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第3話 キスの真相

人より早くやってきた成長期は俺を孤独にした。周りよりかなり高い身長に地を這うような低い声、元々目つきが悪かったことも手伝って、俺は中学入学以来ずっと1人だった。初対面の人はおろか、クラスメイトにも怖がられる始末。俺はそんな自分が嫌で、わざと猫背にして過ごしていた。座席はみんなの視界の邪魔になるからいつだって一番後ろ。そんな生活が続き2年に上がってすぐの頃、休み時間に席に座っていると廊下から声をかけられた。 「あのすみません。」 その高い声の主は男子というより男の子という表現がしっくりくるようで、新入生だろうとすぐにわかった。細い黒髪の隙間から飴玉みたいな目が覗いている。その目にじっと見つめられて、俺は動けなくなってしまった。こんな風に誰かと目が合ったのは久しぶりだ。 「雅くんいますか?」 彼は教室の中をチラリと覗きながら尋ねてきた。聞かれた名前を反芻して認識を一致させる。 「みやびって……草薙?」 「そうです!」 俺がそう言うと、彼は飴玉みたいな目を細めてふわりと笑った。胸の辺りが暖かくなっていくのがわかった。 「ああ、ちょっと待ってな。」 俺は怖がらせないようにできるだけ優しい声でそう言って、教室を見渡した。すると丁度草薙の席に人だかりができていた。こうも大勢で集まられては近寄りがたいが、怯む訳にはいかない。 「草薙、1年生が呼んでる。」 出来るだけ近づいて声をかけると、近くにいた全員が俺を見上げてきた。名前も覚えていない女子が顔を引き攣らせていて、俺は一刻も早くこの場を離れたくなった。草薙は廊下の方へ視線を向けると、ふっと一瞬だけ微笑み立ち上がった。 「……ああ、ありがとう。秋田君。」 草薙雅、クラスメイトで委員長の彼が俺は少し苦手だった。草薙の周りにはいつも人がいて、彼はいつも中心にいた。頭が良くて運動もできて、その上誰とでも気さくに話す姿に、俺は劣等感を感じざるを得なかった。役目を終え自分の席に戻ると、廊下で草薙とさっきの男の子が立ち話をしていた。どうやら男の子は草薙に随分懐いているようで、飴玉みたいな目を細めて楽しそうに笑っている。その様子を見ている草薙に俺は目を見張った。普段クールな草薙の顔が、見たことないほど緩んでいたのだ。愛おしいものを見るような目が、全てを物語っている気がした。それからあの男の子は毎日のようにウチのクラスを訪ねてきた。後ろのドアから声をかけるので、ずっと後ろの席に座っている俺が毎回草薙を呼んでやっていた。ある日移動教室から戻ると、いつものように後ろのドアから教室を覗く男の子がいた。 「草薙ならもうすぐ戻ってくると思うぞ。」 「あ、先輩。ありがとうございます。」 まだ誰もいない教室に2人無言の時間が過ぎる。俺はずっと気になっていたことを口にした。 「君は、俺が怖くないのか?」 初めて会った時からずっと俺とまっすぐ目を合わせてくれた彼。そんな彼はきょとんと首を傾げて、またあの飴玉みたいな目を細めた。 「怖いなんて思ったことはありません。」 そんな風に言って笑うから、俺は君に恋をしたんだ。けれどお互い名前も名乗らないまま一年が過ぎ、3年に上がって草薙とクラスが離れ俺たちは会うことも無くなった。 そんな淡い初恋から3年、俺の身長は相変わらず頭一つ抜けているけれど、もう怖いという理由で避けられることはなくなった。 「なあ、この子可愛くない?」 「まあ可愛いな。」 「はい残念男でした〜」 「何?」 「男の娘ってやつ。騙されただろ。」 今ではこうやってバカ話をする友人にも恵まれている。 「ま、こっちの子くらい可愛かったら男でもいけそうだけど。」 そう言ってスクロールされたスマホ画面を見て俺は息を飲んだ。 「それ、誰だ。」 「お、気になる?」 そこに写っていたのは俺の初恋の男の子だった。口元は隠しているが、この黒髪に飴玉みたいな目は間違いない。 「SNSでオッサン相手に小遣い稼ぎしてる子。たまたま見つけたんだけど、どうやらこの辺の子みたいなんだよなぁ。」 ガツンと、後ろ頭を鈍器で殴られたような感覚が走った。毎日のように一つ上のクラスを訪ねては、キラキラした笑顔ではしゃいでいたあの子が、こんなことしてるはずがない。俺は友人からそのレンと登録されたアカウントを教えてもらい、ダイレクトメッセージを送った。すぐに返事は来たが淡々とした印象に違和感を覚えた。まさか他人の空似なんだろうか……何度目かのやりとりで自撮りを送って欲しいと言われ、テンパった俺はつい制服姿をそのまま送ってしまった。だが次に来た返事は、空き教室で待っていますというものだった。同じ高校にいるなんて思ってもみなかった。放課後指定された空き教室に行くと、小柄な男子生徒が窓の外を見ていた。見覚えのある後ろ姿に、胸がギュッと締め付けられる。ドア付近で動けなくなっている俺に、気がついた彼がゆっくり振り返った。細い黒髪が揺れた。 「こんにちわ。」 「あ、ああ。」 声は少し低くなっているが、あの頃と同じ飴玉みたいな目に俺が写っている。近づいてはいけないような気がするのに同時に触れてしまいたくもあって、結局動けないままの俺に彼は平気な顔で距離をつめる。 「驚きました。いつも僕に連絡をくれる人はもっと年上なので。」 その言葉に、彼に容易く触れたであろう会ったこともない男どもの影がチラついて、俺はようやく一歩を踏み出した。 「……名前、聞いてもいいか?」 「まあ、同じ高校の後輩になりますし名乗らないとですよね。」 俺は3年かけてやっと彼の名前を聞くことができた。気持ちがはやって意味もないのについ口元を凝視してしまう。 「草薙蓮華です。」 草薙?不意に中学時代苦手だったクラスメイトの顔が浮かんだ。似ていると思ったことはないが、同じ名字と言うことは兄弟なのだろうか。 教室の前で話していた二人は、とても兄弟には見えなかったが。 「先輩のお名前は?」 「あ、俺は秋田広、2年だ。」 「秋田先輩、ですね。」 この様子ではやはり俺のことは覚えていないだろう。ただ知り合いを呼んでやっていただけ、しかももう3年も前のことだ。 「草薙は、なんでこんなことやってるんだ?」 「こんなことって、僕に連絡をくれた先輩が言います?」 「君のSNSは見たが、普段相手にしてる連中は素性もわからんやつばかりだろ。」 「……もしかしてお説教ですか?」 「そう言うつもりじゃないが……」 草薙のまとう空気が変わった。 「僕がヤる理由、そんなのヤリたいからに決まっているでしょう?」 やはりメッセージのやりとりで感じた違和感は、気のせいなんかではなかったようだ。あどけなさが抜けただけではない、初めて会った頃の彼と今の彼は確実に違う。 「ある程度人を選別するためにお金はもらいますが、そんなのは別にどうだっていいんです。」 俺は彼が、何を考えているのかわからない。 「なぜ……」 思わず漏れた疑問に草薙は俯いた。飴玉みたいな目が黒髪に隠れる。 「僕が救われるため、ですかね。」 草薙がその言葉をどんな顔して言ったのか俺には見えなかったけれど、救ってやりたいと思った。他の誰でもなく俺が救ってやりたい。 「秋田先輩は、僕を救ってくれますか?」 答えなんて決まっている。俺は君が好きだから、君の力になりたい。誰よりも近くで君を脅かす存在全てからきっと救ってみせる。そう、思うのに。いつの間にか俺の懐に入り込んでいる彼。背伸びをして腕を伸ばして俺の頬を包む小さな手。密着した身体は確かな熱を持っていて。飴玉みたいな目は潤んで揺らいで、こんなにも近くにいるのに俺なんて写っていないみたいだ。ほんのわずかな力で引き寄せられてしまうのは、俺が抵抗しようとしていないから。目を瞑ることも忘れ彼の細い黒髪が鼻に当たってくすぐったい。そんなことを考えていると、ちゅっとわざとらしいリップ音が教室に響いた。辺りの机が夕日のせいでキラキラと反射している。唇が触れ合ったのは一瞬だったはずなのに、それは永遠に思えた。草薙が俺の頬から手を離す。話していた時よりずっと近くにいるのに、それだけで遠くに行ってしまったように感じた。 「男とヤるのが、救いになるのか。」 「はい。」 「それなら、俺がやる。草薙がヤリたい時はいつだって俺が相手になる。」 掴めてもいない手を放したくなくて足掻く俺は、きっとただの馬鹿だ。 「え?」 「金が目当てじゃないんだろう?ならもうどこの誰かもわからんやつの相手はするな。」 俺のこの想いは彼の救いになんてならないだろう。 「セフレってことですか?」 「互いに利得だろう。」 「僕は大歓迎ですけど、先輩は男を抱けるんですか?」 草薙の欲求を満たしつつ草薙を守るには、この選択が最善なんだ。そのためなら俺はどんな俺にだってなってやる。 「君のSNSを見ているんだ。わかるだろう?」 気持ちを悟られないために出来るだけ淡々と告げると、草薙はじっと俺の目を見てきた。草薙の考えていることはわからないのに、こちらの考えていることは見透かされてしまいそうで、俺は思わず目を逸らしてしまった。初めて会った時からずっと俺とまっすぐ合わせてくれた目を、自分から逸らしてしまった。 「わかりました。よろしくお願いします、秋田先輩。」 そう言った草薙はやはり何を考えているのかわからなくて、飴玉みたいな目を細めて笑うあの顔が恋しくて仕方がなかった。

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