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第10話 Vanilla Sky
第一発見者は被害者の雅人が勤めるバーの経営者だった。カクテルの大会に出場するためにニューヨークに行っており、発見した日の午後に帰ってくる予定だったが帰国便が遅延したため、先に開店準備をしておいてくれということを伝えたかったものの連絡がつかなかった。何度か電話をかけ、日本に着いてからも電話をしたが出ないことを不審に思い、店に行く途中で雅人のアパートに寄ったところ、部屋に鍵がかかっておらず、ベッドの上で死んでいる彼を発見したということだった。
携帯電話の着信やその日の行動などに矛盾がなく、その後確定した死亡推定時刻の午前3時にはまだニューヨークにおり、はっきりとしたアリバイがあった。
なかなか解明しない事件の全容に、相原は焦燥と苛立ちを抑えきれない。上からは毎日のように怒鳴られ、ネット上では好き勝手なことを書き込まれ、噂が一人歩きしている状態だ。
「班長、やつれてるな」
「この状況じゃ、そうなるよ。少しでも早く解決しないと、だんだん俺たちにもとばっちりがくるぞ」
「そうだよな、俺らも大変だよ」
頷いた陽大 を壮介がじっと見つめる。
「なんだよ」
「全然大変だって顔してないな」
「あ?」
「明日、蒼空 くんに会えるのがそんなに嬉しいか?」
「な、何言ってんだ、そんなんじゃない」
「はいはい」
「先に帰る」
「綺麗にしていかないといけないもんな」
「うっせーな」
からかう壮介の声を背中に聞きながら、自然と陽大の表情はほころんでいる。蒼空の笑顔を思い浮かべながら、陽大は足早に家へと向かった。
「……おはよう、元気だったか……いや……おっす、久しぶり……違うな、えーっと……」
たかだか3、4日顔を見ていないだけで1年も離れ離れだったわけでもないのに、陽大はなぜか緊張していた。Vanilla Skyの入口に立ち、最初の一言を何と言おうかぶつぶつ呟いては、ふーっと大きく息を吐く。
入口を見ると、確かに咲良 の言う通り、扉にかかっている看板はClosedになっている。
気づいてなかったんですか。
咲良のあきれたような口調を思い出す。
ああ、気づいてなかったよ。俺にとって、あいつがそばにいることが当たり前すぎて、俺のために何かしてくれてるとか、そんなこと考えもしなかった。
俺のために材料を準備し、俺のために朝食を作ってくれ、俺のくだらない愚痴を聞いてくれてたなんて、全然気づいてなかった。今まで、あいつに甘えすぎてたのかもしれ……。
「何してんの?」
不意にドアが開いて、蒼空が怪訝そうな表情でこちらを見ている。
「お、あ、いや、その、えっと……」
「朝ごはん食べるって連絡よこしながら、人のカフェの前でうろうろして全然入ってこない変な奴が見えたんだけど」
「いや、だってそれは」
「ほら、早く入って。おかしな奴が店の前をうろついてるって思われたくない」
いつもの蒼空だった。陽大はほっとしたように笑うと、中に入った。
「何笑ってんの」
「いや、蒼空だなと思って」
「うん、俺だけど?」
「可愛い顔してんのに相変わらず口が悪いとことかさ」
モーニングプレートを準備していた蒼空は、急に黙りこくった。
「ん? 何だよ今さら、怒ったのか? 口が悪いのは自分でも言ってたくせに」
「……そうじゃない」
「何が」
心なしか、蒼空の顔が赤くなっているような気がする。
何か変なことを言ったのかと自分の言葉を反芻した陽大は、無意識に口に出していた「可愛い」という言葉に気づき、思わず口を押さえた。
可愛いって言ったのか? 蒼空を?
い、いや、確かにこいつは昔から可愛い顔をしてるし、それは事実だ。透き通るような白い肌やピンク色の唇、涼しげな目元と綺麗な鼻筋、鼻の頭にある小さなほくろ…。
美人は三日したら飽きる、という言葉を聞いたことがある。綺麗な子に声をかけては振られていた壮介を揶揄った時、もう顔じゃ選ばない、美人は三日で飽きるが巨乳はいつまでたっても飽きない、とまるで名言のように言ってたことがあったな。そんな壮介も、顔でも胸でもなく、心で選ぶようになった…。
いや、そんなことはどうでもいい。美人は三日したら飽きるなんて嘘だ。俺は高校の時から蒼空の顔を見てきたけど、まったく飽きないし、いつも見ていたいと思う。
いつも見ていたい……。そうだ、いつもこうやって会っていたい。
「俺のためだけに、モーニングやってくれてたんだよな」
「……今さら何言ってんだよ」
「気づかなかった。ごめん」
「別に謝る必要なんかない。おばさんにも頼まれてるし、おまえには父さんみたいになってほしくないし、それに事件の話聞くのおもしろいし、それだけ」
蒼空の父親は警官だったが、真面目な熱血漢で、仕事に没頭するあまり食事をとらないこともしばしばあったという。事件現場に駆けつける際、不運な事故に巻き込まれて命を落としてしまったこともあり、蒼空は壮介が警官になると言った時に一番反対していた。それでも小さい頃からの夢を諦めきれなかった陽大は警官になる道を選んだ。小さくても自分の店を持つという夢があった蒼空はカフェを開き、食事が不規則な陽大に朝食を作るようになった。それは、学生時代のようになかなか遊ぶ時間もなくなった二人が、唯一昔に戻れる時間でもあった。
「そっか」
「それより、事件の話を聞かせて」
「その前に、頼みがある」
「なに」
「俺以外の奴に、こうやって朝飯を作らないでほしい」
「……してないけど」
「これからも。しないでくれ」
「……」
「俺にだけ……俺だけの特権にしてほしい」
「……こんなめんどくさいこと、一人で精一杯だよ」
「約束だぞ」
そっぽを向いて答えない蒼空に、陽大は小指を突き出した。ほんのりと蒼空の頬が紅潮しているようにも見える。
「そんなの、わかってるよ」
小さく呟くと、蒼空はわざとぞんざいに小指を絡めた。陽大はその指が離れないよう、ぎゅっと力を入れる。
「痛いって。ほら、もういいだろ。早く事件の話」
「わかったよ」
陽大は指を離すと、スマホを取り出した。
「言っとくけど」
「わかってる。他言無用でしょ」
「ああ。特に今回は公開していない情報もたくさんあるから、気をつけてくれ」
もちろん、本来は事件の内容を関係者以外に話すのはご法度だ。しかし蒼空ならこの違和感をわかってもらえるんじゃないかという望みがあった。かいつまんで事件の概要を説明すると、陽大はいくつかの現場の写真を見せた。
「これが最初の事件。19日に起きている。そしてこっちが今日の事件だ」
「よく似てるね
「そうなんだ。でも、何か引っかかるんだよ」
「確かに。よく似てるけど、でもこれを連続殺人と決めつけるのは早いような気がする」
「殺害方法か」
「最初が刺殺で次が扼殺。殺し方が違いすぎる」
「でも、手足が縛られてたり、マニキュアとか、薔薇とか、そういうのは同じ人物がやったとしか思えないんだ」
「そうだね、ネットじゃそこまでの情報は出ていないから模倣犯というのも考えにくい」
「頭がイカれた奴の仕業なら、殺し方が違っても不思議はないのかも」
「イカれてるのかな。いや、人を殺すなんて、もちろん普通じゃないからそういう意味じゃイカれてるんだろうけど。この薔薇にしてもマニキュアにしても、こんなのカッとなってる人間の行動じゃないと思う」
「確かに……」
二つの事件現場にあった薔薇の花。一方は赤く一本だけ挿してあり、もう一方はピンクが二本。どちらもたっぷり水が入れてあった。
「一つ目の事件から整理しよう。最初の被害者はナイフで腿を刺されて殺された。死亡推定時刻は夜中の3時20分。店長は前の日の夜10時ころに被害者の部屋に行ってて、11時ころには部屋を出ている。発見されたのは次の日の夕方7時半。部屋のドアは鍵がかかっていなかった。部屋の中から発見されたおもな指紋は被害者と店長だけ。凶器はまだ発見されていない。こんな感じ?」
「ああ」
「足跡は?」
「最初に駆けつけた捜査員のものだけ。伊東は靴を脱いで部屋に入っている」
「外から侵入した形跡はなし?」
「ああ、そうだ、そこは新しい情報が入ってきた。部屋を荒らされた形跡はないが、財布から金が抜き取られていたことがわかったんだ」
「財布から? 指紋は?」
「出ていない」
「ふーん」
陽大にコーヒーを差し出し、自分にもコーヒーを淹れて一口飲む。
「遺体の状況とか、陽大が見て感じた違和感はどこにあると思う?」
「わからない。なんとなくちぐはぐだって感じしかわからないんだ。はっきりとどこがとは説明できないんだよ」
「でも変な感じがしたってことか。被害者は手足を縛られてたんだよね?」
「手の方は被害者の持ち物と思われるスカーフで、足はストッキングで縛られていた。あと、手と足の爪に赤いマニキュアが塗られてた」
「そして赤い薔薇が一本、花瓶に挿してあった」
「ああ」
「店長は何て?」
「まず、殺害自体を否認している。不倫だけは認めたけど、花は持っていってないし、マニキュアは塗っていたかは覚えていないって」
「彼がやったんだと思う?」
「わからない。不倫してたんだったら花くらい持っていくかもしれないし、その相手に会うから被害者が自分でマニキュアを塗ったのかもしれないし」
「でも、被害者と最後に会ったのはその店長で、しかも次の日に部屋に様子を見に行った時は鍵も持たず、チャイムも鳴らしていない。つまり、鍵がかかっていなかったことを知っていたことになる。となると、被害者の部屋を出た時は鍵をかけずに出て、被害者が鍵をかけられない状態だったことを知ってたと考えられる……」
「だけど、死亡推定時刻が合わない」
「……即死じゃなかったのかも」
「え?」
「何らかのトラブルが起きたのは事実だと思う。喧嘩とか別れ話とか何かがあって、刺してしまった。殺してしまったと思ってそこから逃げたけど、実は死んだのはもっと後だった、ってことは?」
「確かに可能性としてはあるな。でも、伊東の家からは血がついたシャツや凶器は見つからなかった」
「通報まで時間はたくさんあった。処分する時間もあったはず。ただ、いくら夜でも返り血を浴びたままじゃさすがに帰れない」
「壁に血が飛んでいたから、返り血を浴びたのは確かだろう。大動脈を切ってるから、かなりの出血はあったはずだ」
「……服につかなかったとか」
「え?」
「服についたなら処分しなきゃいけないけど、つかなかったらその必要はない」
「どういうことだ? 最初からビニール袋か何かをかぶってたってことか?」
「逆。何も着てなかったら、洗い流すだけですむでしょ」
「何も着てなかった……」
「セックスしてたんでしょ? 裸だったとしても何も不思議じゃない」
蒼空の口からセックスという言葉を聞き、思わず陽大はコーヒーにむせそうになった。
いや、男同士で下ネタを言うことだってあったけれど、なんかこうして聞くと生々しいというか、想像してしまうというか……。
「……今、やらしいこと想像したね」
「は?」
「二人がヤってるとこでも想像した?」
「バカ、俺はそんな変態じゃねえよ」
「でも顔が赤いよ」
「そんなことは想像してない」
「ウソだ、絶対やらしいこと考えたでしょ」
「してないって、俺はただ」
「ただ、何?」
「おまえの……」
「俺の?」
陽大は慌てて口を押さえた。
バカ、俺は何を言ってるんだ。
重ねてからかってくるかと思ったが、なぜか急に蒼空も黙りこくった。二人の間に妙な空気が流れる。陽大は思い切って蒼空に尋ねた。
「……なあ」
「なに」
「何で怒ってたんだ?」
「別に怒ってなんかない」
「だって、急に朝飯断り始めただろ。その、俺が……壮介とダブルデートした後から」
「……怒ってない。それで、どうだったの?」
「どうって」
「デート。楽しかった?」
「まぁ、それなりに」
「あっそ。よかったね。で、付き合うの?」
「おまえ、何言ってんだよ。デートしたがったのは壮介だぞ。俺はただの付き添い。しかも美優 ちゃん目当てだったくせに、壮介の奴、瀬那 ちゃんが気になってるらしい」
「瀬那ちゃんを?」
「ああ。言っとくけど、俺はただの付き添いだからな」
「それ、さっきも聞いた」
「おまえがやきもち妬いてるから」
「はぁ? 誰が? やきもちなんか妬いてないし」
「壮介がそう言ってた」
「ばっかじゃないの」
「でも、じゃあ何で怒ってた?」
「だから怒ってないってば」
「俺は嬉しかったぞ」
「え?」
「おまえがやきもち妬いてるって壮介の言葉に」
「……」
蒼空は陽大から目を逸らし、無言でコーヒーを飲み干した。
「ほら、次の事件の検証しないと」
「そうだな」
頬を赤らめながら蒼空は二杯目のコーヒーを淹れ始める。陽大は頬杖をつきながら、その美しい横顔をずっと眺めていた。
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