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第2話 気になる

俺は何をやっているのだろう。建物の影に隠れながら自分自身にツッコミを入れる。視線の先には、クラスメイトの草薙蓮華と、その草薙とキスをしていた男がいる。大通から裏路地を進む2人を見て、ただ帰っているだけではないと、居ても立ってもいられなくこうして跡をつけてしまった。目的地次第では俺の先ほどの妄想が現実的になってくる。すると草薙と男が雑居ビルのようなところの前で止まった。目を凝らして看板を読んでギョッとした。次の瞬間俺は駆け出していた。 「クサナギッ!」 「え、冬木くん?」 喉が張り裂けそうなほど叫んだのはいつぶりだろうか。一瞬だったのに俺の顔を見た草薙の驚いた表情が目に焼きついた。一緒にいる男の顔を見る余裕もなく強引に草薙の手を掴んで駆け出す。 「ちょ、ちょっと!急になんですか!」 大通の手前まで来て草薙が俺の手を払う。払った弾みで肩にかけていたスクールバッグがどさりと落ちた。 「なんですかじゃねえよ!何ホイホイついて行ってんだよ!あそこが何かわかってんのか?」 俺の怒鳴り声が街の騒音に溶けて消える。自分で声を出しているのに、なんだか遠くで聞こえるみたいだ。草薙にちゃんと聞こえたか不安だったが、草薙は俺の目を見てはっきり答えた。 「わかってます。」 今度はやけに近くで聞こえる。 「嘘つけ!」 「わかってますよ、ラブホテルでしょう。」 平気な顔でそう言ってのける草薙に俺は絶句してしまった。俺の良くない妄想が当たっていたということではないのか。ところが草薙は至って冷静だった。 「何か誤解しているようなので言っておきますが、僕は先輩に無理やり連れてこられた訳ではありません。むしろ僕から誘ったんですよ。」 「は?」 「パパ活とかあるでしょう?僕みたいな若い男も需要はあるんです。お金ももらえるし。」 草薙の言っていることが理解できない。 「けど、こうなってくると流石に口止め料が必要ですね。学校にバレる訳には行きませんし。」 理解が追いつかない俺をよそに、草薙はまるで名案でも思いついたようにそうだ、と呟きながら一歩分距離を詰めてきた。 「良ければ抜いてあげましょうか、僕上手いですよ?」 草薙の手がいつの間にか、俺の太腿辺りを撫でている。ビー玉みたいな瞳が熱を帯びて俺を捉える。誘うようなその顔は普段の草薙蓮華からは想像もできない妖艶な表情で、ああまた、万華鏡みたいだ。 相手は男なのに俺の身体は快楽を求めるように熱くなっていく。熱くなった身体が裏路地を通る風を敏感に捉え、ようやく俺は我に帰った。 「ふざけんな!」 ばっと勢いよくのけ反ると草薙が少しだけ驚いた表情を見せた。 「何怒ってるんですか?男同士ならリスクも少ないし丁度いいですよ。」 なんの躊躇いもなく疑問もなく本心で言っているのがわかる。それが余計に痛々しかった。 「……ずっとこんなことしてんのか。」 「そうですね、1年ぐらい前から。」 「なんで……」 無意識のうちにそう聞くと草薙は目を逸らしてしまった。 「……君に話す義理はありません。」 草薙は力なくそう言うと、足元に落ちたスクールバッグを拾い肩に掛け直した。言いたいことはたくさんあるのに、草薙の小さな背中を見ると何も言えなくなる。きっとこれ以上言及しても話すことはないだろう。草薙の言う通り俺に話す義理などないのだから。 「……心配しなくても言いふらしたりしねえよ。」 「なら、信用します。」 結局そんなことしか言えなくて、草薙は振り返ることなく答え大通りの中に消えてしまった。急に力が抜けて息を吐きながら壁にもたれかかる。らしくないことをしたせいかどっと疲れた気がする。草薙の顔が言葉が頭から離れなくて、なんだかやるせなかった。自分を売っているあいつを見ていられない。ただのクラスメイトなのに、なんでこんなに気になるのだろう。 週明け教室に入ると草薙はまだ来ていなかった。なんとなく安心して自分の席に座る。するとすぐに前の席の柊が近づいて声をかけてきた。 「冬木ぃ、おはよー。」 「おー、おはよう。」 柊は俺に向き合うように椅子を跨いで座るとニヤニヤと話し出した。 「いよいよ今日だな!」 「何が?」 「何がって、席替えだよ!」 黒板横の予定表を見るとホームルームに席替えと書いてあり、俺はああと声を漏らした。 「テンション低くねー?高校入って初めてだし、何より平成最後の席替えなんだぞ!」 「あ、あー!そうだったそうだった!歴史的な日じゃん!」 「だよなー!」 柊のテンションになんとか合わせているとクラスメイトの桂木と千葉が近づいてきた。 「平成最後ってそろそろ聞き飽きたよな。」 「お前らテンション高過ぎだろ。」 確かに今月新年号が発表されてから、ますます盛り上がって事あるごとに平成最後のと言われている。ノったつもりだったが違っただろうか。チラリと3人の表情を見たが、変な空気にはなっていないようでこっそり胸を撫で下ろした。 「でも今まで出席順だったし、席が近いと話す機会も増えるだろ!やっぱ気になる子と隣の席になりたいじゃん!」 柊の言葉を聞いて、俺は無意識に教室の隅の方へと視線を動かしていた。いつの間にか草薙は自分の席に着いていて、1限目の準備をしている。何事もなかったようなすました顔に少しだけ腹が立った。俺はこの週末モヤモヤと考え込んでいたと言うのに。いや、俺には最初から関係ないことだ。もうできるだけ草薙とは関わらないようにしよう。 「冬木ぃ?」 「あ、何?」 「来週の金ロー!ゼロシコなんだぜ!」 俺がぼーっとしていた間に話題は変わっていたようだ。慌てて取り繕ってなんとか話についていく。早く授業が始まればいいのにと少しだけ思った。ホームルームの時間になると、柊が何度も振り返っては話しかけてきた。俺はそれをあしらいながら一番前の席は嫌だななんて思っていた。そうして高校生活最初にして平成最後の席替えが始まり、俺は頭を抱える結果となってしまった。 「よろしくお願いします、冬木くん。」 例の草薙蓮華の隣の席になってしまったのだ。よりにもよって関わらないようにしようって思った矢先に、なんと間の悪いことだろう。 「ああ、よろしく……」 俺はそっけない返事しかできなかったが、草薙は全く気にしていないようだった。関わらないようにしようと意識すればするほど、草薙の一挙手一投足が気になってついチラチラと盗み見てしまう。草薙は授業中も休み時間もぼーっとしていて、何を考えているかわからないところはあるが、男相手にあんなことをしているやつとはとても思えなかった。放課後になり草薙は鞄を机に残したまま教室を出て行った。便所か?ってこれじゃまるでストーカーだろ…… 「おーい、そこの君。」 急に廊下から低い声がして反射的に声のした方を向く。すると長身で強面の男子生徒と目が合った。見かけない顔だが先輩だろうか、俺は少し緊張しながらドアに近づいた。 「ちょっと聞いてもいいか?」 「は、はい。」 強面だが口調が柔らかいためだろうか、思ったより怖くなさそうだ。だが直後に発せられる名前を聞いた俺は、この時警戒心を緩めたことを後悔することになる。 「草薙蓮華くんってこのクラス?」 草薙蓮華。この人の口からその名前が出た瞬間、俺の中で何かが繋がった気がした。 「もしかして、先週草薙と一緒にいた人ですか。」 俺の言葉に先輩は目を見開いた。 「あれ、君はもしかしてあの時のヒーローくん?」 「ヒーローって……」 「だってヒーローみたいだっただろ?あんなことされたら女の子はイチコロだな。」 先輩はニコニコと話しているが、はぐらかされているようで俺は無視して言葉を続けた。 「あんなこと、もうやめてください。」 「あんなことって?」 「身体を金で買うようなことっすよ……!恥ずかしくないんすか?年下相手に。」 思いのほか自分の声に怒気がはらんでいて驚く。俺はどうして怒っているのだろう。 「そんなこと、俺はやらないよ。」 「え。」 誤魔化されるか拒否されると思っていたため、間の抜けた声が出てしまった。しかし次の瞬間、ずっと穏やかだった先輩が表情を変えた。怒っているような呆れているような、もしくは苦しんでいるような顔で絞り出すように言葉を放つ。 「金もらうからって見ず知らずのオッサンとなんて、俺がやらせない。」 「どういう意味ですか?」 「草薙がなんであんなことやってるか、君は知ってる?」 「え、金のためとか……」 確かあの時草薙はパパ活のようなものだと言っていた。それならやはり金が目当てではないのか。しかし先輩は首を横に振った。 「違うよ。あいつはヤリたくてヤってるんだ。」 「え……」 思わず声が漏れる。そういえば草薙は自分から誘ったと言っていた。 「SNSで出会った相手なんてどんなやつかもわからない。だから俺が相手になる。金で繋がるんじゃなくてちゃんと合意の上の関係だ。セフレって言うのかな。」 この人は草薙を守りつつ、草薙の欲求を満たすと言うのか。すごい覚悟だと思った。俺にはそんなことはできない。 「先輩って、草薙とどういう関係だったんですか?」 そこまでの覚悟を決められる相手ということは、元々相当親しい間柄だったのだろうか。 「中学の後輩だよ。草薙は覚えてないかもしれないけどな……」 俺の質問に先輩は、どこか遠い場所を見ながら答えた。 「え、秋田先輩?」 すると廊下から草薙の声が聞こえてきた。低い秋田先輩の声を聞いた後だからか、草薙の声が普段より高く響く。 「よお、草薙。」 「どうかしたんですか?」 ニコニコと笑いながら草薙と向き合った秋田先輩は、さっきの空気を一切感じさせない。俺は若干気まずくなって自分の席ににじり寄った。 「一緒に帰ろうと思って迎えにきた。」 「僕クラス教えてましたっけ?」 「彼に聞いたんだよ。」 ドア付近で話していた二人の視線が一気に俺に集まる。草薙と目が合った気がして咄嗟に目を逸らした。 「そうだったんですね、鞄取ってきます。」 「それより草薙、俺のことは広先輩って下の名前で呼んでくれていいんだぞ?」 「遠慮します。」 席と廊下で話し続けている2人の会話を盗み聴きながら、俺はスクールバッグの中で万華鏡をいじっていた。なんとなく今帰るのは気まずくて、時間を稼ぎたかったからだ。カラカラと言う小さな音に集中していたと言うのに、俺の耳はこいつの声を逃さない。 「冬木くん、また明日。」 まただ。ビー玉のような瞳がキラキラと瞬いていて、俺はそこにまんまと囚われている。男にしては高く透き通った水のような声で呼ばれた名前はなぜかひどく心地よくて。地味で大人しいかと思えば妖艶な表情で男を誘う。見え方がくるくると変わるこいつはまるで、万華鏡のようだ。

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