18 / 73

帰国1

 港町ラヴェンタは春らしい穏やかな風が吹いていた。  大型蒸気船から下船し、約一年ぶりに故郷ロヴァティア王国の土を踏んだジェラルドは海を臨むベンチに腰を下ろした。汐風に晒され白く変色した木製のベンチがぎしりと音を立てる。青い空には海鳥が舞い、地上は船を降りた人々や出迎えの人々でごった返していた。  時刻は朝八時半。汽車で王都サルヴィまで戻るが発車時刻までまだ余裕があるので、秘書のウーゴが朝食を買いに行った。  ジェラルドは煙草を取りだし火をつける。吐き出した紫煙が風に煽られ空に消えて行くのをぼんやりと眺める。  一年前、正しくは十一ヶ月前。  この港町で美しい青年に出会った。  安宿の酒場で若い娘と踊る彼を無意識に目で追っていた時は「場違いにも貴族がいるな」という程度の関心だったと思う。金色の髪を揺らし踊る彼は所作の一つ一つが美しかった。  その青年がこちらに話しかけてきた時は驚いた。話してみると貴族特有の高すぎるプライドや自慢話は皆無で、とても素直にジェラルドの話を聞いてくる。青い目を輝かせて知らない世界のことを聞く彼が可愛く思えそんな自分にも驚いていた。  話していくうちに彼は親が縁談を決めてくるのをただ待っている状態で、それを受け入れるしか無いと思っている事がわかった。その縁談相手が男であっても仕方がないと言う姿勢に苛立ちを覚え、ついきつく言ってしまった。会ったばかりの人間の人生に口を出す資格などないのに。  やがて彼は部屋に泊めて欲しいと言ってきた。 息子のロランドとそう変わらないような年齢の青年。躊躇わなかったわけではないが、その容姿からきっと遊び慣れているのだろうとも思ったし、あそこまでの美青年に誘われて断る男なんているのだろうか。  だが部屋に連れ込み話を聞いたら予想外にも男との経験は無いと言う。ここでさすがに冷静になった。しかし彼はそれでも迫ってきた。『火遊びに付き合え』と。断り部屋から追い出したら彼は別の男を探しそうな気がして、結局一夜を共にしてしまった。  許可を得てくちづけたその唇は驚くほど柔らかく甘く、白く滑らかな肌は慣れない愛撫に戸惑いながらも快感を拾い跳ね、年甲斐もなく煽られた。さすがに彼が父親の言いつけ通りに守ってきた純潔を奪うことはしなかったが。  『ライオン』の名を持つ青年は、翌朝仔猫のように戯れて甘えて来た。そんな彼が可愛くて可愛くて、船に乗るのをやめたくなるほどだった。  彼のフルネームを聞くべきか悩んだ。このまま一夜限りで終わらせるべきだと頭では思ったが、迷いに迷って結局を聞いてしまった。 ―――レオネ・ロレンツ・ブランディーニ。  ブランディーニと聞いて驚いた。  今進めている大規模事業の候補地の一つを統治する貴族の名だったからだ。  その後、国を離れ一ヶ月経った頃に滞在しているホテルに姉ジルベルタからの手紙が届いた。そこには『ブランディーニ家にレオネと言う縁談待ちの次男がいる。この次男にブランディーニ家当主からロッカ領と伯爵位を譲位させジェラルドが妻として迎えるのはどうか』という内容だった。  姉の情報網には感服すると同時に偶然にもレオネの名前が出てきたことに驚いた。しかしレオネの政略結婚に反対したくせに自分がレオネを妻に迎えるのでは示しがつかない。まあ、『あのレオネが自分の妻に』と言うのはとても心惹かれてしまう話だったが……。  結局離れた別のホテルまで出向き、本社に電話をかけた。  ブランディーニ家の件はジェラルド自身が帰国してから結婚以外の方法で交渉すると伝え、絶対に何も行動するなと念を押した。ジルベルタは『でも』とか『だって』とか言ってきたが絶対に駄目だと貫き通した。  そんなこんなでこの十一ヶ月はレオネのことが頭から離れなかった。  国外出張の際はいつも現地で女と遊んでいたのに、思い浮かぶのは金色の美しい髪と、深い泉のような青い瞳。  一夜限りの火遊びに付き合ってやっただけのつもりだったのに、すっかりのめり込んでいるのは自分の方だと自覚した。  なんとか早く帰国したくてスケジュールを詰めて詰めてがむしゃらに動き、予定より一ヶ月早く帰国する事が出来た。だがやはり十一ヶ月は長い。レオネの状況がどう変わっているか気がかりだ。  これからどうブランディーニ家にアプローチするか。もちろんロッカ領をどう譲り渡して貰うかの話なのだが、ジェラルドの中ではもはや目的がレオネになりそうだった。 (共同経営でレオネをうちに入社させるのが一番良さそうだが)  あわよくばあの夜の続きも……と頭に浮かんでしまう。しかし相手は十五歳も年下だ。遊びで手を出して良い相手ではない。そう、分かってはいるのだが、期待せずにはいられない。  一度だけ迷いに迷ってレオネ宛に葉書を出してしまった。露店で見つけた絵葉書だ。レオネの名前だけで出したがちゃんと届いただろうか……。

ともだちにシェアしよう!