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第3話 Vanila Sky

 映画館で待ち合わせた陽大(はると)たち四人は、映画館デートの後、カフェでしばしおしゃべりをして時間を過ごした。陽大はなるべく壮介と美優(みゆ)が二人になるよう気を遣いながら、さりげなく瀬那(せな)と美優を観察していた。  若い美優は可愛い顔立ちに豊満な体つきをしており、甘え上手な仕草も男心をくすぐるのだろう、自分に好意を寄せていることを知っているからか、時折壮介の体に触れたり、笑いながらわざともたれかかったりとまんざらでもない様子だ。  一方の瀬那は、美優と壮介の邪魔をしないようにしつつ、陽大とも少し距離をとって気を遣っているようだった。よく見ると男性ということはわかるが、元来華奢な体つきと優しい雰囲気のせいか、女性の格好をしていることに違和感がない。細やかなところにも気を配る姿勢もそう見せているのかもしれなかった。  やがて陽大はあることに気づいた。瀬那が美優に気を遣っているのは、壮介とうまくいくようにしているだけではない。おそらく二人の関係性なのだろう。  映画館で美優が何か飲みたいと言った時、当然のように彼女は瀬那にそれを頼んだ。  「俺が買ってくるよ」  「いいの、壮介さんは私と一緒にいて」  「でも悪いし……」  「じゃ、俺が行ってくるよ」  「えー、都築(つづき)さんに悪いじゃん」  「だって、瀬那ちゃん一人にお願いするなんてできないよ」  「大丈夫よ、腕力あるから」  その時わかったのだ。この四人の中で、美優にとっての女性は自分だけなのだ。馬鹿にしているとか差別しているつもりはないのだろう。レストランに自分の美貌と魅力的な体つきを目当てに客が来ることを知っている彼女は、その若さを武器に男なら簡単に落とせると思っているに違いない。現に壮介はこうして彼女をデートに誘っている。そして、瀬那は女性として扱われていないことを受け入れている。  カフェに寄った後、水着を買いに行きたいとショッピングモールに行く美優の傲慢とも思えるその様子を、陽大はショップ内のスツールに腰掛けながらぼんやりと眺めていた。  「悪いな、ここまで付き合わせて」  隣に壮介が座る。  「最後まで付き合うのがダブルデートだろ」  言われた壮介は唇の端を歪めて小さく笑った。  「彼女といい雰囲気じゃないか」  「まぁな」  「なんだよ、その気のない返事は」  「何かさ……ちょっと俺が考えてるのと違うっていうか」  「あの子が?」  「うん……だって、水着買いたいって、いや瀬那ちゃんがどういう体かなんて俺は知らないけど、でもなんかちょっと酷なんじゃないかっていうか……」  「ああ、言いたいことはわかる」  「悪い子じゃないし、可愛いし、巨乳だし、デートの誘いに乗ってくれたってことは期待できるんだなとは思うんだけどさ」  「彼女がほしいんじゃないのか」  「そりゃほしいけど」  少し考え込んだ壮介は不意に真顔で陽大の方を向いた。  「おっぱいが豊かなのと、人間性が豊かなのは、どっちをとるべきだ?」  「は?」  「だからさ……」  「ねえ壮介さん、こっち来て、試着したの見てよ」  美優が試着室のカーテンから顔だけを出して壮介を呼んだ。  「ほら、お呼びだぞ」  「わかってるよ」  壮介はゆっくり立ち上がると、試着室の方へと向かった。入れ替わるように瀬那がこちらへやってくる。  「疲れてませんか?」  「大丈夫だよ。君こそ疲れてない?」  「全然。楽しいです」  「本当?」  「もちろん」  そう言って微笑むその表情に嘘は見えない。けれど、陽大には彼女がどこか無理をしているように感じられた。  「あいつら、付き合うかな」  「だったら素敵ですね」  「そう?」  「だって、デートに誘われて交際を申し込まれるなんて、王道じゃないですか」  「若いのにけっこうクラシックな考え方なんだね」  「若くないですよ。もう二十六歳です」  「俺らよりは十分若い」  「美優は二十二歳ですよ」  「でも、俺は美優ちゃんより君の方がいい」  「え……?」  「あ、いや、その変な意味じゃなくて、君の方がいい人だと思うっていうか、いや決して美優ちゃんが悪い人って言ってるわけじゃなくて、その……」  しどろもどろで言い訳をする陽大を見て、瀬那はくすっと笑った。  「君は綺麗だよ」  驚いたように顔を上げた瀬那に陽大は優しく微笑んだ。  「もっと自信持ってほしい。君は綺麗だ。外見だけじゃなく、きっと心も」  「……ありがとうございます」  「なになに、二人もいい感じなの?」  買い物が終わった美優がからかうように陽大と瀬那の前に立つ。  「終わった? そろそろ帰ろうか」  「えー、もう帰るの? だって、まだご飯食べてないじゃない」  「さっきカフェで食べすぎたのか、お腹すいてないんだよね」  「わかった、じゃ二人は帰っていいよ。壮介さんとおいしいもの食べに行くから」  壮介の腕に手を絡め、頭をもたれかかるようにして甘える。  こんなにうまくいくなんて、壮介の奴、嬉しくてしょうがないだろうな。  それじゃ、と瀬那を促して帰ろうとした陽大の腕を壮介が咄嗟に掴んだ。  「そんなこと言うなって。せっかくなんだから四人でうまいもの食いに行こう」  「いや、でも……」  彼女乗り気じゃん、邪魔者はいなくなるよ、と素早く壮介に耳打ちして行こうとしてもなぜか掴んだ手を離さない。  どうしたんだよ。  「ほら、行くぞ」  結局四人で夕食を食べに行くことになり、美優はやや不満げな表情だった。夕食後はバーに飲みに行こうとしきりに誘う美優を、仕事を口実にそれとなく断ろうとしている壮介を見て、陽大は何となく察してきた。  この子と付き合うことはなさそうだな。  いつも彼女がほしいとぼやいていたくせに、いざとなると誰でもいいというわけではないらしい。それも壮介らしいな、と陽大は小さく苦笑した。  別れ際、それぞれ連絡先を交換することになって画面を開いた時、陽大はふと蒼空を思い出した。  一応、今日のことを報告がてら、明日の朝飯を食べに行くか。  蒼空のカフェにモーニングを食べに行く時は、事前に必ずメッセージで連絡をすることになっている。その日作れるものや材料の確認が必要らしい。  ――明日、朝食べに行く  数秒して既読がついた。いつもはOKなどのスタンプで返信をよこす蒼空だが、この時は違った。  ――明日はできない  陽大は一瞬驚いて表情をしかめた。  「どうかしました?」  瀬那が心配そうに覗き込む。  「あ、いや、何でもない」  「そうですか」  今までも何度か断られたことはあったが、必ずその理由をつけて謝ってきていた。いや、そもそも自分のモーニングセットが自分仕様の特別なものだということは薄々感じていたし、謝る必要などないのだが、こんな風に一文だけで返してよこすことはなかった。  何かあったのだろうか。  ――どうした? 具合悪いのか?  ――別に  ……やはり、どう考えても怒っている。本人は怒っていないと言ってたけれど、これは怒っている文面としか思えないのだが……。  「どうした、陽大」  「何でもない」  「何でもないって顔じゃないけどな。あ、それじゃ今日はありがとう。楽しかったよ」  「私も。またデートしましょ。今度は二人きりで」  壮介の耳元で囁くように言いつつも、陽大たちに聞こえるように言うあたり、邪魔をするなということなのだろう。  「ありがとうございました。お店にもまた来てくださいね」  瀬那がにこやかに頭を下げる。  二人を駅まで送って別れた後、壮介が大きく伸びをしながら言った。  「さて、飲みに行くか」  「なんだよ、だったらさっき誘われた時に行けばよかったのに」  「おまえも何となくわかってんだろ」   「何が」  「やっぱさ、おっぱいより心かなって」  「おまえらしくないな  「何言ってんだよ、俺だからこそだろ」  「わかったよ、付き合う」  「おまえは? その感じ、蒼空くんに振られた?」  「は? 何だよ、振られたって」  「彼からのメッセージで動揺してただろ」  「してない。てか何で蒼空からメッセージきたの知ってるんだよ」  「いや知らんよ。適当に言っただけ。じゃ、当たってたんだな」  「動揺なんかしてねーし!いい、おまえ一人で飲みに行け」  「わかったわかった、謝るから一緒に飲みに行こうぜ」  「おまえが奢るならな」  「はいはい……まったく、蒼空くんのことになるとすぐ目くじら立てる」  「聞こえてんぞ」  「本当のことだろ」  「友達のことを心配して何が悪い」  「んじゃ、俺にも同じように心配すんのか?」  「あ、当たり前だろうが。喧嘩売ってんのかよ」  「わーかった、冗談だって。さ、行こ行こ」  壮介に怒ってみせながらも、内心では痛いところを突かれたような気がしていた。  確かに俺は蒼空のことになると、少しムキになってしまうことがある。連絡が取れないと心配になるし、怒っていると気になってしまう。そして、それは蒼空に対してだけだという壮介の指摘もその通りかもしれない。  いったいなぜなのか。  答えが出るのが少し怖いような気がして、陽大は考えるのをやめた。  「よし、今夜はとことん飲んでやる」   「お、開き直ったか?」  「うるせーな」  いつも行くバーのドアを開けようとした時、二人同時に携帯電話が鳴った。電話ではなく、連絡用のショートメールだった。  ――事件発生、すぐ現場に直行せよ  二人は顔を見合わせると、急いで送られてきた地図の場所へと向かった。  「何の事件だ」  「非番の俺らにも連絡がくるってことは、大きな事件ってことだけはわかる」  「嫌な予感がする」  それが、長く陰惨な事件の始まりだった。

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