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第16話 Vanilla Sky
「じゃ、ひとまず最初の被害者を刺した犯人は特定できたんだね」
蒼空 はマグカップにコーヒーを淹れ、陽大 の前に置いた。
「ああ、店長が自分で刺したことを認めた。ただ、手足を縛ったり薔薇を飾ったりはしていないって。刺してしまって死んだと思い、自分とナイフについた血を洗い流して、後は逃げたと言ってる。そして次の日、従業員に急かされて仕方なく部屋を確認しに行ったところ、自分が出ていった時と明らかに違う状況に始めはパニックになったらしい。手足を縛った記憶なんかないのにそんな状態だったから、これは誰かが後から来てそいつが殺したんだと自分に都合よく思い込み、捜査を撹乱するために財布から金を抜き取ったと供述している」
「なるほど。それじゃ被害者を刺した犯人はわかったとして、次は被害者の手足を縛ってマニキュアを塗り、薔薇を置いていった犯人を探さないと」
「それがかなり難航しているんだ」
「手足が縛られてたこととかネットで拡散されてるのは俺も見た。でも模倣犯かって言われるとそれは違うような気がする」
「そうか?」
「何となく。模倣犯って、犯人の真似して楽しむような奴でしょ。警察を馬鹿にする目的なのか、それはわからないけど。その模倣する情報がネットの掲示板って、不確かすぎない?」
「まあな、ソースが確実かどうかはわからないしな」
「もし間違った情報で再現してしまったら、それって犯人にとっては恥じゃん? それこそ掲示板で馬鹿にされるかもしれないし」
「同一犯の可能性が高いか」
「そんな気がしてきた」
蒼空の家はそれほど広いわけではないが、自宅もカフェのような洒落た造りになっている。キッチンにはカウンターがついており、黒いカウンターチェアが2脚置かれている。その一つに陽大が座って蒼空の手作りの朝食を食べていた。
一昨日、ここで陽大は蒼空に告白をし、そしてキスをした。出勤時間ぎりぎりだったため、あの日はキスをしただけで部屋を後にした。昨日は伊東の事情聴取などもあって来れなかったので、今朝はキス以来初めて顔を合わせた二人だった。
どんな顔をして会えばいいのかわからなかった陽大だったが、昨日来られなかったのは避けているためだと思われたくなかった。しかし、今朝の蒼空はいつもと変わらず出迎えてくれ、いつもと同じように朝食を作り、コーヒーを淹れ、事件の推理をしている。
俺は確かに「好きだ」と言ったぞ? 蒼空だってキスを拒まなかったし、むしろ俺の背中に手を回していた。なのに、なぜこんな普通にしていられるんだろう。
そんなことを考えていると、それまでキッチン側に立って話をしていた蒼空が、自分の分のマグカップを持って陽大の隣に来て座った。部屋でいつも履いている、お気に入りの黒いショートパンツから覗くすらりと長い脚を組み、カウンターに頬杖をつく。その手首には自分があげたブレスレットが巻かれていた。いつも見慣れている横顔なのに、陽大は思わず見とれる。
「それで」
「ん?」
蒼空は軽く睨みつけるように陽大を見た。
「現場検証の話か?」
「違う」
「目撃者について?」
「違うってば」
「それじゃ……」
「デート」
「え?」
「いつデートに誘ってくれるの?」
「デートって……いいのか?」
「は? だって告白してきたのそっちじゃん」
「そ、そうだけど、その……」
「告白してキスしといて、それっきり?」
「……実は事件が片付いたら、ちゃんとデートに誘おうと思ってたんだ」
「事件が片付いたらって、もしこれが犯人見つからなかったら、一生デートどころか告白もしてなかったってこと?」
「それは……ないと思うけど……」
「思うって何? 自分の気持ちじゃん」
「だって、俺まだ信じられなくて……」
「信じられないって、何が?」
「おまえのことが好きだって気づいたのがついこの前で、それなのにおまえがすんなり俺を受け入れてくれたことがまだ信じられないんだ」
「……バカ」
蒼空は唇を尖らせて、陽大の額を指で弾いた。
「いてっ」
「そんなに信じられないならいいよ、一人で勝手に悩んでれば」
「いいよって、ちょっと待て」
「俺のことを信じてくれる人を探すから」
「ダメだ」
強い口調で言うと、立ちあがろうとした蒼空の手を陽大が掴んだ。
「それはダメだ」
そのまま蒼空を引き寄せ、そしてしっかりと抱きしめた。
「俺以外の奴となんか……絶対にダメだ」
「……ちゃんと言えるじゃん」
頬を陽大の肩に載せて、蒼空は目を閉じる。
「この前も今日も、いつも俺から誘導しないと言ってくれないし」
「だって、やっぱ恥ずかしいだろ。俺らずっと友達だったわけだし」
「俺が恥ずかしくないとでも思ってんの?」
「あ……」
自分の背中に回していた蒼空の腕にぎゅっと力が入る。陽大は蒼空の綺麗な髪を優しく撫でる。
「悪かった」
「……じゃ、いつデートしてくれんの」
「デートは、事件がひと段落するまではできない」
「何だよ、それ」
蒼空はむっとした表情で陽大から体を離し、その綺麗な瞳で睨みつけてきた。
「だから、その代わり……」
「その代わり?」
「今夜、ここに泊まりに来ていいか」
「え?」
驚いた蒼空の目が丸くなる。
「泊まりって……」
「あ、いや、その、変なことしようとしてるわけじゃなくて、その、おまえと一緒にいる時間がほしくて……」
「陽大……」
蒼空は恥ずかしそうに俯くと、こくりと頷いた。
「それじゃ、夕食作って待ってる」
「何が何でも早めに帰ってくるぞ」
「ちゃんと仕事は終わらせてきてよ」
「わかってる」
陽大は嬉しそうな表情の蒼空をじっと見つめた。
今すぐその唇にキスしたい。キスして抱きしめて……本音を言えば、変なことだってしたい。でも焦っておまえを傷つけるようなこともしたくない
「蒼空」
「ん?」
「キスしていいか」
「そんなの、いちいち聞くなよ」
「ごめん」
「……俺はいつだってしてほしいんだから」
その言葉に、陽大はたまらずキスをした。一昨日とは全然違う、何度も何度も唇を重ねては舌を絡め合うような情熱的なキスを繰り返し、蒼空をきつく抱きしめた。
……絶対、今朝も何かやってきたな。
事件がなかなか片付かず少しずつ皆が苛立っている雰囲気の中、一人だけどこか機嫌が良さそうな陽大を横目で眺め、壮介は心の中でそう確信していた。
学生時代からの親友だというカフェのオーナー、蒼空と接する時だけ、陽大がすごく穏やかな表情になっていることに壮介はずっと前から気づいていた。蒼空もまた、毒舌で揶揄いながらも陽大にはいつだって優しい。無自覚な陽大がふざけて後ろから抱きしめたり、頬をつねったりと蒼空に触れるたび、彼が頬を赤らめていたのも知っていた。だから、陽大と蒼空がどうやらつき合うことになったらしいとわかった時、壮介は素直によかったと思っていた。しかしその反面、なかなか進まない自分の状況と比べてしまい、羨ましく思う気持ちもあった。
二件目の事件は、最初の事件をなぞっているような感じにも見える気分の悪くなるような手口だった。だが壮介が一番嫌な気持ちになったのが、被害者が男性だったことだった。女性ものの下着を身につけ、辱められた挙句に首を絞めて殺されている。
淡いオレンジ色の制服を着た瀬那が思い浮かぶ。豊満な印象の美優と違い、瀬那は華奢で可愛らしい雰囲気だ。そんな瀬那に言いがかりをつけて絡んできたこの前の客を思い出す。
犯人と被害者がどんな関係かもまだわかっていないが、壮介は家まで一人で帰る瀬那が心配になり、毎日Corkまで迎えに行って家まで送るようになっていた。車の中ではいつも楽しそうに話してくれるし、以前よりもずっと自分に笑ってくれる回数は増えた。メッセージのやり取りにも、時々ハートの絵文字を付けてくれることだってある。
しかし、いつも部屋の前まで送っていき、おやすみを言って帰ってくるだけだ。瀬那も引き止めたり、部屋に入るよう誘うこともしない。壮介はもどかしい思いでいつも帰路についていた。
「壮介、まだ行っていない花屋を回って聞き込み行くぞ」
やる気満々と言った爽やかな陽大の口調に、壮介は急に腹が立ってきた。
「あームカつく!」
「何だよいきなり。犯人か? 俺だってムカつくさ」
「違うよ、おまえにムカついてんの」
「俺に? 何で」
「朝から幸せそうな顔してにやけやがって」
「別ににやけてなんか」
「どうせ今日も蒼空くんのとこで朝飯食って、ついでにあの可愛い唇も食べてきちゃったんだろ」
「可愛いって言うな」
陽大が真顔で壮介の胸ぐらを掴む。
「……怒るとこそこじゃないし、否定しないのか」
「蒼空は俺のもんだからな、絶対に手を出すな」
「わかってるよ、そんなの。誰が人のもんに手を出すか。こっちはそれどころじゃないんだ」
「ふーん」
陽大はにやりと唇の端を上げて笑った。
「あんなに女遊びしてたくせに、いざ本気の恋愛になると意外と奥手なんだな」
「だっ、誰が奥手だよ、俺はプロセスを大切にしてるだけであって……」
「はいはい。ほら、行くぞ。俺は今日は何が何でも早く終わらせて帰るからな」
いつもよりやけに気合いが入っているような陽大の様子に気圧されるように、壮介は慌ててその後をついていった。
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