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絵画

 バラルティ家本邸の東側にある階段。その踊り場には大きな絵が飾られている。  レオネはこの絵の前を通る度に気になりつつも気にならないフリをしてきたが、屋敷に来て五日目の午後、近くに誰もいなかったこともあり、意を決して足を止めその絵を見つめた。  描かれているのは今より少し若いジェラルドと、ロランドと思われる半ズボン姿の幼い少年。そしてロランドによく似た小柄で可愛らしい女性。ジェラルドの亡くなった先妻だ。じわっとレオネの心の奥に染み出す何か。 「あら、レオネさん、ごきげんよう」  突然声をかけられ、レオネはびくりと身体を震わせた。 「じ、ジルベルタ様、こんにちは」  動揺を悟られないように焦りながらも笑顔を作り挨拶をする。ジルベルタは今日もハイセンスなドレスを身に纏い、優雅に階段を上がってきた。 「その絵、気になる?」 「えっ、あっ、立派だなと……思いまして」  苦し紛れに見たままの感想を口にした。 「そうなのよ。こんな来客も来ない場所にこんな大きな絵、おかしいわよね。ジェラルドはケチなくせに時々大きな買い物をするのよ」  ジルベルタはクスリと笑う。    この階段はダイニングからキッチンの脇を通り二階へと続く場所にある。正面玄関ホールにある大階段とは違い、客人はほとんど通らないプライベートなエリアだ。  写真もある昨今。だがジェラルドはきっと色のある肖像画をここに飾ると決めたのだろう。これほどの大きさの絵を描かせるとなるとかなり高額になはずだ。 『払う価値があると思えばいくらでも使う』  海亀亭でそう言っていたジェラルド。  客人に自慢する訳でもない場所にこれだけの絵を飾る。その理由を考えるとレオネの胸はキシキシと締め付けられた。 「ご家族思いな方なのですね」  胸の内を隠し当たり障りのない感想を述べるとジルベルタは「どうなのかしらね」と肩をすくめた。 「仕事ばかりで家に居なかったから、エレナはどう思っていたのかしら。もう聞くことも出来ないけど……」  ジルベルタはそう寂しそうに絵を見つめた。どうやら先妻エレナは義理姉ジルベルタとも関係良好だったようだ。 「ねぇ、レオネさん。貴方も家族を持ってもいいのよ。内縁にはなるけど、女性と一緒になって子供を儲けることも問題ないわ。ジェラルドはケチだけど合理的なの。きっと賛成してくれるはずよ」  絵を見つめるレオネを見て、ジルベルタはレオネが妻子を欲しがっていると感じたようだ。なんてことはないように笑顔でそう告げてくる。 「お気遣いありがとうございます」  レオネは人向け用の笑顔で感謝だけ述べた。ジルベルタはそんなレオネをまじまじと見つめる。 「レオネさん、貴方って本当に整った顔をしているわね。お人形さんみたい」  それはよく言われ、聞き慣れたセリフだ。  見た目だけの中身のない空っぽのお人形。結婚だけが役割だと思っていた時期はそれで良かった。だがジェラルドに出会って考えが変わった。あの海亀亭で話したことを考えるとジェラルドは単なるお人形のような妻を求めてはいない気がする。果たして自分はジェラルドの期待にどう応えられるだろうか。  微笑みを浮かべつつ思い馳せるレオネにジルベルタがさらに付け加えた。 「こんなに美しいとジェラルドでも気の間違いを起こしそうね……。レオネさん、ジェラルドの寝室に呼ばれるようなことがあっても、きっぱり断って大丈夫よ。そんなことがあったら私がジェラルドを叱りますから。なんでも相談なさいね」  その言葉にレオネは顔が熱くなるのを感じた。  強気で少し怖い印象もあったジルベルタだが、どうやら面倒見が良い女性のようだ。そこはジェラルドに似ている気がする。 「あ、はい……大丈夫です……」  まさか寝室に呼ばれるのを待っていますとは言えず、レオネは曖昧に言葉を濁した。  レオネがバラルディ家に移り一ヶ月が過ぎようとしていた。  執事のドナートは最初の印象どおりスマートで優しく穏やか。丁寧にバラルディ家のあれこれを教えてくれる。  メイドのマルタの作る料理はドナートが言う通りどれも美味しく毎食が楽しみになった。土地が変わるので食材や調理方法も異なりそれだけでも目新しいくワクワクする。  もう一人のメイドのソニアは十七歳だそうで、レオネは若い娘と何か間違いがあっては、と思いあまり近づかないようにしているが、ソニアは明るく気さくに話しかけてきてくれる。  庭師の二人とはまだあまり話す機会が無いのだか、どこかで薔薇について是非話したいと思っている。  そんな日々を送る中頃、エドガルドから小包が届いた。中身はほとんどが伯爵領ロッカについての書類だ。書類の他に地元の菓子なども一緒に入っていた。たった一ヶ月しか経ってないのに懐かしさがこみ上げた。  その中に一枚の葉書があった。  宛先は癖のある字で『ロトロ領 レオネ・ロレンツ・ブランディーニ様』とだけ書かれており、よくこれで届いたなと思った。まあ地元の郵便局ならレオネの名前だけでわかるだろうが。そして差出人名は書かれていない。  裏返すと夜の浜辺らしき風景が描かれていた。墨線だけ版画で写し、後から手で色付けした土産用の絵葉書のようだ。絵の中の夜空には三日月と星が輝き海にもそれが映っている。浜辺には椰子の木が生えているので南国のようだ。波の穏やかな美しく暖かそうな夜の海。  浜辺の白っぽい部分に宛名書き同様に癖のある字で走り書きがあった。 『渡り鳥は三月に故郷へ戻る。g. 』  レオネの心臓が大きく鳴り始める。  差出人が無い段階で誰なのかと頭を巡らせると浮かんでくるのは愛しい人の事ばかり。だが、この走り書きを見て確信した。 (ジェラルド……!)  ずっと音沙汰が無くて不安だった。  葉書を再度確認すると消印は十二月。どうやらジェラルドはレオネがいつバラルディ邸に入るのかは把握してなく、ブランディーニ家の方へ送ってしまったと思われる。  季節は二月半ば。  あと少しでジェラルドが帰って来る。  レオネは嬉しさを噛み締め葉書を見続けていた。

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