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第1話 初めての会話

万華鏡ばかり覗いている子どもだった。小さな穴を覗けばいつだってキラキラした世界に連れて行ってくれる万華鏡。筒を回すだけで様々な表情を見せてくれる。特に昔は子ども特有の発想力で楽しそうに見えたり、嬉しそうに見えたりしていた。窮屈な現実から逃げ出したくなった時、俺は決まって万華鏡を覗く。それは高校生になった今でも変わらなかった。いつものように日が傾くまで屋上で万華鏡を覗いて、そろそろ帰ろうと廊下を進んでいて足が止まった。空き教室に誰かが立っている。夕日が差して教室の机がキラキラと反射しているせいだろうか。俺はこの光景をまるで万華鏡を覗いた世界であるように感じた。それはとても綺麗で、それでいてどこか危うさを感じさせるものだった。そこでは、 クラスメイトの草薙蓮華が男とキスをしていた。 弁当をかき込んでいつものように万華鏡を手に取る。錆びたフェンスの隙間からグラウンドを見ると、数人の男子生徒が制服姿でサッカーをしていた。教室で昼食をとっていたら今頃俺もあそこにいたのだろうか。そんなことを考え始めた自分を止めるように万華鏡を覗く。ゆっくり回すとカラカラチャカチャカ音が鳴る。風が強い日はフェンスが風で揺れてゴウゴウとうるさいが、今日は穏やかな風が吹いていた。昨日見た光景も悩みも忘れさせてくれる、そんな風だ。 「何見てるんですか?」 突然、後ろから声が掛かった。男の声にしては高く透き通っている声。反射的に後ろを向くとそこにはクラスメイトの草薙蓮華が立っていた。忘れかけていた光景が一瞬にして輪郭を得る。動揺して言葉に詰まっていると草薙がフェンスに近づいた。 「何かあるんですか?」 どうやら俺が望遠鏡か何かでグラウンドを眺めているように見えたらしい。咄嗟に右手に持っていた万華鏡を持ち上げて見せた。カラリと音が鳴る。 「違う違う。これ、万華鏡。」 「万華鏡?」 そう聞き返しながら草薙はこちらを向いた。黒くて細い髪が風に乗って揺れる。視線は万華鏡に注がれているのに、ビー玉みたいな瞳がキラキラと俺を映しているようで途端に落ち着かなくなる。こうして対峙するのは初めてだ。 「へえ、随分懐かしいものを持ってますね。てっきり更衣室でも覗いているのかと。」 「は、そんな訳ないだろ!」 動揺していたせいで反応が遅れたが、とんでもない誤解をしていたらしい。 「見てもいいですか?」 「え?ああ。」 草薙は俺に合わせてその場にしゃがみ込んだ。特に断る理由もないので素直に万華鏡を差し出す。受け取った草薙は右目に万華鏡を合わせると、左手を使って左目を塞いだ。変わった覗き方だなと声をかけようとした時草薙が首を傾げながら聞いてきた。 「なんですか?これ。」 「だから万華鏡だよ。」 「そうじゃなくて、中身です。」 右目から万華鏡を離した草薙は俺の顔をじっと見て答えを待っている。そうか、普通はこんなもの入れてないもんな。 「BB弾とレゴブロック。」 「は?」 「いやそれ、小3の時の自由研究で作ったやつなんだけどさ。せっかくなら自分の好きなもん入れたいなと思って。ほら、昔公園とかでBB弾拾ってただろ?」 「拾ってませんが……」 「えまじ?」 小学生男児ならみんな拾ってると思っていたが、そうではないらしい。俺の話を聞いた草薙は物珍しそうにもう一度万華鏡を覗いていた。また覗き方が変だったがあえて突っ込まなかった。 「そういえば、草薙の名前も“華“って書いて“ゲ“って読むよな。」 「まだ入学してから一週間しか経っていないのに、よく下の名前まで覚えてましたね。」 「そりゃあ、まあ……」 草薙蓮華。この名前はクラス名簿の中でも一際目を引いた。 「草冠だらけで笑えるからでしょう?」 そう。草薙蓮華を形成する漢字は全て草冠なのだ。俺も初めて見た時はなんとも統一感がある名前だなと驚いたものだ。草薙は俺のような反応に慣れているのか半ば自虐気味に言ってのけた。思わず言わなくていいことを口にする。 「俺も名字と名前を縮めて、フユカイだって揶揄われてたよ。」 小学3年生のある日俺の名字は突然変わった。そんな俺にクラスの誰かが言ったのだ、不愉快だと。丁度その頃、不愉快ですが決め台詞のヒロインが出てくるアニメが流行っていたからだったと思う。今思えばどうしようもなくくだらないが、高校生になっても覚えているということは、多少は傷ついていたのだろう。あの頃はいろんなことに敏感だった。余計なことまで思い出してしまいそうで、思わず右手を上げる。けれどそこには万華鏡はなくて、草薙に貸したままだったことに気がついた。草薙は俺の話を聞いているのかいないのかよくわからない表情をしていたかと思えば、少し考える素振りを見せた。 「ちなみに僕は、君の下の名前覚えてません。」 「カイだよ!冬木快!」 草薙は小さく、ああそれでと呟いて俺に万華鏡を押し付けるように渡すと立ち上がった。万華鏡が手元に戻ってきたことに小さく安堵していると、視線を感じた。それは当然目の前にいる草薙からの視線で、座っている俺は見下ろされる構図になる。 「なんだよ。」 「君、見てましたよね。」 「だから万華鏡を」 そこまで言うと草薙がそうではなく、と俺の言葉を遮った。その瞬間緊張感のようなものが空間を襲う。俺は草薙の次の言葉がわかってしまって、それでいて往生際悪く言わないでくれだなんて思っている。それでも草薙は透明な水のような声で言ってしまう。 「昨日の放課後。」 逃げられないと俺は肩を落とした。物音を立てずに退散したと思っていたが、どうやらバレていたらしい。 「あー、悪い。覗くつもりはなくて……」 気まずくて目を泳がせている俺とは対照的に草薙は淡々としていた。 「別に怒っていません。あんな人目につく場所でしていたのが悪いんです。」 草薙はそれ以上何かを言うでもなくて、沈黙が余計気まずくさせる。深く踏み込まない方がいいような気もしたが、沈黙を破ろうと考えなしに口を動かしてしまう。 「えーと、あの人って男、だよな?」 「はい。」 「付き合ってんの?」 「付き合ってはいません。」 「そりゃそうだよな……って、へ?!付き合ってねえの?!」 「そんなに驚くことですか?」 「いやだって……」 俺だって自慢じゃないが中学入学以来彼女が途切れたことはなかったし、同年代の中では経験豊富な方だと思う。しかし、付き合ってもいない同性とキスなんてしたことはない。それが普通だと思っていたが草薙のこの反応、まさか俺が少数派なのか? 「とりあえず、このことは他言無用でお願いします。」 ぐるぐると頭を抱える俺をよそに、草薙は言いたい事だけ言って屋上から去ってしまった。どうやら口止めのために来たらしい。元々こんな事誰にも話せないし、見なかったことにしようと思っていたのだが、草薙の話を聞いて忘れることすらできなくなってしまった。気を抜くとまたあの光景を思い出してしまいそうで、俺は咄嗟に万華鏡を構えた。万華鏡を覗けば余計なことを考えなくて済むから。しかしその前に昼休みを終える鐘が鳴り、俺はモヤモヤしたまま草薙のいる教室に戻った。草薙は何事もなかったように席についているが、俺は授業どころではなかった。どうしても昨日見たキスシーンを思い出してしまう。相手の男は顔は見えなかったが長身で大柄だった。ウチの学年であそこまでガタイの良いヤツは見たことがない。であればやはり先輩なのだろうか。まさか、草薙は何か弱みを握られていて、あの男に無理やりキスされたのでは……?そしてそれを口外すれば取り返しのつかないことになるから、わざわざ口止めに来た?そう考えたら途端に草薙が心配になってきた。大人しそうなあいつのことだから、先輩相手に強く出られないのだろう。もしかして俺のところに来たのも遠回しのSOSだったのではないか。と勝手に盛り上がって、俺がなんとかしなければと決意したあたりで我に帰った。こんなのは全部俺の妄想でしかない。現に当の本人はケロッとしていたではないか。単なるクラスメイトの俺がこれ以上関わるべきことじゃない。そう思っていたのに、帰り道でまた草薙をみつけてしまった。大通を長身で大柄な男と歩いている。間違いない、昨日草薙とキスしていた男だ。

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