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第1話 襲撃

「あー! やっと終わったー! もう勉強なんかしなーい!」  テキストを投げ飛ばしながら、瀬川は思いっきり伸びをした。今日で前期の試験が終了し、明日から夏季休暇に入る。今年の休暇だけは、しっかり遊んでおこうと、前期で仲良くなった仲間内で話し合って決めていた。  綾人と瀬川が揃う夏季休暇は、今年しかないからだ。綾人の命の期限は来年の二月三日までしかない。瀬川はその日まで綾人を見守ったら、天界へと帰らなければならない。  その時は必ずやってくる。それは変えようのない宿命。綾人はそれを受け入れた上でたくさん思い出を残し、それぞれの恋を悔いなくしっかり終わらせようと提案していた。  陽太は、その時までは全ての記憶を持ったままでいられるようになり、瀬川と恋人として過ごすことに決めたようだ。瀬川の目が、自分ではなく自分の中の誰かを見ていたとしても、会えなくなってから後悔するよりはと、今のこの時間を大切にする事にしたらしい。 「綾人、夏休みの間も家の手伝いをするの?」  瀬川が陽太に抱きついて、キスを浴びせ続けているのを眺めながら、タカトも朗らかに微笑んでいた。青白い顔で寝込んでいた瀬川を見続けていた身としては、元気な瀬川の姿を見ているだけで気持ちが上向く。その上機嫌な調子のままで、タカトは綾人の予定を訊ねた。  綾人はそんなタカトの隣に座り、バッグの中をゴソゴソと漁ると、徐にスマホを取り出し、スケジュールを見せた。 「ん、予定。ぜーんぶ真っ白。毎日タカトと過ごす。他に予定は入れない」  やや俯いて、照れ隠しにつんとした顔をした綾人が、恥じらいつつも盛大にデレていた。じっとりと暑い日の最中、それでもサラサラな美しい金髪が風に揺れている。    チラッと上目遣いにタカトを見るその姿が、うっすらと熱を帯びているのがタカトにも伝わった。綾人が何か少しでも動くと、その全てが自分の目には扇情的に見える。タカトの口からは、心臓が飛び出しそうになっていた。  イトが消えた日、貴人様とさくら様からタイムリミットについて、改めてはっきり宣告された。その日以来、綾人はタカトに対する好意を少しも隠さなくなった。    あれからずっと、片時も離れずに二人で過ごしている。綾人は、少しずつタカトの家に荷物を運んでいて、この休暇から本格的に同棲生活を始めることにしていた。 「本当に? 家の手伝いはしなくていいの? 急にやめたらおばさん困らない?」  桂家の両親は、自宅で忙しく働いていながらも、いつも穏やかで優しかった。タカトがいつ泊まりに行っても、二人はいつも優しく歓迎してくれた。  半分は貴人様の術にかかっているから当たり前だと言えば当たり前だ。それでも、もう半分は「完全なる善意」なのだと貴人様が教えてくれた。そんな優しい両親に負担をかけることに、タカトはやや気が引けていた。 「貴人様がね、アレやってくれたから。バーって映像見せるやつ」  貴人様は、綾人の両親への説明の手間を省くため、術を使ってくれたらしい。ただ、タカトはそれでも複雑な思いを抱えていた。綾人には親と過ごす時間も大切にして欲しいと思っていたからだ。  実のところ、綾人も残りの時間を親と過ごさずに後悔しないのかと聞かれると、しないとは言い切れないと思っていた。ただ、残り一年も時間がないと思うと、どうしてもタカトとの時間を優先させたいと思ってしまったのだった。 「家族とは、時々でも家に帰れば顔を合わせられるし、話も出来る。そんなに遠いわけじゃないし、これまでと変わりないよ。それに、俺が消えた後、家族は俺のことを忘れるようになってるらしいんだ。だから、心配しなくて良いんだよ。俺は寂しいだろうけど、家族は悲しまなくて済む。ただ、タカトは俺のことを忘れることは出来ないんだろう? 貴人様が体を借りてる期間が長いから、貴人様と貴人様に関わった事柄は忘れられないらしいんだ。そうなると、思い出たくさん作ってちゃんと終わらせておかないと、後々お前が辛いかなと思って……」  そして、タカトのTシャツの袖をギュッと掴むと、絞り出すように続けた。 「いくら貴人様と一緒になるためとはいえ、今好きだなと思ってる人と別れることが決まってるのは、俺も辛いから。俺自身も、いっぱい思い出作っておきたいんだ」  袖を握りしめた手が、ふるふると震えていた。体いっぱいに抱えた悲しみを零さないように、じっと前を見据えている。流れ落ちると耐えられなくなるのだろう。  目に溜まったものを拭うことも出来ず、ただ震えて耐えていた。タカトはその涙を、親指でそっと拭ってあげた。すると反対側の目からぼたぼたと零れ始め、両頬があっという間に濡れそぼった。    タカトは何もしてあげることが出来ない自分を不甲斐なく思いながら、綾人を腕の中に閉じ込めた。 「そっか。わかった。じゃあ、たくさん思い出作ろう。デートしよっか。旅行とか行く? 毎日は無理だけど、バイト減らしてもいいよ」 「デート……したい! デート! うわ、俺デートするんだ……付き合ってるって感じする!」  泣き濡れたまま笑顔を見せた綾人を見て、タカトは気持ちを切り替えようと努力した。状況は何も変えられないけれど、綾人を楽しませて笑顔にさせてあげられるのは自分だけだと気がついたからだ。  少しでも長く一緒にいて、少しでも深く心を通わせたい。その思いを新たにした。 「デートと二人だけでいく旅行は、後でゆっくり考えよう。せっかくだし、今はみんなでどこいくか決めようよ。瀬川ー! 水町さん、円さん、雨野さん、陽太ー! みんなで旅行行こう! どこか良いところ知ってる人ー!」  えー楽しそう! と言いながら、五人が走って来た。綾人は集まってくるみんなを眺めながら、心がじんわり温かくなるのを感じていた。    入学した頃には、こんな風に仲間と一緒に遊ぶ計画をすることになるなんて、思いもしなかった。自分に寄って来る人はいつも見た目に群がる人ばっかりで、そんな人たちと一緒にいても、何をしても面白くなかった。    両親は自分をとても大切にしてくれていたので、家にいる時だけは幸せを感じられていた。だからこそ、家族以外の人と過ごすということから遠ざかってばかりいた。それが、今はこんなに毎日が楽しい。  命の期限が決まったことで、色褪せていたものが急に鮮やかに見えるようになったのかもしれない。そう言われると、それも一理あるかもしれない。  でも、そうではなくて、今目の前にいるこの五人と過ごす時間が素晴らしいから、そう見えるのだと信じたい。そして、この時間を大切にしたいから、常に最善の選択をして過ごしていきたいと思っている。 「宿命は変えられないけど、運命は選択することで変わります。常に最善の選択をするように心がけて」  さくら様にかけられた言葉を思い出していた。しっかり考えるように癖をつけておく。そうすれば、感情に流されて失敗することも減る。  綾人の場合は、わずかな失敗が大きなダメージになる。何が最善なのかは今はわからない。それでも心がけることで近づけるだろうとは思っていた。   「綾人」  気がつくと、「みんなで飯でも食べながら話そうぜー!」と瀬川が先導して学食へ向かっていた。その中で、タカトが綾人に向かって手を差し伸べている。黝の瞳に穏やかな笑みを浮かべて、綾人の名を呼んでいる。  その声が心地よくて、綾人は吸い寄せられるように近づいていった。 ——もっと呼んでほしい。もっと触れてほしい。もっと長く一緒にいたい。  だんだん変わっていく自分の心の内側を、必死で宥めつつ、タカトの手を取った。 ◇◆◇  綾人とタカトは、まず夏休みに入ってすぐに近場でのデートから始めようということになり、二人で水族館に行くことにした。何かを見るデートだと「見て感想を言い合うのが楽しいよ」と凛華が教えてくれたからだ。    それなら映画かなと思ったのだが、綾人もタカトも映画をほとんど見ないため、何を見るかを決めるのに時間がかかりすぎて断念した。  そこで、動物を愛でようと言うことになり、体力の無いタカトが外で倒れる心配のない、屋内で楽しめる水族館に行くことになった。   「どこかで待ち合わせする? でも水族館って、タカトんちの近くだよね。俺がタカトのうちに迎えに行けばいい?」  このデートの日から同棲することに決めていた。出かける時は別々でも、帰る家は一緒になる。デートでの待ち合わせや迎えに行くという経験もしてみたかった綾人は、ワクワクしながらタカトへ提案した。 「迎えにきてくれるの? なんか変な感じだね。だってもうほとんどウチに住んでるようなものなのに。でも、いいよ。楽しそうだから、迎えに来て。待ってる!」  そう言って、綾人の頬に優しいキスを一つくれた。 ◇◆◇  翌朝、綾人は早起きをして身支度を済ませると、タカトを迎えに出かけた。瀬川の家のある通りを過ぎ、分譲マンションが立ち並ぶ地域に入る。その中に低層のマンションが見えてきた。  タカトは金銭的に大変な暮らしをしているはずなのに、RC低層マンションのオートロック有りの物件に住んでいる。比較的新しく耐震にも優れたそれは、カードキーとディンプルキーで解錠するタイプで、防犯面でもかなり安心できると言っていた。 「木造アパートとかなのかなと思ってた。住居にこだわるタイプなの?」  家に初めて遊びに行った際に、なんとなくそれを訊いてみた。その時、穂村は目をやや陰らせて、苦しそうに答えを吐き出した。 「来てほしくない人がいるから、オートロック必須なんだ」  そう言って右の頬を自分の手で摩った。綾人はその様子を見て、訊いたことを軽く後悔していた。来てほしくない人とは、つまり父親だろうとわかったからだ。    あのあざを毛嫌いして殴り続けている男だ。性質上、殴られても痛くないとはいえ、実の父から殴られ続けていれば、いい気はしないだろう。それが少なくとも高校の頃から続いていると言っていた。  そんな生活が続いていれば、家も出たいだろうし、親にも会いたくないだろう。家族を門前払いするためにオートロックのある物件に住まなくてはならないなんて……綾人には考えられなかった。  そんな気持ちを抱えて生きているタカトを思うと、胃のあたりがチクっと傷んだ。 「えっと、周囲を確認して……」  エントランスのガラスの自動ドア前に立ち、中を覗った。もしそこに誰かがいたら、階段で上がって来て欲しいとタカトから言われていたからだ。  周囲も含めて慎重に見渡し、誰もいないことを確認した。部屋番号を操作盤に入力して、タカトの部屋のインターホンを鳴らす。なかなか反応が無く、三度目でようやくタカトの声が聞こえてきた。 『はいはい。綾人、待たせてごめんね。今開けるから上がってきて』  穂村の声が聞こえて、ドアが開いた。そしてエレベーターに乗り込もうとした時、インターホンの向こう側から怒鳴り声が聞こえ、ブツっと音が途切れるのが聞こえた。 「なんだ、今の……」  タカトは人畜無害なタイプで、他人に恨まれることがない。それなのに、人と争う声が聞こえたということは、相手は父親である可能性が高かった。  綾人は念の為、荷物を背負い直して軽く顎を引き、両拳を構えて臨戦体勢になった。三階が表示され、ドアが開く。それが開き切る直前に、向こう側から手が伸びてきた。  綾人は、襟を掴まれて引き摺り出される格好になったにも関わらず、そのままそれに争わず前に出た。そして、相手の顔を確認した。 ——やっぱり。  相手を確認した綾人は、その男が右の拳を振り上げたのを確認すると、伸びてきた腕を内側から払い、そのまま掴んで下方向に回転させた。相手は勢いがついたまま前方に倒れ込み、右肩を強打して崩れ落ちた。 「うわっ! っ……があっ!」  倒れた男は、右肩を押さえて蹲ったままだ。落ち方を見た限り、脱臼したのだろう。綾人はその男の尻を蹴飛ばしてエレベーターの中へ押し込め、一階のボタンを押し、閉ボタンを連打した。  そして、そのまま踵を返すと、目指す部屋へと走った。 「タカト!」  目的の部屋番号のドアに、人の手が見えていた。手のひらが上を向いた状態で、ぴくりとも動かない。綾人は自分の心臓が跳ねるのを感じた。 ——くそっ!……無事でいてくれ!  そう心の中で繰り返した。  三階最奥の角部屋の半開きのドアの前に辿り着くと、勢いよくそれを開けた。 「っ、タカトっ! 大丈夫か!?」  そこには、長い髪が乱れて張り付き、血だらけで仰向けに横たわるタカトの姿があった。

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