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第20話 草薙蓮華は万華鏡のごとく
六月も下旬に入り、梅雨真っ盛り。じめじめして気分が下がるだとか、祝日が一日もなくて辛いだとか、もうすぐ期末試験だとか。高校生の俺たちには悩みが絶えない。現実はいつだって窮屈で、誰しもが逃げ出したいと思っている。そんな時、俺はいつだって万華鏡を覗いていた。小さな穴を覗けばいつだってキラキラした世界に連れて行ってくれる万華鏡。筒をカラカラと回すだけで様々な表情を見せてくれる。けれど俺はその大事な万華鏡を壊してしまったことがある。散らばったビーズを見て、俺は知った。綺麗なものは壊れやすいと。俺の万華鏡は今、いくら回しても音は出ない。それでも……
「ちょ、蓮華重いって。もうちょっと待て。」
「もう十分待ちました。」
それでも、今隣には蓮華がいる。俺にとっての、俺だけの万華鏡が。出会った当初こそ表情が乏しくて、何を考えているかわからなかったが、今では喜怒哀楽をしっかり顔に出してくれる。
「これじゃ弁当箱仕舞えないだろ。」
「知りません。」
今だって、俺の肩にぐりぐりと頭を押し付けながら、不満げな顔を浮かべている。蓮華をなんとか抑え、弁当箱を袋に入れることが出来た。相変わらず降り続いている雨音は、屋上の階段前まで響いている。
「ほら。」
そう言って両腕を広げてみたが、今日はそのまま腕にしがみつきたい気分のようで、見事にスルーされてしまった。こうして見ると小悪魔というより、猫みたいだ。蓮華と恋人になって一週間。蓮華は意外と甘えただったようで、二人きりになると、こうしてすぐにくっついてくる。甘えてくれるのは正直とてつもなくかわいいのだが、初めは慣れなくて戸惑ってばかりだった。
「そういえば、今日の晩ご飯は何にしますか?」
「暑くなってきたしなぁ。冷やし中華とか?」
「いいですねぇ。」
蓮華はそう言うと俺の顔をじっと見つめてきた。
「……なんだよ。」
「キスしてください。」
初めての蓮華とのキスは、蓮華からの不意打ちだった。その時の俺は情けなくも狼狽まくり、蓮華に盛大に揶揄われてしまった。それからと言うもの、キスは俺からとなっている。すると蓮華は、キスがしたくなるとこうして俺の顔をじっと見つめてくるようになった。期待に満ちたその表情もかわいくて、俺はその度に蓮華の口からキスがしたいと言わせてしまう。まだ慣れないキスは、リップ音もないままただ触れるだけのものになってしまった。
「ふふふ。」
それでも上機嫌に笑ってくれる蓮華が愛おしくて仕方がない。俺も男なので、蓮華とキス以上のことをしたいと当然思う。けれど、ただでさえ経験がない俺に、蓮華を気持ちよくしてやれるのだろうか。男同士のやり方を調べれば調べるほど、そういう不安が大きくなってしまう。
蓮華の家で晩飯を作る時、蓮華は驚くほど戦力にならない。料理をしている俺を、少し距離を置いて眺めている姿はまさしく猫そのものだ。たまに手伝ってもらうのだが、いつもの強気はどこへやら、オロオロと弱気になってしまうから面白い。今日だって、きゅうりを切るだけでものすごい顔をしていた。なんとか完成した冷やし中華をあっという間に平げ、二人でやいやい話しながら皿を洗う。ティーパックの紅茶でも淹れようかと思った時、蓮華が俺の顔をじっと見つめてきた。
「快くん。」
「ん?どうした?」
ビー玉のような瞳と目が合う。その視線は真っ直ぐ俺を捉えている。俺はわかっている言葉を、懲りもせずに待った。
「……いえ、なんでもありません。」
「え、そうか?」
てっきりいつものようにキスをせがんでいるのかと思ったが、違ったらしい。蓮華はそう言うと、目を伏せてしまった。なんでもないようにはとても見えなくて、今度は俺が蓮華をじっと見つめて言葉を待つ。
「僕じゃダメでしたか?」
すると蓮華の口から、思ってもいなかった言葉が飛び出た。それを言った蓮華は、横顔でもわかるくらいに寂しそうな顔をしている。
「快くんは、僕とそういうことをしたくないのでしょう?キスだって、快くんからしてくれたことないですし……付き合うのがしんどくなってきた頃なのでは?」
「違う!」
俺は咄嗟に、蓮華を抱き寄せた。
「ごめん……不安にさせたよな。」
「別に、そんなんじゃ、ありません……」
耳元で蓮華の震えた声がこだまする。蓮華の気持ちに気づかないで、俺は何をやっていたんだろう。
「本当にごめん……その、正直なところ、蓮華にキスしたいって言わせたかっただけなんだ。俺だってキスしたいし、もっと蓮華に触れたいと思うけど……」
大事で、大切だから、不安になる。
「むっつりヘタレ野郎め……」
「へ?」
今聞き捨てならないことを言われたような……気のせいか?
「シャワーを浴びてくるので、部屋で待っていてください。」
「今からか?」
蓮華は俺から離れてそう言うと、リビングの扉に手をかけた。
「むっつりでヘタレな君のために、僕がお膳立てしてあげますよ。」
「お、おう……」
先ほど聞こえた罵倒は、どうやら気のせいではなかったらしい。少しすると風呂場の方からシャワーの音が聞こえ出した。俺は急いで蓮華の部屋に向かった。先ほどよりシャワーの音が大きく聞こえて、その瞬間俺の心臓は暴れ出した。付き合って一週間、流石に急展開過ぎやしないか?それともこんなもんなんだろうか……蓮華は今まで、秋田先輩を始め何人もの男に抱かれてきた。それは慕っていた兄に無理やり抱かれたトラウマを上書きするための行為で、蓮華が救われようともがいた結果だ。今更その事実にヤキモキするつもりはない。大事なのは、蓮華自身も、恋人とするのはこれが初めてと言うことだ。別に気にしていないが、思い合っている身としては、他の誰よりも気持ちよかったと思ってもらいたい。別に気にしているわけではないが。そんなことを考えていると、いつの間にかシャワーの音が止んでいた。もうすぐ蓮華が戻ってくると言うのに、いつまでも入り口で止まっているわけにもいかない。俺は恐る恐る部屋の中へ進んだ。何度も腰を下ろしたはずのベッドを、ひどく意識してしまう。これからここで……そんな緊張と不安と高揚感がぐちゃぐちゃと混ざり合って変な汗をかきそうだ。
「何しているんですか?」
不意に後ろから声がして振り返ると、そこには大きめなTシャツに下着姿の蓮華が立っていた。濡れた髪と火照った頬、ポカンとした無防備な表情。全てがたまらなくて、気づけば蓮華を抱きしめていた。
「ちょ、急になんですか。」
「石鹸の匂いがする。」
「嗅がないでください。」
「それにあったかい。」
「そりゃあ、お風呂上がりですから……」
「そうだな。」
身体を放すと蓮華の顔がすぐ近くにあって、無意識のうちにキスしていた。蓮華は驚きからか目を丸くさせていたが、そんな顔もかわいくて何度も角度を変えてキスをした。顔を離すと蓮華はなぜかジト目で俺を見上げた。
「……その顔、やめてください。」
「え、どんな顔?」
「言いません!」
「なんだよそれ。」
顔を真っ赤にしている蓮華がおかしくて、愛おしくて。蓮華の手を引いて、ベッドへ押し倒した。
「いいんだろ?」
俺がそう聞くと、蓮華はまた顔を真っ赤にさせ目を泳がせ始めた。お膳立てしてやると言った強気はどこへ行ったのか。
「いい、ですよ……」
その返事がやたらと弱々しくて、俺は少しだけ身体を起こした。蓮華が本当に嫌なら逃げられるように。けれども蓮華はそのまま動こうとはせず、ただ照れているのだとわかる。
「慣れてるんじゃねえの?」
「そっちこそ、童貞のはずでは……?」
「蓮華のおかげて緊張解けたわ。」
「く……」
蓮華は悔しそうに表情を歪めているが、俺だって余裕はない。前に保健室で蓮華の自慰に付き合ったことはあるが、それとこれとは訳が違う。今日は、俺が蓮華を抱くのだ。恋人として。かわいい恋人を目の前にしたこんな状況で、冷静でいられる人間なんていないだろう。実際に俺のそれも、苦しいくらいに勃ち上がってしまっている。けれど、蓮華にとってもこれは、恋人との初めての行為だ。怖い思いや、辛い思いは絶対にさせたくない。俺は懲りずに蓮華の目をじっと見つめ続けた。目を泳がせていた蓮華が遠慮がちに俺と目を合わせる。
「いいか?」
もう一度問うと、不意に唇に柔らかな感触があった。いつの間にか俺の首には蓮華の腕が巻き付いていて、蓮華にキスされているのだとわかる。勢い任せの口付けは次第にエスカレートして、ほんの小さな隙間から蓮華の舌が入ってきた。小さく柔らかいそれは確かな熱を持って、俺の舌を求めてくる。
「ん、はあ、はぁ……」
息苦しくなったのか、腕が疲れたのか、バタンとベッドに倒れ込んだ蓮華は早速荒い息をあげていた。
「いいから、さっさとしてください……」
真っ赤になっていたくせに。蓮華の、精一杯の強がりが俺をさらに高揚させる。今度は俺から深く口付けて、右手で蓮華のシャツを捲し上げた。指先が滑らかな腰に触れると、くすぐったいのか蓮華がんんと息を漏らした。蓮華が俺を急かすように自らシャツを脱ぎ捨てる。白くきめ細やかな肌が露わになって、俺は思わず見惚れてしまった。顔を赤くしながら俺を睨みつけている蓮華と目が合って、ようやく我に帰る。唾を飲み込んで、その白い肌で一際目を引く薄紅色の乳首にそっと触れた。俺の触り方がもどかしいのか、蓮華が身体をもじもじとよじらせている。
「ちょ、っと……優し過ぎます……」
「仕方ないだろ、大切なんだから。」
俺の言葉にぴたりと動きを止めてしまった蓮華だったが、乳首を少しだけ強く摘んでやると、今度は身体を大きくビクつかせた。俺によって感じている蓮華がたまらなくて、俺は自分のズボンに手をかけた。蓮華の下半身を見ると俺と同じくらい膨れ上がっていて安心する。
「脱ぐか?つらいだろ。」
「自分で、脱ぎます……」
二人して下半身を露わにして、もう一度蓮華を組み敷いてやろうと思った時、蓮華が小さな声で言った。
「僕も、快くんを気持ちよくしたいです。」
そう言うと蓮華は俺のすぐ前に座り直し、俺のそれを手のひらに包んだ。自分以外に、それも好きな人に触られる感覚は一人でやる時とは比べものにならなくて、息をするのも忘れそうになる。蓮華がチラチラと俺の顔を見て、俺の反応を伺っている。俺は蓮華に応えるように深いキスをした。舌を動かしながら、空いている手で蓮華のそれに触れる。すると蓮華は虚をつかれたように肩をビクンと跳ねさせた。考える隙を与えまいと、すぐさま手を上下に動かす。蓮華はその都度身体をビクビクと跳ねさせ、荒く甘い息を漏らした。蓮華の手がおざなりになってきたところで口を放す。蓮華は虚な目を俺に向け、じいっと見つめてきた。何も言わないけれど、蓮華の考えていることはなんとなくわかった。俺はそのまま蓮華を横に倒し、自分の指にローションを絡めた。蓮華の顔に期待が滲んでいて、また嬉しくなる。俺は蓮華の求める場所へ、自分の指を差し込んだ。
「んんッ!」
焦らし過ぎたのか、俺の指は案外簡単に入ってしまって、蓮華の反応を見ながら慎重に指を動かす。蓮華はシーツをギュッと握り締め、顔をベッドに埋めて声を押し殺していた。二本目を入れたところで、蓮華に耳打ちする。
「声、我慢するなよ。」
そう言うと蓮華は今まで以上に身体をくねくねさせて、声にならない声を上げ始めた。そろそろ、俺も限界だ。
「もういいか?」
そう言う俺も息を切らしていて、思っているよりも余裕がないのだとわかった。蓮華はギュッと目を瞑ったまま、首を何度も縦に振った。それを合図に指を抜き、蓮華の身体の向きを正面に変えた。間髪入れずに、自分のそれをグッと差し込むと蓮華が目を思いっきり見開いた。
「んあッ!んんッ……」
瞳孔がチカチカと開かれ、ビー玉のような瞳は涙のせいかキラキラと光っている。蓮華の高く甘い喘ぎ声に、ぎゅうっとキツい締め付けに、全身が震えた。繋がるとは、こんな感触なのか。こんな感情になるのか。俺のそれが蓮華の中に入って、蓮華を全身で感じている。蓮華も俺を感じてくれていることが、何よりも嬉しかった。正直挿れただけでどうにかなりそうだが、俺の愛しい人はそれを許してくれない。じっと動けずにいる俺に訴えかけるように、蓮華は腰を揺らしている。まさか無意識だろうか?であれば本当にタチが悪い。俺は蓮華に応えるように、ゆっくりと腰を動かし始めた。蓮華の声が先ほどより鮮明に耳に響く。
「かいくんっ、きもちいっ」
一生懸命それを伝えてくれる蓮華が、たまらなく愛おしくて、俺は挿れたまま蓮華を抱きしめた。グッと奥まで届いて、蓮華がまた声を上げた。
「蓮華、好きだ、好きだっ!」
感情が、欲情が、溢れて止まらない。すると耳元で啜り泣く声が響き始めた。驚いて顔を上げると、蓮華の目から大粒の涙が次々に溢れていく。
「好きな人と、求め合ってするのって、こんなに幸せなんですね……」
そう言ってビー玉のような瞳を細める蓮華は、本当に幸せそうな笑顔を浮かべていた。好きな人と求め合って身体を繋げる。当たり前と思っていたことが、こんなにも特別で、こんなにも幸せなことだったなんて。蓮華の顔を見ていると、俺も涙が出そうだった。
「快くん、もう、イキます……ッ」
「俺も……ッ」
俺と蓮華の声が交わり、俺と蓮華の体温が溶け合い、俺と蓮華の鼓動が重なる。俺たちは全身でお互いを感じながら、同時に欲を吐き出した。息を切らしながら自分のそれをそっと抜いて、俺はそのまま腰を下ろした。気が付かなかったが相当体力を消耗しているらしく、疲労感が半端ない。蓮華の様子を見ると明らかにぐったりとしていた。
「……平気か?」
「いいえ。」
「わ、悪い。無理させたか?」
「とりあえずこれ、どうにかしてくれませんか。」
蓮華は自らの腹の上にある白い液体に視線を送っていた。俺は言われた通りそそくさとそれをティッシュで拭き取った。ベッドサイドに置いてあるゴミ箱に入れようと蓮華に背を向けた瞬間、背中にぬくもりを感じた。
「蓮華?」
「僕も、好きです……」
その簡潔な返事が、素直じゃない態度が、蓮華らしい。正直痛くなかったかとか、本当に気持ちよかったかとか、満足できたかとか、いろいろ心配だったけれど、その一言で安心出来てしまう。ゴミを捨てて向き直ると、蓮華は俺に背を向けて布団に潜ってしまった。今のは猫の気まぐれだったのだろうか。
「おーい、蓮華?寝るのか?」
「……スヤスヤ。」
声に出ているが、本人が狸寝入りを決め込むつもりなら、邪魔は出来ない。俺は服を着てからポンと蓮華の頭を撫でた。やることもないのでベッドにもたれかかり、鞄から空っぽの万華鏡を取り出す。覗き込んだそれは、やはり何も映しはしなくて。
「見ていいですか?」
いつの間にか布団から出てきていた蓮華が、俺のすぐそばまで移動していた。肩越しに顔を覗かせている蓮華の右目に万華鏡を合わせる。手で左目を覆った蓮華はすぐさま首を傾げた。
「これ、綺麗ですか?」
「いいんだよ。」
確かに、前屋上で覗いた時はどこか虚しさのようなものを感じたけれど、今はそうじゃない。それはきっと、蓮華が隣にいてくれるから。
「また何か入れませんか、万華鏡。今度は綺麗なものを。大丈夫です、きっともう壊れたりしませんから。」
綺麗なものは壊れやすい。俺は幼い頃、床に散らばった万華鏡のビーズを見てそれを知った。けれど、それは間違いだった。現に今、草薙蓮華は笑顔でここにいる。儚げで妖艶でマイペースで男前で、素直じゃなくて甘えたでかわいくて、見え方がくるくると変わり、色々な表情を見せる蓮華。草薙蓮華は万華鏡のように、とても綺麗だ。
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