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序章 終戦
これが最後の戦いになる。
憎き人間共に反旗を翻し、自由を求めて藻掻き続けた地獄のような日々も、此の日をもって終止符が打たれることだろう。
「俺の村が焼かれたのは、俺が五歳のときだった。命辛々逃げ出し、山奥で身を隠して生きてきたが、十五の時に捕縛された。奴隷商人に売り飛ばされ、それからずっと、闘技場で同胞との不条理な闘いを強いられ、見世物にされてきた」
遠くに聳え立つ城壁を睨みつけ、バルカは気迫の滲む面持ちで言葉を続けた。
「人間は俺たちオルグを虐げてきた。或る者は不眠不休で働かされ、過労の末に息絶えた。或る者は大勢の男の慰み者にされ、その絶望から自ら命を絶った。人間共にとってみれば、俺たちの命なんて使い捨ての道具と変わらない」
バルカは背後を振り返り、これまで共に戦ってきた仲間たちの顔を見回した。
屈強な男もいれば、か弱い女もいる。年寄りも子供も、皆がその手に武器を握り、バルカに熱い視線を向けている。
「オルグとは、此処レンバッハ大陸においては『奴隷』を指す言葉として使われている。だが、それも今日までだ。これからは新しい意味を持つことになるだろう。――『自由』という意味を!」
最後の演説を終えたバルカは、刃毀れのした古い剣を高く掲げて叫んだ。
「我々は自由だ!」
その瞬間、一斉に歓声が沸き起こった。
仲間たちが各々の武器を掲げ、吠える。
「我々は自由だ!」
「自由だ!」
繰り返される魂の叫びが、目前に広がる荒野の中を木霊する。
「オルグに、自由を!」
死ぬ覚悟はとうにできていた。
いくら小国とはいえ、ベルシュタット王国は訓練を積んだ騎士隊を抱えている。頑丈な甲冑を身にまとった兵士らが、剣に槍、弓矢など様々な武器を手にして、我々を迎え撃つだろう。
対する此方の軍勢は、たったの五十人。
携える武器は錆びた剣や棍棒、石斧に果物用のナイフ。防具はなめし革で作った胸当てと腰巻のみという、お粗末なものである。
戦力は天と地ほどの差。
それでも、戦うしかなかった。
降伏して再び奴隷の烙印を押されるくらいならば、最後まで自由を求めて闘う戦士でありたかった。オルグ族の誇りと共に戦場で散ることさえできれば本望だ。
たとえ、ベルシュタット城下町の広場に、自分たちの首が並ぶことになったとしても。
「進め!」
バルカは双剣を構え、雄叫びを上げながら駆け出した。
先陣を切る若きリーダーに、後ろの仲間たちも続く。砂埃を巻き上げながら荒野を突き進む。
やがて、城下町の門が見えてきた。そろそろ城壁の向こうから騎士隊の放つ矢が降り注いでくる頃合いだろう。
だが、いくらでもその矢を叩き落としてやる。
攻撃に備えて双剣を構え直した、まさにそのときのことだ。
予想もしない事態が生じた。
「バルカ! 皆の様子が変だ!」
仲間の一人、レオが叫んだ。幾人もの帝国兵士を薙ぎ倒してきた屈強な男の顔に、怯えのような色が滲んでいる。
いったい何事か。バルカは足を止め、振り返った。
その瞬間、信じられない光景が目に飛び込んできた。
仲間たちが皆、武器を構えたまま硬直している。まるで石像と化したかのように。苦悩の表情を浮かべたまま。
さらに、彼らは意識を失い、一人、また一人とその場に頽れていく。
「くそっ……何なんだ、これは!」
異変は直ちにバルカの体にも現れた。
足が動かない。
まるで見えない手に足首を掴まれているかのような感覚だった。前に進むことができない上に、藻掻けば藻掻くほど、全身の力が抜けていく。
その原因はすぐに判明した。
足元に視線を落とすと、地面に巨大な魔法陣が浮かび上がっていた。
「罠か……っ!」
バルカは顔を顰めた。
この場に誘い込まれたのだと気付いたときには、既に遅かった。
「――貴様らに勝ち目はない」
不意に、声が聞こえた。
「直ちに降伏しろ。そうすれば、悪いようにはしない」
ぞっとするほど冷たい声色だった。
いつの間にか、バルカたちの前に人間が立っていた。
痩身の貴族然とした男が、たった一人で、五十人の戦士と対峙している。
男は丸腰だった。武器はもちろん、鎧すらも身に付けていない。
纏っているのは、見るからに高級そうな仕立ての良い衣裳のみ。
「お、お前は――」
まるで舞踏会にでも行くかのような格好で戦場に現れた、謎の男。
彼を目にした瞬間、バルカの頭に或る噂が過った。
剣闘奴隷時代に耳にした話だ。
ベルシュタット王国には、指を鳴らすだけで人の命を奪うことができるほどの力を持つ、冷酷非道で恐ろしい魔術師がいる――と。
バルカは再び足元に視線を落とした。これだけ特大の魔法陣を拵えることができるのならば、相当な魔力の持ち主に違いない。
今まさに目の前に立っているこの男が、おそらく、その件の魔術師なのだろう。くだらない作り話だろうと信じていなかったが、まさかこの世に実在し、こうして敵対することになるとは思いもしなかった。
「魔術なんか使いやがって、この卑怯者!」
バルカは牙を剥き出し、叫んだ。
噂に違わず、その男の魔術は強力なものだった。次から次へと仲間が倒れていく。
摩訶不思議な力には、人間離れした戦闘力を持つオルグ族であっても到底太刀打ちできない。泥沼に足を取られた上に、体力を吸い取られるような悍ましい感触が、バルカを襲う。
それでもバルカは必死に抵抗した。
言うことをきかない体に鞭を打ち、どうにか男との距離を詰めていく。
「戦え! 俺と戦え!」
いくら叫ぼうとも、魔術師は表情を変えない。
一度も剣を握ったことのないような細い指で金色の髪を掻き上げ、
「ほう、まだ意識を保っていられるのか」
と、嘲笑の滲む声色で呟いた。
「畜、生……っ」
やがて、声を発することも叶わなくなった。
限界が訪れ、バルカはその場に頽れた。
男の足音が近付いてくる。
切れ長の青い瞳が自分を見下ろしている。
意識を失う直前にバルカが見たものは、まるで彫刻のように美しい顔をした男の、氷のように冷たい表情だった。
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