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第21話 一緒にいたいのは、私もだよ。
「え? 何、お前泣いてんの? なんで? どうした?」
綾人が水町と知り合った中学時代以降、泣いている姿を見たことなど、おそらく一度も無かった。それくらい、水町はいつも明るく、強く、優しかった。その水町が泣いている。
綾人が見た目だけを求められて、孤独を強めていった時代を、温かい心で接し続けてくれたのは、水町だけだった。綾人にとっては、とても大切で、かけがえの無い友人だ。
例え水町に憑いたさくら様が、その任務遂行のために自分に近づいて来たのだとしても、綾人を一人にしないでいてくれた、唯一の存在であることに違いは無い。
そんな大切な人が泣いている。綾人は思わず、水町に駆け寄って行った。
急いで階段を登り、その隣に立った。
「水町、こっち」
涙を流しながら階段に立ったままの水町を、端の方へ連れて行き、座るように促した。全く嗚咽を漏らしたり、喚いたりしていない。ただ静かに涙を流している。それが余計に悲しく見えた。
「私も、って何? お前も消えるって話のこと?」
小さく光る水玉は、ポロポロととめどめく溢れ続けていた。この旅行のメンバーのうち、これから先も変わらずにいられるのは、桃花と凛華と陽太だけになる。他は存在が消えたり、孤独を抱えて生きていくことになる。
でも水町は、天界に戻ってまた元通りの暮らしをするはずだ。何がそんなに悲しいのだろうか。
「違う。私は消えないの。穂村くんと同じだって、綾人はわかってないでしょ? 綾人が天界に行けたら、さくら様も帰る。そして、私は水町さくらに戻る。ただの水町さくらにね。穂村くんだけじゃないんだよ。私も同級生の綾人を失う。あれだけ一緒にいた綾人を失うのよ。その喪失感を抱えたまま、忘れることも出来ずに生きていかないといけない。多分すごく寂しいと思う」
ツーッと流れ落ちる涙を見ながら、綾人は胸がぎゅっと締め付けられるのを感じていた。
——そうか、俺がいなくなって悲しむのは、タカトだけじゃ無かったんだ。
タカトのことが気がかりだったとはいえ、水町にも同じような思いをさせるということを失念していた自分が信じられなかった。友人としては一番大事な存在だ。
それなのに、その水町が傷つく可能性に思い至らなかったなんて、ちょっと薄情ですらあるのではないかと思えた。
「そうか……、お前は瀬川とは違うんだったな。瀬川はウルと同一人物だけど、さくら様とお前は別の人だから、さくら様がいなくなってもお前は残るのか。俺、気がついて無かったわ。ごめんな」
灯籠の灯りはぼんやりと辺りを照らしていた。柔らかく穏やかな光の中で、小さく座り込んで泣いている水町は、まるで親に捨てられた子供のようだった。
約七年の付き合いの中で、家族間の愛情に近いものを持っていた。毎日一緒で当たり前だと思っている人がいなくなる。その寂しさの重みを想像して、綾人は申し訳なさでいっぱいになった。
「水町ー。綾人ー。どうかしたー?」
瀬川が、下段の方から叫んでいた。いつまで経っても降りてこない綾人と水町が心配になったようだ。他のみんなも心配しているだろう。
いつもの七人は、みんながお互いを思いやれる優しい集団だ。だからなるべく心配をかけることも減らしたい。綾人は水町の頭に軽くポンと触れた。そして、髪を思い切りぐしゃっと乱した。水町がムッとしながら顔を上げると、目の前に手が差し伸べられていた。
その手は、綾人の可愛らしい顔に似合わず、喧嘩慣れしてゴツゴツと男らしい手だった。不良に絡まれることが多く、不本意ながらも戦い慣れた獅子の手は、水町に差し出される時は、いつだって優しかった。
「確かに俺はいなくなるけど、まだ時間は残ってるだろ? その時間全部を悲しんで過ごさなくていいように、なるべく一緒に笑ってようぜ。……あー、色ボケボーイズって呼んでもいいからさ」
そう言ってふっと笑った綾人は、灯籠の光を受けてキラキラ光って見えた。
——キレイだな。綾人の笑顔。
水町は、この優しくて可愛らしい笑顔が大好きだった。いつも誰かを守っていた、強くて優しくて美しい自慢の友人である綾人と、これからもずっと支え合っていけると思っていた。
そう考えてしまうと、これから先の運命がどうしようも無く悲しかった。それでも、その綾人自身が笑おうとしているのなら、その気持ちに寄り添ってあげ無くてはと、心を奮い立たせて立ち上がった。
——そうだよね。まだ一緒にいるんだから。
ぐっと綾人の手を掴んだ。その力強い手に引っ張り上げてもらって立ち上がると、指で涙を払い落とした。そして、一生懸命笑顔を作ると、パンっと派手な音を鳴らして、自分の両頬を叩いた。
「よっしゃ、許可いただきましたからね。色ボケボーイズの……個人だとピンクさんとかかな?」
ニヤリと笑いながら「ピンクさん行きましょう」と、階段を降りていった。
「はあ?」
今日の水町は泣き出すのも笑い始めるのも全てがあまりに突然で、綾人は呆気に取られていた。その間に水町は下まで降りてしまい、今度は下から大きな声で綾人を呼ぼうとしている。
「回復がはえーよ。ついていけな……」
叫ぼうとしている水町の顔を見て、嫌な予感がした。しかし、気づいた時には、もう遅かった。
「色ボケボーイズのピンクさーん。早く行きますよー!」
ロマンチックなムードをぶち壊す、水町の大声が響き渡った。ただでさえ神社という神聖な場所で、こんなに素敵なライトアップをダメにしてしまう心臓の強さに呆れてしまう。
綾人は「お前なー!」と言いながら、転げるように階段を駆け降りて行った。
帰りの石段は、暗闇にポツポツと浮かぶ灯籠の灯りが幻想的で美しいのに、それを堪能することは一切出来なかった。もはやそんなことはどうでも良かった。
ようやく下に着いた綾人は、水町の口を手で塞いで「いい加減にしろよ!」とじゃれついた。
それを見ていた瀬川が釣られて二人に抱きつき、その瀬川に凛華が抱きつき……路上でキャーキャーと喚きながら、みんなで塊になって笑いあった。
この旅行中、何度こんな風に騒いだだろう。きっとすごく周囲には迷惑をかけているのだろうけれど、全員が今しかないこの時間を目一杯堪能したくて、そのことを気にすることが出来なくなっていった。
「水町さん、泣いてた?」
タカトがこっそり綾人に尋ねた。「うん」と言いながらも笑顔を絶やすまいとする綾人を見て、タカトは金色の髪に優しく手を乗せて、ポンポンと叩いた。そのまま、何事もなかったかのように、またみんなと戯れ合い始めた。
よく考えたら、タカトが友人と戯れ合っているというのも、高校時代なら信じられないような話だ。タカトの背中を見ながら、綾人は喜びを噛み締めていた。
——後悔しないように、自分の選択を信じられるように。今を大切に生きておくんだ。
瀬川をみんなで潰しながら、涙を流して笑っている水町を見た。大切な人が消えて行くのに、自分は残されて、忘れることすら許されないタカトと水町。
二人に申し訳ない思いを抱えながらも、だんだん自分に迫ってきつつある終わりへの実感と恐怖に、綾人も心を潰されそうになっていた。
——信じる。これでいいんだと信じるしか無いんだ。
本当は、全てが恐ろしい。一度泣いてしまったら、戻れそうにないから笑っている。後悔したくないから、このまま壊れていかないように、と自分を奮い立たせながら、綾人は必死に笑顔を作った。
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