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第15話 Vanilla Sky
エンジンをかけようとして、陽大 はふとその手を止めた。
「どうした?」
「……浴室のルミノール検査はやったんだよな?」
「ああ、僅かだが血液反応があったが、それが伊東が血を洗い流したということにはつながらなかったから証拠として採用されなかったんだ」
「伊東の家からも彼の店からも凶器は見つからなかった」
「店の厨房も隅々まで探したが、普段使っている包丁しか見つからなかったよ」
「この部屋にあったナイフは調べたか?」
「もともとキッチンにあったナイフか? いや、それは調べてないはず。発見された時にキッチンにあったものだし」
「伊東が部屋についたのが7時半ころ。通報があったのが……」
「19時42分だ。でも着いた時間をはっきりさせるものがないからな、42分も範疇に入ると言われればそうかもしれない」
「それでも、通報までに時間がかかっているのは確かだ。なぁ、俺らが現場で探したものは何だ?」
「何って、凶器だろ。刺された傷に合うような刃物だ」
「いや、違う。俺たちは血のついた刃物を探したんだ」
壮介ははっとしたように陽大の顔を見た。
「発見した時に血がついていなかった刃物か」
「灯台下暗しだ。すぐにあのナイフを回収して鑑識に回そう。血液反応が出たらそれが凶器で間違いない」
「伊東は知らないと言い張るはず」
「たぶんな。だから、ちょっと仕掛けが必要だ」
「OK」
ナイフの回収と鑑識への連絡を電話で秦はた刑事に頼み、二人は二番目の現場に向かった。その途中、カフェVanilla SkyとレストランCorkの前を通り過ぎた。
「割と遠くない場所で事件が起こってたんだな」
「ああ」
陽大が頷くと、二人ともそのまま黙りこくった。陽大は蒼空 を、壮介は瀬那を、それぞれ思い浮かべていた。
「……早く犯人を捕まえないと」
「そうだな」
ふぅーっと壮介は息を吐いた。
「俺、今日から瀬那を家に送っていこうかな」
「心配になってきたか」
「まぁな」
二番目の事件の被害者のことを考えると、無理もなかった。壮介はメッセージを送ると、助手席のシートを倒して目を閉じた。
「大丈夫だって」
「……わかってる」
現場に到着し、陽大は改めて部屋をじっくりと見回した。前回も今回も、現場は被害者の自宅だ。最初の事件が突発的なものだとして、この二件目の事件は最初の事件をなぞるような状況を作っている。
この部屋の薔薇は花瓶ではなくグラスに挿されていた。おそらくここに花瓶がなかったからだろう。それ以外は蒼空の指摘のように似ているようで異なる。いや、むしろ一件目の事件と同じように仕立てていっているように見える。
「薔薇の花の特定はおそらく難しいよな」
「防犯カメラに映っていた店から出てきた客は特定できたけど、全員アリバイがあったからなぁ。事件当日、バーで働いていたのが被害者だけだったから、客とどんな話をしてたかまではわからないし」
「カメラだと、店を閉めた被害者が誰かと一緒に帰る様子は映っていなかったよな」
「あの日来ていない常連客や友人に聞いても、それらしい人物は出てこない」
「なぜ被害者になったのか……」
「最初の事件と犯人がつながってるとしたら、何かを隠すためだったとも考えられないか?」
「何かを目撃したのか……」
特徴的なものでなければ、そこまで気にするだろうか。犯人と事件が結びつけられるようなものだから、口封じをされたとしたら……。
「薔薇……」
「花束か?」
「ピンクの薔薇を花束で持っていたとしたら、割と目にはつくはず。二本だけでも、男が持っていたとしたらやはり目にはつくんじゃないか」
「犯人が女だとしたら?」
「首をしめた力の強さからして、男と考えるのが妥当だ」
「でもあの日、薔薇の花束らしきものを持っていた客は映っていなかった」
「そうなんだよな……」
二人は現場を見回す。何か見落としていることはないか……。
陽大がベッドの周りを調べていると、壮介の電話が鳴った。鑑識からのようだった。
「ビンゴだ。被害者の部屋にあったナイフから血液反応が出た」
「よし、まずは伊東を捕まえよう」
「それじゃ、行くとするか」
陽大と壮介が向かった先は、伊東の店だった。それほど大きくないダイナーには、レジに座っている女性店員が一人と厨房で新聞を読んでいる男が一人だけだった。
「店長は?」
「今出かけていて、もうすぐ帰ってくると思います」
「ちょっと店の中を探させてもらうよ」
「え、またですか?」
「ああ。ちょうど客もいないようだし、閉店の看板を出してほしい」
「そんな、勝手にやったら店長に怒られます」
慌てて止めようとする女性店員の顔を、陽大はじっと見つめた。
「君はあの日、なぜ自分で見に行こうとしなかった?」
「え?」
「なぜ、店長に行くように頼んだのか」
「それは警察に話しましたけど」
「被害者が休んでるのに自分までいなくなると店が大変だから」
「ええ、そう言いましたよ」
「本当は店長が被害者の女性と不倫関係にあったことを知っていたからでは?」
「……」
「彼女は店長とどんな様子だった?」
「……詳しくは知りません。はっきり聞いたわけじゃないし、何となくそうかなって思ってただけで」
「彼女は幸せそうだったか、それとも別れたい感じだったか」
「知りませんよ。ただ……」
「ただ?」
「不倫してて幸せだと思う人なんかいないでしょ」
「……それもそうだな。わかった。捜査に協力してほしいんだ。閉店の看板を出してくれ」
壮介は厨房に入ると、中で新聞を読んでいた男をテーブルの方に行くよう促した。その後を陽大がついていき、厨房の中を調べ出す。
そこに、ドアが勢いよく開いて伊東が入ってきた。
「おい、何で閉店の看板なんか出しているんだ!」
「店長、それは……」
「俺がお願いしたんです」
「あんたは……何でまた警察がここに?」
「ちょっと探したいものがあってね」
「探したいもの?」
「あったぞ、陽大!」
「見つかったようです。よし、検査を頼む」
「検査? 何の検査だ?」
「あるものが反応するかどうかを調べるんですよ」
「あるもの?」
「血液です」
「出たぞ。血液反応だ」
壮介が厨房の奥から手袋をはめた手でナイフを持って現れた。
「このナイフがこの厨房に隠してありました。怪しいので調べてみたら、血液反応が出ましたよ」
「な……何を言ってるんだ、そんなわけないだろう、そんなものがここにあるはずがない」
「本当です」
「それは……そうだ、ここは厨房なんだから肉を切ることだってある」
「これ、この店のものですか?」
壮介は伊東の後ろから興味津々に覗き込んでいる厨房の男に尋ねた。
「いや、うちはそんな包丁なんか使ってないっすよ」
「だそうです」
「知らない、そんなものは知らない」
「何を知らないんですか?」
陽大は伊東ににじり寄った。
「俺はそんなナイフなんか知らない」
「そんなナイフ? どんなナイフですか?」
「だからそれだよ、そのナイフなんか知らないって言ってるんだ」
「ああ、これ。このナイフのことか」
壮介からナイフを受け取り、伊東の目の前にかざす。
「何が "そんなわけない" んですか?」
「え?」
「血液反応が出たこと? でも自分で言ったように、肉を切るなら血液反応が出るかもしれないのに」
「それは……だから……」
「隠してあった、ってこと?」
「ああ、そんなのうちで使ってないんだから、隠したりなんかしていない。そうだ、そんなのうちの店にはなかった。あんたらがでっち上げたんだろ?」
「おかしいですね。俺たちは "あなたが隠した" とは言ってないんですが。だって、そこの店員さんがこっそり鶏肉を切るのに使って隠したのかもしれないのに」
伊東は陽大の言っている言葉の意味が飲み込めず、怪訝そうに彼を見つめた。
「そう、あなたの言う通り、これはここで見つけたものじゃない。これは被害者の部屋にあったもので、実際に人の血液反応が検出されたものだ。でも変じゃないですか? だって俺たちはこのナイフが被害者を刺したものとは一言も言っていないのに、なぜあなたはこれがここにあるはずがないって思うんです? なぜ "そんなもの" って思ったんです?」
「それは……」
「それは、あなたがこのナイフを見たことがあったからだ。このナイフで被害者を刺し、その血を洗い流して部屋のキッチンに戻しておいたのに、それなのに "そんなものがここにあるはずがない" と、そう思ったんだ。そうだろ?」
伊東は観念したようにその場に崩れ落ちた。
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