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[13] 帰国

 港町ラヴェンタは春らしい穏やかな風が吹いていた。  大型蒸気船から下船し、約一年ぶりに故郷ロヴァティア王国の土を踏んだジェラルドは海を臨むベンチに腰を下ろした。汐風に晒され白く変色した木製のベンチがぎしりと音を立てる。青い空には海鳥が舞い、地上は船を降りた人々や出迎えの人々でごった返していた。  時刻は朝八時半。汽車で王都サルヴィまで戻るが発車時刻までまだかなり余裕があるので、秘書のウーゴに朝食を買いに行かせた。  ジェラルドは煙草を取りだし火をつける。吐き出した紫煙が風に煽られ空に消えて行くのをぼんやりと眺める。  一年前、正しくは十一ヶ月前。この港町で美しい青年に出会った。  安宿の酒場で若い娘と踊る彼を無意識に目で追っていた時は「場違いにも貴族がいるな」と言う程度の関心だったと思う。金色の髪を揺らし踊る彼は所作の一つ一つが美しかった。  こちらに話しかけてきた時は驚いた。話してみると貴族特有の高すぎるプライドや自慢話は皆無で、とても素直にジェラルドの話を聞いてくる。  目を輝かせて知らない世界のことを聞く彼が可愛く思え、そんな自分にも驚いていた。  話していくうちに彼は親が縁談を決めてくるのをただ待っている状態で、それを受け入れるしか無いと思っている事がわかった。その縁談相手が男であっても仕方がないと言う姿勢に苛立ちを覚え、ついきつく言ってしまった。会ったばかりの人間の人生に口を出す資格などないのに。  やがて彼は部屋に泊めて欲しいと言ってきた。  頬を染め、潤んだ紺碧の瞳で。  正直に断るべきだとジェラルドは思った。息子のロランドとそう歳の変わらないような貴族の青年。手を出して良い相手ではない。だが誘惑に勝てなかった。  部屋に連れ込み彼にくちづけた時、何もかもどうでも良くなった。性別とか年齢差とか今の自分の地位とか、全て取っ払って彼が欲しくなった。  意外にも彼は男性経験が無いと言ってきてさらに燃え上がってしまった。  男を抱いたのは学生時代以来だった。男のみ寄宿舎生活だったから、やり場の無い性欲のはけ口に互いに慰め合っていただけのような関係だったが。  彼は決して女性らしい身体ではなく、しっかりとした長身の骨格に鍛えられた筋肉を纏っていた。むっちりと盛り上がった胸筋にほのかに六つに割れた腹筋。腰は細めでそれを白く滑らかな肌が覆う。薄紅色の胸の飾りは程よい弾力でずっと舐めていたいくらいだった。彼の男性である象徴はまるで女も知りませんと言うような綺麗な色で、与えられる刺激にピクピクと反応し若さゆえに何度も蜜を吐き出していた。安宿の薄い壁を気にして必死に声を抑えつつも結局鳴いてしまうところも可愛かった。  誘惑に負けて彼の慎ましやかな尻の蕾に指一本入れ中を探ってしまったが、やるべきでなかったと後悔している。初めて異物を受け入れたそこは初めてにも関わらず前立腺を刺激され快感を拾っていたからだ。その快感欲しさに他の男に誘惑されてしまうのではないかとこの十一ヶ月ずっと心配してきたのだ。  『ライオン』の名を持つ青年は、翌朝仔猫のように戯れて甘えて来た。そんな彼が可愛くて可愛くて、船に乗るのをやめようかと考えてしまうくらいだった。  どうしてもその一夜だけの関係で終わらせたくなくて彼にフルネームを聞いた。 ――レオネ・ロレンツ・ブランディーニ。  ブランディーニと聞いて驚いた。  今進めている大規模事業の候補地の一つを統治する貴族の名だったからだ。  ロヴァティア王国を離れ一ヶ月経った頃に滞在しているホテルに姉ジルベルタからの手紙が届いた。そこには『ブランディーニ家にレオネと言う縁談待ちの次男がいる。この次男にブランディーニ家当主からロッカ領と伯爵位を譲位させジェラルドが妻として迎えるのはどうか』という内容だった。  姉の情報網には感服すると同時に偶然にもレオネの名前が出てきたことに驚いた。しかしレオネの政略結婚に反対したくせに自分がレオネを妻に迎えるの言うのは示しがつかない。『あのレオネが妻に』と言うのはとても惹かれてしまう話ではあるのだが、やはり彼をカネで買うような真似はしたくなかった。  結婚でなくてもロッカの土地を使わせてもらう手段はいくらでもでもある。だがジルベルタは暴走する事がある。  近隣で電話を使えるところはないか聞き、離れた別のホテルまで出向き、本社に電話をかけた。  ブランディーニ家の件はジェラルド自身が帰国してから交渉すると伝え、絶対に何も行動するなと念を押した。ジルベルタは『でも』とか『だって』とか言ってきたが絶対に駄目だと貫き通した。現会長はジェラルドだと言うのに、どうも会長であることより自分の弟であると言う印象の方が強いようで、ジルベルタにはいつも手を焼く。  それからなんとか早く帰国したくてスケジュールを詰めて詰めてがむしゃらに動き、予定より一ヶ月早く帰国する事が出来た。だがやはり十一ヶ月は長い。レオネの状況がどう変わっているか気がかりだ。  レオネに自分のことを思い出して欲しくて年末に一度だけ葉書を出した。露店で見つけた絵葉書だ。レオネの名前だけで出したがちゃんと届いただろうか……。  吸っていた煙草の一本が終わろうとしていた時、ウーゴが息を切らして戻ってきた。そしてベンチに朝食が入っていると思われる紙袋を乱暴に投げた。 「おい」  ジェラルドはムッとして注意しようとするが、それを遮るようにウーゴが息も絶え絶えに言った。 「ジェ、ジェラルド様! 大変な……ことになっています!」  そう言って新聞をジェラルド差し出した。それはタブロイド紙だった。「有名な舞台女優でも結婚したか?」と言いつつ新聞を広げる。そこに踊る文字に目を見張った。 『バラルディ商会会長 ジェラルド・バラルディ氏同性婚!! お相手はあの“社交界のホワイトローズ”レオネ・L・ブランディーニ!』 「なっ!」 「ど、どういうことなんでしょうか? なんでこんな記事が……と言うかこの『レオネ・ブランディーニ』ってここを立つ時に酒場で会った青年ですよね?」  ジェラルドは言葉にならず、同じく動揺しているウーゴが色々聞いてくるが頭に入らない。  記事は一面に大きく掲載されており、ご丁寧に顔写真付きだ。ジェラルドの写真は何かインタビューの時に撮ったものだと思われるが、レオネのほうは隠し撮りらしく微笑んだ横顔が載っていた。  動揺しつつも記事を読み進める。 『九年前に最愛のエレナ夫人を亡くし長らく独り身を貫いてきたバラルディ氏が遂に再婚した。お相手はロトロ領を治める名門貴族ランベルト・ブランディーニ侯爵の次男レオネ・ブランディーニ氏だ。レオネ氏は同家の所有するロッカ平原と伯爵位を父ランベルト氏より継承し、バラルディ氏に妻として嫁いだ模様。この婚姻によりバラルディ家は伯爵家となり貴族の仲間入りを果たした。またロッカ平原は今後バラルディ商会の事業に活用されていくと予想される。一見、業務提携目的の婚姻に見えるが果たしてそうだろうか。疑いの目で見てしまうのはやはりレオネ氏の類まれな美貌にあるだろう。一部情報では港町ラヴェンダの大衆酒場でバラルディ氏とレオネ氏を見たとの情報がある。夜更けまで二人きりで飲み、その後同じ部屋に泊まり一夜を明かしたとか。レオネ氏は社交界デビューした当時から既に一部では注目されていた人物で、歳を重ねるごとにその美しさは増し紳士淑女問わず狙ってた貴人は多い。果たしてバラルディ氏はレオネ氏を射止める為にブランディーニ家にいくら積んだのだろうか』  読み終えたジェラルドは頭を抱えた。何がどうなっているのか。ただのゴシップ記事だと片付けるには事実も多い。バラルディ商会の新規事業にロッカ平原が第一候補となっているのは事実だ。だが何人がこの話を知っているだろうか。 「ジルベルタだ……」  ジェラルドが呟くとウーゴは「ジルベルタ様が?」と聞き返してきた。 「ジルベルタが5月頃に手紙を寄越してきただろう。あれはブランディーニ家との縁談を進めて良いかと言う内容だったんだ。私は婚姻以外の方法を進めるつもりだったから、わざわざ電話で話を進めるなと釘を差したんだ。……だがジルベルタが勝手に進めている可能性がある」 「まさかもうブランディーニ家にジルベルタ様が話を?」 「ほぼしていると思って間違いないな。あの手紙からかなり時間が経ってる。どこまで何をすすめているか……」  新聞に載っているレオネの顔写真を見る。線数の少ない荒い新聞の写真であるが、誰が見ても美しいと思うだろう横顔だ。 「彼もジルベルタの差し金か……」  ふと思い立つともうそうとしか思えなかった。 「え! ですが、レオネ氏とは一緒に飲んだだけでしょう。こういうタブロイド紙は下品に書きますからね。ほらレオネ氏の友人も一緒でしたし、まあ、あのくせ毛君は途中で抜けましたが、確か私も……」  そこまで言いかけてウーゴは自分も途中で寝てしまい抜けたことを思い出したようだ。 「……ジェラルド様、まさか連れ込んでませんよね?」  ウーゴがぎこちなくジェラルドを見る。ジェラルドは左手で顔を覆い深く溜息をついた。 「……ジェラルド様っ! なんて事を……。貴方はバラルディ商会の会長なのですよ! 何か裏があるかもとは思わなかったのですか! もう四十も近いと言うのにあんな若い男と!」 「はは、だよなー……」  もはや空笑いしか出ない。  やっぱり騙されたのだろう。彼で弟が落とせると思った姉ジルベルタにはむしろ感服する。まんまと嵌められたようだ。  そうなると『男は初めてだ』と恥じらっていたのも嘘のように思えてくる。彼の蕾は確かに硬かったが力を入れてれば可能なのかもしれない。 「クッソ……こんなことなら最後までしとけば良かった……」 「ん? 何て言いました?」  ジェラルドの最低な発言は幸いウーゴには聞こえなかったようだった。

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