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第12話 Vanilla Sky
伊東が警察署を出たのは20日の午前中で、死亡推定時刻が午前3時という結果、アリバイは皮肉にも警察が保証する形になっていた。相原はじめ捜査班は手詰まり状態だった。
「どうなってんだよ、まったく……」
壮介が椅子の背もたれに反り返るように寄りかかり、大きくため息をついた。
「なんかさ、手足を縛られてたことはネットに出てるらしいぞ」
「どっから漏れてんだよ、まったく」
「記者と繋がってるヤツがいるんだろ」
「けど、さすがにマニキュアとかは出てないだろ?」
「それが出てるんだよ。薔薇の花のことも」
「マジかよ、誰だよ情報流したの」
「だから二番目の事件が模倣犯の可能性も捨てきれない」
「事件解決が遠のくな」
「なぁ壮介、ちょっとあっちでコーヒー飲まないか」
陽大 は目配せして休憩室に壮介を誘った。
「そうだな、ちょっと休むか」
二人は連れ立って休憩室へ向かうと、陽大がコーヒーを淹れる。コーヒーマシーンの抽出する音を聞きながら、壮介は誰もいないキューブ型の椅子に腰をおろした。
「蒼空 くんとは仲直りしたのか?」
「別に喧嘩してたわけじゃない」
「でも拗ねてたんだろ」
「本人は認めてないけどな」
「何だよそれ、可愛いヤツだな」
「可愛いって言うな」
壮介は目を丸くして陽大を見つめ、にやにやと笑いながらそばににじり寄った。
「ついに自覚したのか?」
「何を」
「蒼空くんへの気持ちだよ」
「……」
「その沈黙はイエスだな。そうかそうか」
「別に何も変わっちゃいないけど」
「変わるのをただ待ってるなんて言うなよな。自分から変えていけよ」
「うるさいな、そんなことを話しに来たんじゃないぞ」
「はいはい。なに、事件のこと?」
「ああ」
陽大は蒼空の推理をおおまかに話した。陽大が時々蒼空に相談しているのは、壮介も知っていた。
「相変わらず鋭いな、蒼空くんは」
壮介は感心したように唸った。
「だろ?」
「確かに、二つの事件は同じように見えて違う点が多いな。やっぱり一件目は伊東の犯行で、二件目はネットの情報を見た模倣犯ってことになるのか」
「ただの愉快犯だと思うか?」
「そこなんだよな、動機が見えてこない。なぜ模倣する必要があるのか」
「証拠品の販売元ってわかったか?」
「いや。ロープはおそらくネットで買った可能性もある。一般的に出回ってる登山用のロープでスポーツ店でも扱ってるタイプだったけど、買った人を特定することはできなかった。キャミソールの方は、一件目はクローゼットに同じようなのが何枚かあったから、被害者のものだろう。二件目の方は、同じものはどこの店でも扱ってなかったし、ネットでも見つけられなかった」
「てことは、このために買ったものじゃないってことか」
「もしかして……犯人は女?」
「自分のを着せた? いや、それはないだろう」
「だって、マニキュアを塗ってるし」
「オリンピックに出るクライミングの選手なら可能性はあるかもな。普通の女性の腕力じゃ、いくら細いとはいえ男の首を抵抗なしに締めるのはかなり難しいだろ」
「まあ、そうだな」
コーヒーを飲み終え、紙コップを捨てようとした時に陽大の電話が鳴った。
「もしもし……あ、はい、わかりました。すぐ行きます」
「何かわかったのか」
「体液の鑑識結果が出たらしい」
「どっちの?」
「両方だ。行こう」
一件目の被害者女性の体内から検出された体液は伊東のDNAと一致し、それ以外の人間のものは出てこなかった。二件目の被害者からは本人以外の人間の体液は検出されなかった、という結果だった。
「痕跡残さずか」
「それもおかしい点だと思わないか? 伊東は最初の女性には自分の痕跡を残してしまうくらい穴だらけなのに、二件目はまったく手がかりがない」
「確かに」
「やはり、伊東以外の人物が関わっていると考えた方がよさそうだ」
「体液といえば、わかったことが一つあります」
鑑識結果の紙をこちらに手渡しながら、担当の若い男性が陽大たちに言った。
「わかったことって?」
「二人目の被害者ですが、衣服に本人の体液が付着していました」
「本人の? 精液か?」
「微量ですが、おそらく尿道球腺液と一緒に分泌されたと思われます」
「何と一緒に?」
「アレですよ、その……先に出てくる液体です」
「ああ……」
陽大は壮介と顔を見合わせた。
「てことは……感じてたってことか」
「よく聞くあれか、SMとかで感じるってやつか? 首絞められながらそれを快感に感じてた?」
「でも性行為をした痕はなかったんだよな?」
「はい、その形跡は認められませんでした。ただ、口内に水をかなり含ませたようです。飲み込んでいないので、死亡後だと思われます。まるで洗い流したような感じで……おそらくですが、口を使った何らかの行為はあったのではないかと」
二人は眉間に皺を寄せながら腕を組んだ。
「壮介、どう思う?」
「はっきり言えることはただひとつ」
「何だ」
「ど変態だってことだな」
壮介らしい言い方に、陽大は苦笑した。
「だってそうだろ、手足を縛って性行為まがいをして、その相手の首を平気で絞めるような奴だぞ」
「ああ、そうだな」
陽大は現場で汗をかきながら震えるようにうずくまっていた伊東の姿を思い出す。
「伊東が多重人格でない限り、間違いなくもう一人の人物がいる。変態というより……サイコパスのような奴が」
夜の10時を回ろうかという時刻に、やっと陽大は帰宅した。体も疲れているが、それよりもずっと頭を使っているせいか、肩こりがひどい。
シャツも脱がずにベッドに倒れ込むと、ポケットのスマホが鳴った。見るとメッセージ通知がきている。
――明日の朝はカフェのモーニングはなし
蒼空からだった。陽大は飛び起きた。
なし? あんないい雰囲気でまた明日って言ってたのに? いったいどういうことだよ
――は? ふざけんな、俺は行くぞ
――行っても無駄だよ。店は開けない
――どういうことだよ
――家で作るから
その文字に、陽大は文字通り固まった。
い、家……? 家って、蒼空の家?
――俺の家に来て
ダメ押しのような一文に、陽大はベッドに倒れ込んだ。OKのスタンプをかろうじて送ったが、頭がうまく回らない。
いや、何を考えてるんだ俺は。あいつの家なんて数えきれないくらい行ってるし泊まったことだってある。朝食を食べに行くくらい、別に何ともないじゃないか。
そうだ、ただご飯を食べに行くだけだ、それ以外に何があるっていうんだ。
陽大が揶揄うたびに頬を赤くして唇を尖らせ、うつむく蒼空の横顔が浮かぶ。
俺は何をそんなにドキドキしているんだろう……。
目を閉じると、綺麗な黒い瞳で見つめる蒼空が陽大に笑いかける。
蒼空……。
そして、いつの間にか眠りに落ちていった。
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