がメイドのソニア」
「よ、よろしくお願いいたします!」
ソニアは年若い娘でレオネを見て顔を真っ赤に染め大きな声で挨拶をした。
「次が庭師のニコラ」
ニコラは黙って頭を下げた。白髪頭の寡黙な老人だった。
「次が庭師見習いのジャン」
「じ、ジャンです……」
ジャンは二十代位の小男だった。短く刈り上げられた髪で、もじもじと目を逸らしながらお辞儀をした。
「で、私ドナートを含めて以上五名がこの屋敷に常勤している者です。どうぞよろしくお願いいたします」
五人が揃いレオネにお辞儀をした。
レオネも自己紹介する。
「レオネ・ロレンツ・ブランディーニです」
と言って気づいた。
「あ、たった今誓約書にサインしたので、もうバラルディですね」
レオネが照れ笑いをすると皆微笑んでくれた。
「これからお世話になります。バラルディ家や商家での決まりなど、失敗しそうになっていたら教えて頂けると嬉しいです。よろしく」
レオネが挨拶すると五人がパラパラと拍手してくれた。心が少し温かくなった気がした。
使用人への紹介の後、ドナートが軽く屋敷の中を説明しながらレオネを部屋に案内してくれた。
「使用人が少なくて驚かれましたよね」
廊下を歩きながらドナートが言う。
「本当に五名だけなのですか?」
メインがあの五人で他にも居るのではと思った。
「運転手が必要な時は商会から来ます。晩餐会などを開く時だけコックや給仕の者も呼びますが、普段の食事は主にマルタが作ります。彼女はなかなか料理上手ですよ」
ブランディーニ家では常時十五名くらいが働いていたように思う。コックや運転手も常勤で無いのは驚きだった。
「普段はジェラルド様一人しかおられませんし、そのジェラルド様ですら出張で家に居ないことが多いので、この建物の維持管理が私達の主な仕事なのです。ジェラルド様も出張で慣れていらっしゃるのでご自分ことはご自分でやってしまわれて……。奥様や息子のロランド様がいらっしゃった時はこの倍はいたのですが『私一人に無駄だ』と切ってしまわれまして」
なんだかジェラルドらしいとレオネは思った。
「私も自分のことは自分でやれるようにしなくては」
レオネがそう言うとドナートは首を横に振った。
「いえいえ! ぜひ私達にレオネ様のお世話をさせてください。レオネ様にお越しいただき、この屋敷にも活気が出そうで皆張り切っております」
ドナートは本当に嬉しそうに言ってくれた。
やがてある部屋の前に来て、ドナートが扉を開けた。
「こちらゲストルームなのですが、しばらくこちらをお使いください。ジェラルド様が戻られましたら、どこをレオネ様のお部屋にするか相談させて頂きますので」
通されたゲストルームは南向きで陽当りの良い部屋だった。書斎兼応接間になっている部屋の奥にベッドルームがあり、さらにその奥には部屋付きのバスルームまである。古い建物に住んでいたレオネは部屋にバスルームがあることに驚いた。
「素敵なお部屋ですね」
「気に入って頂けて良かったです。レオネ様のお部屋が決まりましたら、壁紙やカーテンなどレオネ様用に誂 えますので、レオネ様の好みのお部屋にいたしましょうね」
ドナートがまるで子供に言うようにニコニコとしながら言ってくる。
「そんな、私は有るもので十分ですよ」
ジェラルドは倹約家だ。無駄な浪費をしてカネのかかるヤツだと思われたくはない。そもそも『レオネ様用に』と言うことは、ドナートはやはりジェラルドと寝室は別だと考えているのだろう。
(ジェラルド、『寝室は一緒に』って言ってくれるかな)
レオネははしたないと思いつつも期待に胸を膨らませていた。
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