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vsゴリラ 終
──とある放課後、教室にて。
「うわっ、尾崎先生相変わらずおっぱいでっかぁ。何カップあるんですかぁ?」
「知らん」
「あ、僕が測りますよっ。僕、手揉みで大体分かるんでっ!」
「っおい、」
「ええっと……D寄りのC!」
「まじ!? 先生エッロ!」
「……馬鹿言ってないで掃除しろ」
──とある夜、居酒屋にて。
「尾崎先生って、Ωなんですよね」
「ええ」
「……Ω同士の恋愛って、考えたこととかあります?」
「特にはありませんが」
「っで、ですよね! いやあ僕何言ってるんだろ、Ω同士なんてそんな、……ちなみに、試したこととかは?」
「試し? いえ」
「じゃ、じゃあ試してみましょうよ! キスで!」
「え、」
──とある早朝、職員室にて。
「今日も恵体ですなあ、尾崎先生」
「校長先生。これはどうも」
「いやあ、羨ましい限りで。にしても、本当に先生は昔の私の恋人に似ている。立派なαだったんですがね、結婚式の前日に事故で死んでしまって……」
「はあ」
「……先生、どうです。近く私の家に泊まりに来ませんか。それで良かったら、貴方のそこで私のここを……」
「遠慮しておきます」
「──と、尾崎久人は日常的にセクシュアルハラスメントを受けてきた。にも関わらず、」
「日常的じゃねえよ! それに相手は同じΩなんだからセクハラも何も、」
「……と、述べて被害を認めない」
一体どこから仕入れてきたのか、いや、少し前に彼が言及してきた覚えも微かにある、職場から個人的な付き合いの場での出来事まで上げてみせる瀬津に、俺は取り敢えず反論する。
「被害って、ちょっと大袈裟じゃねえか。俺は別に嫌な思いはしてないんだぜ」
「嫌な思いはしてない、か」
「ああ。αやβならともかく、Ωに身体を触られたって何とも思わねえよ」
胸くらい触られたところで、だ。キスも子供達が戯れにするのと同じもの。夜の誘いも……まあ冗談の範疇だろう。少し行き過ぎたコミュニケーション、スキンシップでしかなくて、性的な意図を感じ取る方が難しい。
──そう主張しようと口を開いたものの、絶妙に引っ掛かりを感じて音にはできない。
胸、キス、身体の関係。
胸、キス、身体の関係……。
「……あ」
ここ最近の瀬津の姿と見事に被り、結局俺の口が漏らしたのは間抜けな単音だった。
瀬津は満足げに頷いた。
「そうだ。お前は俺を随分心配してくれたし、『セクハラだから訴えよう』とも提案してくれたが……それはこっちの台詞だ。お前がここ最近感じていたのと同じ不安を、俺もずっと感じていた」
「なら瀬津は俺に分からせる為に、わざと……」
「ああ。わざと隙を作ってこの……」
「ぉ゛っ♡」
「社員にセクハラを繰り返していると噂のこいつを誘い、利用した。でなければ胸など揉まれて平気でいられる筈がない」
今やその面影も無いゴリラ──もとい大沢は、前々から年令問わず同僚の男性αに「行き過ぎた冗談」を仕掛けていたらしい。そこで綱紀粛正の題目の下、瀬津が教育的指導に乗り出す運びとなったとか。丁度「事情」もあることだし、と。
要するにこの間の飲みの席での過剰なスキンシップも、セフレ発言に平気な顔をしていたのも、風呂場でのあれこれも全て罠だったのだ。
「……正直言って、現行法では同性同バースに対するセクハラが罪に問われることはそうない。社会通念上でもだ。だからお前の反応はまったくおかしいというわけじゃないし、『セクハラではない』という主張も、間違ってはいない。だが……」
瀬津の歯切れが悪くなる。……のは、きっと法律家という職分故だろう。自分の感情にまで法の基準を照らし合わせ、正誤を見定めてしまう。
俺が動かないと。
「いや、俺が悪かった。……お前は大切な家族なんだから、嫌だって言われた時点でちゃんと考えるべきだった。これからは注意する」
「……ん。よろしく頼む」
他人同士ならいざ知らず唯一無二の伴侶なのだ、社会通念に従うのも良いけれど、相手の感情を優先させるのも大事だ。
とりわけ自分がされて嫌なことは。
安堵の笑みを浮かべる瀬津へ微笑み返し、ようやく胸がすく思い。ここ最近まで胸にわだかまっていた不安もすっかり溶けた感じがある。
……後は、こいつだけ。
未だに瀬津の足元へ卑しくすり寄り、「瀬津様」と信奉を捧げるゴリラもとい大沢だけが気がかりだった。
「で、瀬津。ちょっと気になるんだけどよ、お前こいつと何があったんだ?」
「何とは?」
「いや、風呂場で転けて、お前が興奮しだして……」
「ああ……あれは中々善かった。羞恥プレイというやつかな、恥ずかしいところを久人に見られているという感覚が中々どうして……」
「いやそっちじゃ、……いやそっちはそっちで気になるけどそうじゃなくて。その、転けた後、大沢をどうやってこうしたのかっていう……」
俺が最後に見た時と今とで攻守がまったく逆転している。恐らくα同士らしい熾烈なマウント合戦があったのだろうとは察せるものの、その内容とは一体。瀬津の奴、この「雄の中の雄」と言わんばかりのゴリラに一体何をしたのだろう。
興味本位で訊ねてみた。
「ん? ああ、この男か。別に大した話でもない。ただ少し調教しただけだ。まず尿道から前立腺を──」
どうやら藪蛇だったらしい。
そんなこんなでひと月が経った頃。
ゴリラは今まで通り弁護士業に邁進しているが、セクハラの噂はぱったり止んでいるようで、もちろん瀬津も狙われることはなくなった。ただ、最近とみにぼうっとしていることが増えたらしい。丁度ある企業の顧問弁護士として雇われ始めてから、その若き代表取締役と懇意になってから、かなり熱心な引き抜きに遭っていると……。
ともあれ。
こうして尾崎久人の人生にあって初めて訪れた危機は、そう波風を立てることもなく解決したのである。
……第二第三の刺客に気付くのは、まだもう少し先の話。
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