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その4※
動けなかった。
瀬津の残り香の一番強い、椅子の座面に顔を埋めたまま、ぴくりとも動けないでいた。当然扉など開けるわけがないし……開けたいとも思わなかった。
「久人、開けてくれ」
扉の向こうで瀬津が呼んでいる。でもその瀬津はもう俺のαじゃないのだ。あのゴリラ専用オナホになってしまった瀬津だ。
なら会いたくない。
オナホの瀬津なんかいらない。
……十九歳の瀬津がいい。
そういえばあの日──大学の食堂で独文の解読中に「久瀬だからだ」と言い残して満足したらしい彼は、その後中々強引にうちへ上がり込んできたのだった。確か「電車が計画運休して帰れないから」とかいう理由で。それで俺と二人きりで、六畳一間のアパートで夕飯を食べ、いつになく浮かれながら訊ねてきた。
『そうだ、久我。王様ゲームってしってるか』
『知らねえ。馬鹿言ってないでさっさと寝ろ』
十九歳の久我久人は怪訝な顔をするばかりだった。
それが今になって途方もなく惜しい。そりゃああの時はまだ瀬津と付き合ってもなかったし、おまけに恋愛対象外も良いところだった。けれどやはり、惜しい……。
ああ、瀬津。十九歳の瀬津。帰ってきてくれないだろうか。今なら王様ゲームでも何ゲームでも付き合うのに。
「したいのか?」
したい。
「ならしようか。ああ、だがここでは駄目だ。床の上は身体を痛める」
たかがゲームで何を痛めることがあるっていうのだ。それに俺はここが良い。この、瀬津の匂いが凄まじく漂う椅子から離れたくない。
頓珍漢な物言いをする声に首を横に振った。声がおかしそうに言う、「どうした。椅子から離れたくないのか?」。ああそうだと頷いた。
「なら……そうだな、よし。久人、こっちを向け」
言われた通りにした。
そうしたら瀬津の顔が肩口にあって。俺の背中に、いつの間にか彼の腕が回されているのだった。部屋の電気も付いている。
春用の寝間着を着て、裸ではない。つまりこいつはオナホの瀬津じゃない。でも二十八の瀬津ではある。ならこれは、この瀬津は……。
ああ、二週間前に朝っぱらから「王様ゲームをしよう」と色ボケてきた瀬津だ。
「……もうそれでいいや」
「おい、何だその投げやりな返事は」
この際高望みはすまい。俺は彼の首に思い切り抱き着いた。途端に僅かな浮遊感を抱き、しかしすぐに止む。どうやら俺を抱えながら椅子に腰掛けたようで、俺の尻が瀬津の太腿に乗り上がっている。流石に重いだろう、痛くないのかと問えば「幸せの重みだ」なんてキスしてきてわけがわからん。
右腕でデスクの引き出しを探っているのも意味不明。
「何してんだよ……」
「ん? ゲームにはくじが必要だろう」
くじ。……九時、九字? いや王様ゲームのくじだ。そう籤。駄目だ、まるで頭が回らない。瀬津の手元を見ても重要そうな資料があることしか分からない。天板に目を移せばペン立てに万年筆と赤いボールペンが刺さってる。黒と赤。
赤。
「これで良いじゃねえか」
瞬間、実に良い考えが天与の如くに舞い降りて、俺の手は万年筆とボールペンを掴み取っていた。二本纏めて握り締め、瀬津の鼻っ面に差し出す。
「赤いのが当たり、だったよな?」
どうだ、良いアイディアだろう。これでわざわざくじを用意する必要もない。
「くっ、……そうだな、良い考えだ」
途端に肩を震わせる瀬津。何笑ってんだこの野郎と苛立ちが芽生えるがまあいいやと思い直す。だって笑顔が可愛い。
その可愛い笑顔にさあ引けと迫れば、笑顔に呆れるような色合いが混ざった。
「何だ、先に選ばせてくれるのか」
「ん」
「なら……こっちだ」
瀬津が選んだのはボールペンの方。「王様誰だ」と根本を覗いてもやっぱり赤いので、つまり今回は瀬津が王様。
さあ何でも命令してみろと胸を張れば、彼は少し思案してから、
「よし。王様にキスをすること」
背中を縮めて首も下げて、彼の首筋と頬に一つずつ。すると「ここにも」と急かされるから唇にも。ふにゅりと柔らかな感触が心地良い……ものの、いつもよりぬるい気がする。何故だ。
「……何か冷えてる」
「お前が火照ってるんだ」
言われてみれば確かにその通りだった。
「ヒートが来ている。精神的なショックと……まあ、俺の匂いをあんなに嗅いだせいだろう。安心しろ、こっちはちゃんと抑制剤を飲んでいるから、襲ったりはしない」
なるほど。納得したところで顔が迫ってきたので、取り敢えずキスを再開した。瀬津の舌が「開けろ」と言わんばかりに俺の唇をなぞり、応じてやったら我が物顔で侵入してくる。
「んっ……ぅ、ん」
舌を絡め取られ、付け根をくすぐられて頭がじんと痺れ始めた。溢れ出てくる唾液も飲み込めなくて口から零れ落ちそうになる。どうしようと少し考えているうちに瀬津と目が合う、その目が細まる。
「ぁ」
思いっきり舌で掬い取られてびっくりした。しかしそういえば俺も瀬津のを飲まされるのは結構好きだった。誓って自分からねだったことはないが、彼にとろとろと注ぎ込まれる感覚、飲み込んで内部まで染み込んでいく感覚に被虐的な快感が沸き立つのだ。
瀬津もそんな気分になったのかも。
しばらく彼の舌に身を任せ、満足して去っていったのを見計らい顔を離す。体温はいっそう上がっていた。
「今度練習しようか」
瀬津はそう言い残し、二ゲーム目を始める。
今度は俺から選ぶ番。万年筆とボールペン、どちらにしようかと三秒悩んで万年筆を選んだ。瀬津の目が僅かに丸くなり、ひっそりと細まる。
「久人はマゾだものな」
聞き捨てならないことを言われた気がするが、まあいい。
王様はまたもや瀬津だった。
「万年筆を選んだ者は、王様に胸を差し出すこと」
「……俺か」
「ああ、お前だ」
なら俺が胸を差し出さなきゃならなくて、なら服を脱がないと。だって差し出すってのは要するに供物的なあれで、そういう時は大抵すぐにかぶりつけるよう生身で用意するもので……あ、でも人身御供は大体綺麗に着飾ってるか。ならここままでいいな。
「ん」
瀬津がとうとう声を上げて笑いだした。
笑いながら俺の寝間着のボタンを胸の下あたりまで外して、肌着は鎖骨まで捲ってきて、
「あ♡」
胸筋の段差に服を引っ掛けてくる。要は俺、今スペンス乳腺に寝間着の襟を掛けて胸だけ露出させた変態になってしまっているのだ。しかし正そうとしても瀬津が「命令に逆らうのか?」と鋭く釘刺ししてきて正せない。甘んじてこの辱めを耐える他ない。
「相変わらず大したものだ」
「あっ、ぅ゛♡」
大人しく胸を揉まれていよう。
ジム通いで綺麗に鍛え上げた瀬津のそこと違って俺のそれは日常生活の酷使で出来上がった産物だから、ちょっと形が悪く、若干瀬津より分厚い。Ωにしてはまあ大した身体だと自賛しているものの、αの前ではほんのりと敗北感が募らないでもなかった。
「まったく、あの男が本当に節穴で良かったよ」
「く、ん♡揺らすの、駄目、だめだ、……っ♡」
「ん? どうして駄目なんだ」
「……って、だって、せつなく、なる……」
スペンス乳腺から筋肉を持ち上げられて胸全体をもにゅもにゅ揉みほぐされる──俺にとってこんなに脅威的な話もない。それをされると背中がぞくぞくするし、子宮がきゅんきゅんして母性が大爆発……あけすけに言うと赤ちゃんが欲しくなるのだ。赤ちゃんにおっぱいあげたくなる。
「分かっている。授乳したくてたまらないんだろう」
「ん……♡」
「だが、王様の命令は絶対だ」
「ん゛ぅっ♡」
なのに瀬津はやめてくれない。王様の命令は絶対だから。
「瀬津、せつ……あ゛っ、ふ♡」
考えろ、この窮地を乗り切る方法を考えろ……あ、そうだ。
「ここ吸って……♡」
ならいっそ王様に吸ってもらおう。
そう思って胸を押し付けてみたら瀬津は手を止めてくれたけど、ずいぶん底意地が悪い顔をされる。
「こことは?」
「……乳首」
「ん? お前の胸にそんなものはないぞ」
「なわけ──ひんっ♡」
わざとらしい冗談に怒って胸を更に反って。そうしたら瀬津がいきなり右の方に指を突っ込んできた。
俺の乳輪に、横に開いたスリットに。
何を隠そう俺は陥没乳頭なのだ。
「ん……確かに、何かこりこりしたものはあるな……」
「ぁ、あ♡それ、それぇっ♡」
日頃から乳輪の奥に姿を隠し何者からの刺激にも守られているが故に、俺の乳首は死ぬ程弱い。ちょっと指の先で頭を撫でられただけですぐに悲鳴を上げ、ほじくられると助けてと宿主に泣きを入れる。が、俺がどんなに首を横に振ろうと瀬津が指を止めることは望めない以上、逃げ場の無い狭い穴の中でいじめられるしかないのだ。
それか、外へと誘おうとする指を信じて穴から飛び出すか。
「ぁ♡ぁ、あ♡」
「久人、もう少しで出てきそうだぞ。あともう少し……穴を拡げてやったら出てこれるかな?」
瀬津が実に楽しそうに言って指を抜いたので、今度は俺が頑張って穴の縁に手を掛けた。わざわざ両手の指──といって実働するのはそれぞれの人差し指と中指の計四本だが──を使い、ゆっくりとスリットを開いていく。
「くっ、ぅ♡ん♡っみえる、か? 俺の、」
「ああ見えた。可愛い頭だ。他より色が濃くて……美味そうで」
「っひぁ、ぁ、あっ♡舌だめ、っぉ♡吸うのもだめっ♡」
ただでさえ外気に晒されただけで疼くのに、熱い舌でちろちろ撫で回されては困るし唇でちゅうちゅう吸われてはたまらない。
「ほぉ゛っ♡」
飛び出て戻らなくなる。
一際強い吸引を受けて乳首が穴から引き摺り出され、瀬津の唇が離れた後も手持ち無沙汰にひくひく震えている。
「ん……上手く授乳できたな」
「ひっ♡」
キスで圧されても戻ってはいかない。ただただ俺にひどい快楽を味合わせるだけ。お陰で瀬津の肩に額を埋める他なかった。全身が細かく痙攣して、気怠さがあって。何で乳首を吸われていたのかを今更思い出した。しかし母性なんぞ一欠片も残っていない。
「さて……久人、俺の番はこれで終わりだが、どうする? ゲームはもう良いか?」
「や゛る……♡」
だが三回目の誘いには意地で応える。俺はよろよろと顔を上げると、デスクの上のペンを掴んだ。瀬津に差し出す。
「次はこっちにしてみよう」
今度は瀬津が万年筆を取ったから、俺がボールペン。俺が赤、俺が王様。
「さあ。何なりと命令してくれ、俺の王様」
といって何をしようか迷う。瀬津に何をさせてやろうか悩む。命令なんだからきっと何でも好きにできるのに、案外思いつかないものだ。
瀬津を見下ろす。たった二センチ違いの身長だから、俺が彼の太腿に乗ってしまうとそれなりに距離ができる。いつも目にしているのより少しいとけない、上目遣いの彼が出来上がるのだ。
……出来上がる、のだが。
「……可愛い」
「ん?」
柔和な笑みで小首を傾げるのが可愛い。
そのくせ股間がとんでもない熱を灯しているのも。済ました顔して俺の会陰に勃起を押し付けているのも。
可愛い済まし顔のまま俺のことをめちゃくちゃにしてほしいと思った。
「かわいい瀬津、俺の瀬津。俺のこと、いっぱいいじめて……♡」
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