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第23話 数百年の愛
二人で部屋に入ると、瀬川が「あーさすがに疲れたー!」と言いながら、ベッドに思い切り飛び込んでいった。
背が高く手足の長い瀬川は、シングルベッドでは小さいからということで、ダブルの部屋にエクストラベッドとしてソファが使用出来るタイプの部屋にしてもらっていた。仰向けになり、ごろんと転がる。
そして、大きく長く息を吐き出すと、ベッドサイドに立ったままの陽太に向かって手を伸ばした。
「陽太」
その長い指を綺麗に揃え、陽太の方へと伸ばす。そして、「おいで」と声をかけた。
「え、だって、もう寝るんでしょ?」
なんの心構えもしていなかった陽太は、瀬川の誘いにすぐには反応出来なかった。その綺麗で大きな手をじっと見つめると、困惑した視線を返す。どういう態度をとることが正解なのか、判断出来ずにいた。
その手を取ればどうなるのか、何の手札も持たないことを経験することは、陽太にとっては恐怖でしかない。肩からかけたバッグのストラップを握りしめたまま、立ち尽くしていた。
「怖がんなよ。何もしないから。明日早いんだし。ただ……」
瀬川は、目の前にいる陽太の姿を見つめながら、はるか昔に無くした笑顔を重ねて見ていた。生まれ変わった魂は、まるで自分のことを覚えていなかった。
『綾人の護衛をするなら、ヤンをそばで見守ることを許してもいいぞ』
貴人様からそう言われた時、瀬川は二つ返事でそれを引き受けた。それでも、また想い合うことができたその運命を、今はただただ嬉しく思っている。
『ウル、絶対治るからな。心配するな』
最後の日に、そう言って笑ってくれた記憶の中の夫を、彼は今でも求めていた。陽太の中に、それを探している。
——こんな気持ちのまま、陽太のそばにいていいんだろうか。
日々その思いに苛まれていた。
「俺、岳斗 とならなんでも出来るよ」
いつの間にか俯いていた瀬川の手を取って、陽太が隣に座っていた。お互いの指を絡めて握りしめ、肌のふれあう感触を確かめては、嬉しそうに頬を緩めた。
「怖いんじゃない。ただ、本当に今日は……しないと思ってたから、ちょっと驚いただけ」
そう言いながら、瀬川の右耳のダイヤモンドのピアスを指で揺らした。
このピアスのことだけは、ヤンの記憶がうっすらと蘇っていた。
『この石は、数百年くらいならそのまま残るらしいんだ。俺の愛は重いからな。永遠に変わらない輝きが必要なんだ』
これは、ウルとヤンが結婚した日に、お互いが身につけ合った愛の証だ。陽太の中にその記憶が蘇ったのは、これを見つけたウルが陽太の元へとやって来て、この左耳につけた瞬間だった。
「俺は陽太だけど、ヤンだと思って抱いてくれてもいいんだよ。そのことでずっと苦しんでるだろう?」
瀬川は陽太の言葉を聞いて、胸が抉られるような衝撃を感じていた。自分はヤンを求めている。それこそ、天人として暮らせる権利を放棄してでも、その魂のそばにいたいと思っている。
でも、今の陽太のことも同じくらい大切に思っている。だから、陽太を蔑ろにしたような関係にはなりたく無いと思っていた。
「それじゃあ陽太がヤンの身代わりになってるみたいじゃないか。俺はそんなの嫌だよ」
陽太はその言葉を聞くと、何かに弾かれたように突然激しく被りを振った。何かを振り払うように、強く必死にその言葉を否定しようとしている。
「そんなの、別にどうでも良くない? ヤンも俺も、体はおんなじなんだしさ。俺たちだって、いつまで一緒にいられるかわからなんだろ? 早くしないと、急に岳斗がいなくなったりしたら、俺……」
そう言って、瀬川の腕を掴むと突然ふるふると震え始めた。ぎゅっと寄せた眉根が、陽太の中で巻き起こる葛藤の重さを表していた。一粒落とした涙を皮切りに、そのまま顔に熱を溜め込んでいく。
それまでなんの兆候もなかったにも関わらず、急に降り出した雨のように、涙が陽太の頬を次々と流れていった。瀬川は陽太の様子を見て、胸に鋭い痛みを感じた。
「どうでも良く無いよ。なんでそんなこと言うんだ。俺、そんな風に思わせるようなことしてたのか?」
瀬川は陽太の顔を覗き込みながらそう問いかけた。陽太は何も言わず、脱力したようにただひたすら涙を流し続けていた。
シーツにパタパタと音をたて、落ちた場所から色が変わっていく。その面積はじわじわと広がって行った。それはまるで陽太の心の様子が現れているように見えた。
「でも……ごめん、ヤンを取り戻したいと思って無いとは言い切れない。だってお前はヤンの生まれ変わりだから。俺のことを思い出して欲しいとも思ってる。お前が今、ヤンの記憶をもってたら、俺は間違いなくお前を抱いてる」
瀬川はそう言って、じっと陽太の目を見つめた。その猛禽類のような瞳孔が、突然ギラリと光った。それを見て、陽太はハッとした。その光の中にあるものが、劣情では無いように見えたからだ。
—— 岳斗 、怒ってる?
その目は獲物を狩る目だった。薄茶色の瞳のなかの黒い瞳孔が、縦に伸びたように狭まっている。
「確かに俺には、陽太もヤンも俺のだという独占欲がある」
話しながらじりじりと距離を詰め、鼻先に息が掛かるほどに近づいていた。その頃には、天狗は声音にも怒りを隠さなくなっていた。
「でも、二人が別人格だと言うことは理解している。俺が陽太をヤンの身代わりとして抱くなんて、絶対に無い。そんなことをしたら、お前が傷つくことくらい俺にだってわかってる」
目の前に迫ってきた瀬川の迫力に気圧され、陽太は思わず身を縮めた。瀬川は陽太の頭をそっと支えると、もう片方の手で肩を抱いた。
「お前はお前だろ。自分を安く扱うな。代わりになるなんて言わないでくれ」
そのまま陽太を自分の腕の中に包み込んだ。
瀬川は、複雑な状況にあることで、陽太が自分を卑下してしまっていると思い、自分の不甲斐なさに腹を立てていた。それがあまりに強い力だったため、陽太は身を捩った。
「ちょっと、岳斗。苦しいよ……」
顔を出そうともがいていると、陽太のピアスがわずかに瀬川の頬に触れ、その肌を裂いてしまった。それは、ほんの少しの傷だった。そこから一筋の傷が浮かび上がると、その血が陽太のピアスに触れた。
「あっ!」
その瞬間、陽太の心臓が何かに弾かれたように、大きく跳ねた。悲鳴を上げ、胸を抑えたまま、まるで息が詰まってしまったかのように喘ぎ始めた。驚くほどの速さで顔が青ざめていき、ガクリと首を折る。
「陽太? どうした? 大丈夫か……」
瀬川が陽太の顔を覗き込もうと僅かに身を離すと、ちょうど陽太のピアスに血がスウっと吸い込まれていくのが見えた。ダイヤモンドに血が染み込むという異様な光景を目にした瀬川が、「なんだ今の……」と言いかけた瞬間、陽太が耳をつんざくような叫び声を上げ始めた。
「っあ、あああああああああ!」
その声で、瀬川は一瞬抱きしめる力を緩めてしまった。陽太はそれを見逃さず、ぐいっと瀬川を押し除けて暴れ始めた。
両手で頭を抱え、視点が合わない状態で叫んでいる。気を抜くと飛び出してしまうかもしれないと思った瀬川は、陽太をもう一度捕まえて抱きしめた。
「陽太!? どうした!! 頭が痛むのか? こっち向いて……」
瀬川は陽太の顎を掴み、グイっと上を向かせた。そして、正面から陽太の額を確認して、その動きを止めた。
「これ……」
そこには、東寺で綾人の額に浮き出たアザと同じようなものが浮かび上がっていた。しかしそれは、似て非なるものであって、瀬川には、それを持った人物にただ一人覚えがあった。
「……ヤン? どうして? なんで陽太の額にこれが?」
陽太は瀬川の手を払い退けると、痛みに耐えながら瀬川をじっと睨みつけていた。口からはずっとううう……という呻き声を漏らし続けている。青白い顔をして脂汗を大量に流しているが、目には力があった。
「陽太……」
瀬川は、心配でたまらずに、また陽太を捕まえて抱きしめた。そして、真ん中で分かれている前髪に指を通して、それを優しく梳いた。何度かそれを繰り返していると、荒れた動物が落ち着いていくように、陽太は落ち着きを取り戻してきた。
痛みに耐えることに疲れたのか、肩で息をしながらも、瀬川の手を自らの震える手でそっと掴んだ。
そして、小さく「うふふ」と笑った。
「陽太? 大丈夫か?」
瀬川が問いかけると、今度は打って変わった表情を返してきた。うっとりと上気した顔で、瀬川をじっと見つめている。そして、もったいつけるようにゆっくりと立ち上がると、瀬川の腰に手を回して抱きついてきた。
「ねえ、痛いの治った? 病院いくか?」
陽太は心配して声をかけ続ける瀬川の言葉に返事はせず、ただ夢を見ているような目で瀬川を見つめているだけだった。感極まったような目でもう一度微笑むと、小さな声で瀬川を呼んだ。
「ウル」
「……陽太?」
瀬川は目の前の人物に、警戒心を抱いた。さっきまであれほど苦しんでいたのに、今度はニコニコしながら歓喜の涙を浮かべている。そして、いつもは|岳斗《やまと》と呼ぶ名前を、なぜか今、ウルと呼んだ。
——なんだ。なんなんだ。何が起きてるんだ。
陽太は何度も抱きしめながら瀬川を呼んだ。ただ、その声や抱きつき方は、明らかに陽太のするようなモノでは無かった。欲情し、その興奮の激しさに一人で勝手に蕩け切っている。そんなふしだらな一面は、陽太は持ち合わせていない。
状況の飲み込めない瀬川は、ぴくりとも動けずにいた。すると、その声の主は、瀬川の体を弄り始めた。
「ああ、ウル。こんな日が本当に来るなんて……」
その人物は、瀬川の体に触れていることそのものを喜んでいるようだった。
手を滑らせ、体の表面をなぞりながら、まるで蛇のように絡みついてくる。そして、無遠慮に瀬川の唇を奪うと、その中へと躊躇いなく侵入してきた。
「はあ、会いたかった。ウル……」
陽太の見た目のままに、唇を吸いながら体を擦り付けてくる様は、何をどう捉えても異常事態だった。そして、その声はだんだんと涙に濡れていった。嗚咽を漏らしながら、瀬川の足の間に入り込み、その熱に手を伸ばした。
「抱いてくれないの?」
そう言いながら、自ら服を脱ぎ始めた。
瀬川は、その行為を眺めながら、呆然とする他なかった。ただされるがままに口付けられ、肌を滑る手を拒むこともできず、どうすべきなのかを考え続けた。
どうしてなのかはわからないが、陽太とヤンの人格が入れ替わっているらしいことはわかった。ただ、これが本当にヤンであるとすれば、なぜ自分はこんなにも冷め切った気持ちでいるのだろうかと訝しんでいた。
ヤンだと思われる人物は、瀬川に対してまっすぐに愛情を表している。そう感じるのに、瀬川の気持ちは全くそれに応えようとしない。本能が、警戒しろと言い続けていた。
——どうやってここを凌げばいいのか……。
考えあぐねていると、遠くの方で電子音のアラームが鳴り響く音が聞こえた。綾人とタカトの部屋に集まらなくてはならない。「一刻も早く」と貴人様に言われていることを思い出した。
「ねえ、ウル。抱いてよ……」
目を潤ませた相手が、瀬川をじっと見上げていた。
会いたかった、最愛の男の声が聞こえる。数百年待った再会だ。本来なら、泣き叫びたいほどに嬉しいはずだ。それにも関わらず、どこかが、何かが、腑に落ちない。なぜだか分からない。でも、この理由を明らかにしなければならない。
瀬川は一瞬グッと腹に力を込めた。そして、それを全て吐いて覚悟を決めると、大きな羽と長い髪を露わにし、本来の姿へと戻っていった。
——陽太、ごめんな。
普段は隠している天狗としての暴力性を全開にすると、その目をヤンへと向けた。その唇に噛みつき、舌を差し入れて貪りながら、二人でベッドに倒れ込んだ。
「ああ、ウル。愛してるよ」
そう言って微笑むヤンを見て、胸がずきりと痛んだ。
——喜べない。嬉しくない。この違和感はなんだ。
その思いを振り払って、今はこうするしかない気がしていた。この賭けがどう転ぶかは分からない。それでも、貴人様のことを信じていくしか無かった。
『一刻も早く』
今は、それを守ることが最優先だ。
「貴人様の命に背くわけにはいかない」
そう呟きながら、ぐいっとヤンの顎を上に向けると、胸の小さな突起を舐りながら、期待で揺れ動く腰を掴んだ。
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