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[47] 青空
――六年後。
その日ロッカ平原はその地の歴史上最も華やかな日となった。
青空には花火とカラフルな紙吹雪が舞い、楽団が軽やかに音楽を奏でる。真新しい広場には沢山の人々が新しくできたこの空の港に初めて到着する飛行船を一目見ようと集まっていた。
「レオネさーん!」
開港セレモニーのために作らせてステージ裏でレオネは声をかけられ振り向いた。
「ジル姉様!お久しぶりです!」
二年ぶりに会う義理姉ジルベルタに駆け寄った。
「髪切ったのね!驚いたわ」
ジルベルタは開口一番で言った。ここ数ヶ月会う人からはいつもこれを言われる。
「ええ、思い切って短くしてみました」
少しの顔を横に向けて短髪になった頭をジルベルタに見せる。
「とっても素敵よ!良く似合ってるわ!」
「ありがとうございます」
ジェラルドとレオネの結婚から二年後、ジェラルドはバラルディ商会会長の座をロランドに譲り渡し、飛行船港事業をバラルディ商会の子会社とした。ジェラルドは現在はその子会社社長でレオネも幹部となっている。
ジェラルドとレオネはそれに伴い、ロッカへと移り住んだ。ドナートとマルタも付いてきてくれ、飛行船港の近くに建てた小さな邸宅で暮らしている。
ジェラルドが庭に顕微鏡を備えた研究室を作ってくれ、趣味の薔薇も続けている。やはり土地があまり良くなく、なかなか苦戦していたが試行錯誤で最近見られるように育ってきた。
「レオネー!」
「レオネ様ー!」
ジルベルタと話していたレオネに別の男女が話しかけてきた。
「ロランド!ソニア!」
ロランドとソニア、そして二人の子供達の姿を見て、レオネは顔をほころばせた。
ロランドとソニアはレオネ達の結婚から二年後に結婚した。今は王都サルヴィのバラルディ家本邸で子供二人と暮している。
「来てくれて嬉しいよ。大変だったろう?」
レオネがソニアに声を掛ける。ロランドは会長なので当然来ると思っていたが、下の子エレナがまだ二歳なのでソニアと子供達まで来てくれるとは思っていなかった。
「私もどうしても来たくて、ロランドにお願いしたんです」
ジルベルタにも挨拶をしつつソニアがそう言うと、エレナを抱えたロランドが言った。
「僕も子供達に見せたくてさ」
「エレナ〜、疲れて寝ちゃったか」
ロランドに抱えられすやすやと寝息を立てている少女に声を掛ける。まだ赤ちゃんに近いその寝顔はまるで天使だ。
「ほら、ロレンツ。何隠れてるんだ?」
そう言うとロランドは後ろに隠れている我が子を見て言った。もじもじと出てこない黒髪の少年は二人の第一子ロレンツだ。
「ふふ、照れちゃってるのよねー。ほらロレンツ、ジルベルタ様とレオネ様にご挨拶は?」
黒髪の少年は父ロランドの脚から手を離し、レオネの前に歩み出てきた。
「ふふ、本当にジェラルドそっくりね」
ジルベルタが見て笑う。ロランドは母親似だったがロレンツはジェラルドによく似ている。隔世遺伝の神秘を感じる。
「ロレンツ、こんにちは。この前会った時よりまた大きくなったね」
レオネが笑顔を向けてそう言うとロレンツは「こんにちは」と挨拶をした。ジェラルド似の顔で照れ笑いをしながらの挨拶にレオネはハートを完全に射抜かれる。
「ロレンツ、抱っこさせて!」
レオネが手を広げるとロレンツは嬉しそうに飛び込んできた。
「よいしょっ!わっ、重くなったな!」
前回会ったのは半年くらい前だ。子供の成長は早くて驚く。
抱き上げて顔を近くで見る。スベスベのほっぺが実に子供らしく可愛いのだが、目や眉の形がジェラルドそのもので愛しさが倍増してしまう。ロレンツはレオネのジャケットの襟をギュッと掴んでレオネの顔を見つめている。
「レオ、あのね」
ロレンツがレオネに話しかける。
「ん? なんだい?」
レオネが優しく聞き返す。
「おじいさまとケッコンやめて、ぼくとケッコンして」
「え?」
突然の求婚にレオネは驚き目が点になった。
「ああ、言っちゃった」
ソニアが苦笑いで説明してくれた。
「この前、レオネ様に遊んで頂いてレオネ様大好きになっちゃって、『ぼくレオと結婚する!』って言うから『レオネ様はお祖父様と結婚してるのよ』って教えたらもう大泣きで」
「うちの子はレオネ好き遺伝子で出来てるからなぁ」
ロランドがそう言い、ジルベルタが笑った。
「ジェラルド以外でこんなに嬉しい求愛は初めてだよ〜」
レオネはロレンツを抱き締めて頬擦りした。
「ね、ね、ぼくとケッコンしよ?」
ロレンツが重ねて口説いてくる。顔が緩んでしまうのを耐えつつレオネは言った。
「ロレンツのことはすっごく好きだけど、私が一番好きなのはやっぱり君のお祖父様なんだ。だからロレンツと結婚は出来ないよ」
ロレンツはまだ小さいし『いいよ、結婚しようね』と言ってもどうせ直ぐ忘れてしまうだろうけと、レオネはこのジェラルド似の瞳に嘘はつきたくなかった。
「うっ、ううっ……」
ロレンツはレオネにしがみつき黒い瞳に涙をいっぱい溜めて堪えている。レオネはロレンツの背中をトントンと優しく叩きながらロレンツをなだめた。
「ごめんね。でもロレンツが大人になるまでいっぱい遊んであげるからね。また会いにおいでね。私も会いに行くから」
ロレンツは無言でレオネに抱きついたまま頷いた。
その時、フワァァンとマイクがハウリングする音がし、ステージにジェラルドが登壇してきた。
ジェラルドは言葉を発する前にステージ裏に居るレオネを含めた家族達に目を向けた。レオネは抱っこしたロレンツに「ほら、お祖父様が来たよ」と声をかけたが、ロレンツはジェラルドをチラッと見るとプイッと顔を背けてしまった。仕方なくレオネは苦笑いでジェラルドに手を振る。ジェラルドはレオネに微笑みを返すと観客に向かった。
「お集まりの皆様! 今日のこの日を皆様と一緒に迎える事ができ、私の心は感激と感動で満ち溢れています!」
レオネはスピーチするジェラルドの後ろ姿をロランドを抱いたまま見つめた。
ジェラルドは四十四歳になり、前髪に白髪が交じるようになった。お腹が出ても禿げても好きでいる自信はあるのだが今のところその兆候も無い。むしろ男らしい魅力が増している。
この飛行船港建設の歩みは、ジェラルドとレオネの結婚生活としての歩みと同じだ。色々な事があり実に感慨深い。
ジェラルドに愛され、さらに事業にも関わらせて貰えることはレオネの人生をより豊かなものにしている。ジェラルドに出逢う前はただ貴族として結婚し、ただ流されるままに一生を終えていくのだと思っていた。
しかし仕事とはレオネの想像以上に大変で、最初の三年くらいは自分の未熟さに悔しい思いをし、大きな失敗もやらかし周りに迷惑もかけた。ここ二年程はレオネ自身でも戦力になっていると実感が湧いてきているが、逆にジェラルドと言い争う事もしばしば。これは夫婦生活に悪影響だと考え、ジェラルドと違う部署に移動したがジェラルドの目が遠くなった為、今度は色恋沙汰に巻き込まれる事態が発生。都度丁寧にお断りしているのだが色々面倒になり髪を切ってみたのが一年前。何となくだが若い殿方からのアプローチは減ったように感じる。年齢がもうすぐ三十歳を迎えるからかもしれないが。ただご婦人達と、年配の紳士ウケは向上してしまったような気もする。
髪を切ることでジェラルドからの情熱が減るのではないか心配ではあったがそちらは心配なかった。レオネを後ろから攻めつつ、うなじを舐めるのがジェラルドの最近のお気に入りらしい。
「さて、この港の建設が始まってから直ぐに考えたのは、この港に最初に入る飛行船はどうしても私の船にしたいということでした。それを目標の一つとして本日まで準備を進めて参りました」
ジェラルドはこの私有となる飛行船をレオネにも見せてくれていない。規模などを聞いても「当日まで内緒」と言われ、楽しみではあるがやや不安でもある。このセレモニーで発表となると恐らく小型ではない。私有物なのにそんなに大型なのはどうかと思うのだが、稼ぐ金額の割には自分の為にほとんど金を使わないジェラルドなので、レオネはそこまで口を出すこともなく今日まできたのだ。
「さあ! 皆様、ご覧ください!」
ジェラルドが声を張り上げて言った。スピーチに合わせるかのように遠くからプロペラの音が聴こえてくる。わぁ! と観客から歓声が上がり、ステージ裏にもヌッと巨大な影が射した。
「レオネ、おいで」
ジェラルドが振り向き、レオネに手を差し伸ばした。レオネは抱いていたロレンツをソニアに返すとジェラルドに向かって歩いていきその手を取った。
ジェラルドに手を引かれステージに上がる。レオネの登壇に一部の観客から歓声が上がったが、大半の観客は巨大な飛行船に目を奪われている。ジェラルドがレオネの背中に左手を回し、右手で飛行船を指した。
「さあ、見てくれ。私の可愛い船を」
青空を覆うほどの大きな機体がそこ浮かんでいた。
「あははっ!貴方って人はなんて事を」
その機体を見た瞬間、レオネは思わず笑ってしまった。
ジェラルド私有の飛行船は巨大なガス袋に『バラルディ』と装飾文字が書かれ、その文字と一緒にたてがみをなびかせるライオンの横顔と白い薔薇が描かれていた。それはまさにレオネを象徴する図案だった。
「世界中に君を愛してるって言いたくなったんだ」
ジェラルドがレオネの目を見つめて言う。
結婚当初は必死に契約婚であることを強調していたが、実際に想いを通わせてからは特段隠すこともなく公表するでもなく今日まで来た。夫婦仲が良いか悪いかはどこの夫婦でもわざわざ公表するものでも無いとレオネは思っていたし、あまり気にもして無かったのだが。
「反対されてもやるつもりだったから相談しなかった。怒ったかい?」
ジェラルドの質問にレオネは笑った。
「相談されなくて良かったです。恥しくて絶対反対してました」
照れながらも再び飛行船を見つめる。ここ数年はバラルディ伯爵と呼ばれる事も増え、バラルディが自分の名としても馴染んできたなとレオネは感じた。
「嬉しいですよ。ジェラルド」
素直に心内 を口に乗せる。恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じた。そんなレオネにジェラルドが微笑みながら言った。
「今、君にキスしてもいい?」
飛行船にデカデカと惚気を描いておいて、さらにこの男は観客の前でキスしたいと言っている。どこまで羽目を外す気なのかとレオネは思わず「あはははは」と声を上げて笑った。
そしてレオネはジェラルドの頬を両手で挟むと自らジェラルドに唇を合わせた。
観客からわあっ!と大きな歓声が上がる。
ジェラルドもレオネを両手で強く抱きしめ、より深くくちづけをした。
完
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