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僕たちの家で
「由依 、結婚しよう」
「わぁっ、嬉しいっ!! 敦己 、大好き!! 私、敦己のいいお嫁さんになるね!」
半年前、由依は笑顔でそう言っていたはずなのに……。
僕の人生は一瞬で崩れ落ちた。
* * *
「婚約して早々、長期出張とかごめんな。まさか、三ヶ月のアメリカ出張に行かされるとは思ってなかったよ」
「仕方ないよ。敦己にどうしてもきてほしいってあっちから言われたんでしょ? 敦己がそれだけ信頼されてるってことじゃない。帰ってきたらそれなりのポジション用意してくれるって言ってるんだから頑張ってこなくちゃ! こっちのことは心配しないで。結婚式の準備は進めておくし」
「ああ。由依がいてくれて本当に良かったよ。急いで終わらせてできるだけ早く帰ってくるからな」
「ふふっ。嬉しいけど、焦って契約書間違えたりしないようにね」
「ははっ。そうだな」
「帰ってきたら、ドレスの試着付き合ってね。あれは自分一人で決めたくないから」
「ああ、綺麗な姿見られるの楽しみにしてる」
そう言って僕はアメリカに旅立った。
時差があって由依との電話こそあまりできなかったけれど、毎日メッセージは届いていたし、時折送られてくる新居の家具の写真を見ては一緒に悩んだり、だんだんと整っていく結婚式の準備に胸を躍らせたり……。
僕たちはずっとうまく繋がっていると思ってた。
そんなある日、国際電話がかかってきた。
「悪い、宇佐美。こっちでお前の力が必要になったんだ。五日でいい。戻ってきてくれないか、頼む」
僕と鎬を削っている同期の上田 が切羽詰まった声でそんなふうに頼んでくるくらいだ。
本当に困っているんだろうと思い、僕は日程を調整し急いで本社に戻った。
「お前のおかげで助かったよ。契約も解消されずに済んだし、本当全部お前のおかげだよ。ありがとうな!」
日本に戻ったその足で本社に向かい、会社に寝泊まりしながら進めたおかげか、三日でなんとか事態を収拾できた。
日本に着いたときは青褪めていた上田の顔も、もうすっかり明るく戻っている。
無理して日本に帰ってきた甲斐があったってものだ。
本当に良かった。
「いや、上田が今まで築き上げてきたものがあったからだろ。僕はそれに少し手を貸しただけだ」
「強行で帰ってきてくれたからすぐにあっちに戻るんだろ?」
「ああ。とりあえず今から家に帰って由依と話してから明日アメリカに戻るよ」
「本当に今回は助かったよ! 帰ってきたら今度はたっぷりご馳走するから!」
「ふふっ。期待しているよ」
僕は邪魔な荷物を空港預かりサービスに預け、束の間の再会を楽しむため由依と新生活を過ごす予定になっている自宅に向かった。
婚約してすぐ買ったこの家は、今は由依だけが住んでいる。
本当なら一人残したくはなかったけれど、数年の転勤ならいざ知らず数ヶ月程度では婚約者同伴で出張に行くわけにもいかず、由依だけを残していくことになったんだ。
けれど、由依はなんの泣き言も言わず、僕との新生活に向けて新居を整えてくれているのだから感謝しかない。
今回の緊急帰国は、事態の収束がいつになるかわからなかったため、由依にはまだ話していなかった。
たった一晩しか過ごせないけれど、突然帰ってきたらきっと喜んでくれるだろう。
お土産すらもないけれど、僕が帰ってきたのが一番のお土産だと言ってくれるだろうか……。
そんな淡い期待を持ちながら、自宅への道のりを進んでいった。
奮発して購入した分譲マンション。
僕の会社からも由依の会社からも近くて二人で一目惚れした物件。
オートロックでセキュリティも万全だからこそ、ここに一人で残すことができたんだ。
由依の驚く顔が見たくてこっそりと鍵を開けると、玄関に見慣れない靴が置かれていた。
えっ……。
これ、誰だ?
友達でも来てるのか?
途端にバクバクなる心臓を抑えながら、息を潜め入っていくと僕たちの寝室になるはずだった部屋の中から話し声が聞こえる。
ほんの少し開いた扉から声が漏れていたようだ。
これは嘘だ。
きっと由依が寝室でテレビでも見てるんだろう。
そう思いながら、開いた扉からそっと中を覗いた。
「お前も悪い女だよな。愛しい夫と暮らすはずの家に俺連れ込んだりしてさ」
「やめてよ、気持ち悪い。愛しいとかマジありえないって。あれはただのATMだって知ってるでしょ? あいつ、あんなんなのに同期の中じゃ超出世頭なんだって。今回のアメリカ出張も終わったら相当給料も上がるらしいよ」
「へぇ、じゃあ、その分俺に貢げるな」
「ふふ。ケンちゃんに全部あげるよ。だから、ねぇ、も一回しよ」
「お前、相当淫乱だよな。三回もしてまだたりねぇの?」
「だって、あいつがいない間にたっぷりしとかなきゃ。あいつほんとえっちも下手でさ。全然気持ちよくないし」
「ははっ。えっち下手とか本当金だけの奴なんだな、しょぼいやつ。まぁ、お前の欲求不満はこれまで同様、結婚してからも俺が全部解消してやるよ。ほら、これが好きなんだろ?」
「ああっん! ケンちゃんのもう、おっきくなってる! 奥まで突いてぇーっ」
目の前で始まった淫らな行為に僕は吐きそうになりながらも必死で動画を撮り続けた。
由依の不貞の証拠だ。
もう十分に証拠が取れたところで、重い足を引きずりながら必死にマンションを出た。
あのマンションから一秒でも早く離れたくて、必死で走り続けているとどこに向かっていたのかわからなくなっていた。
顔中に汗をかき、疲れ果てた足を休めようと歩道脇の少し高さのある植え込みのブロックによろよろと腰を下ろした。
はぁっ、はぁっ。
荒い息は走ったせいか、それともあんなものを見てしまったからなのかわからないが、手の震えも止まらない。
もしかしたらあれは僕の夢なのかも……。
そう思いたいけれど、僕のスマホには由依の不貞の証拠がバッチリと写っている。
あれは紛れもない現実だ。
信じていた婚約者に裏切られた……。
その事実がさらに僕を深く傷つけていた。
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