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第22話 Vanilla Sky

 翌日の午後、聞き込みから帰ってきた陽大(はると)は、Fleur(フルール)の売り上げのデータと映像を突き合わせていた。記録に残されている薔薇を売った日付、時間と映像が合っているかの確認という地道な作業に、時折眠くて意識が飛びそうになるのを我慢しながら必死に目を凝らしていた。  自動販売機のコーヒーで一息入れ、映像を眺めていた陽大の手がふと止まる。  6月18日の午後7時25分。この時間に赤い薔薇を10本売った記録が残されているが、映像にその様子がないのだ。  おかしいな……。  もう一度目を凝らしてよく見る。しかし、映像は午後6時50分に女性が見舞い用のようなフラワーバスケットを買い、その後は閉店間際の午後7時45分に年配の女性が自宅用なのか花束にせずに数種類の花を買っている様子しか映っていない。  「なあ、この映像って誰がチェックした?」  「その花屋ですか? えっとそこは確か……班長だったと思います」  「班長が?」  「あ、違うな、班長と(はた)が映像を回収してきて、聞き込みで忙しかったから班長が見ておくって言ってたのに、結局時間がなくて秦が確認したんだった」  「そうか……秦は?」  「今は外に出てますね」  後で秦に確認しないとな。  その後もひとつひとつ照らし合わせていくと、同じような箇所がもう一つあった。翌日19日の夕方の時間帯だ。こちらも、レシートにはピンクの薔薇を10本買った記録があるのに、映像がない。  赤い薔薇とピンクの薔薇……?  陽大は半袖のシャツから出ている自分の腕に鳥肌が立っていることに気づいた。  犯行に使われた色の薔薇を買った時間の映像だけがないなんて、そんな偶然があるだろうか。  注意深く映像を見ていくと、あることに気づいた。薔薇を買っているはずの時間の前後で、右上にあるタイム表記の数字が飛んでいるのだ。18日は18:55から19:45に時間が飛んでいる。19日も同様だ。  なぜ、秦はこれに気づかなかった?  「他の店の映像で、どこか変なところはなかったか?」  「変なところと言うと?」  「たとえば時間が飛んでいるとか」  「時間? いや、すみません、そこまでは見てなかったです。とりあえず、レジに客が映ったとこだけを見てたので、他は二倍速にして進めていました」  そういうことか……。だから秦も見逃したのか。  そこに、バーの映像を回収しに行っていた壮介が戻ってきた。  「早かったな。瀬那のこともついでに送ってくると思ったのに」  「今日は秦に頼んである」  「何でまた」  「いろいろあるんだよ」  「いつまでも意地張ってると、そのうち後悔するぞ」  「うまくいってるからってムカつくな」  「本気で心配してやってんだぞ」  「わかったわかった。花屋の映像の方はどうだった?」  「ちょっとおかしな点を見つけた。そっちは? バーの映像は回収できたか?」  「それが、もう回収されてたんだ」  「え?」  本当はもっと早くに雅人殺害の前日が映っているバーの防犯カメラを回収に行く予定だったが、三番目の事件が起きたことにより遅くなってしまった。しかし、もう回収されていたとは予想外だった。  「でも、誰からも聞いてないぞ、そんなの」  「ああ、バーの映像ですよね?」  「知ってたか?」  「はい、班長が回収して秦に確認させてましたが、事件前日は何も映っていなかったそうです」  「何も映っていなかった?」  「はい。どうやら殺害された被害者がアルバイトだったので慣れておらず、店が終わるとカメラの電源を切ってしまい、その日は営業時間に電源を入れ忘れたんじゃないかと、バーの店長が言ってました」  そんな偶然があるのか?  どちらの映像も確認をしたのは秦だ。そして、肝心の見たい部分の映像がなくなっている。  「どうだ、何か進展はあるか?」  相原がネクタイを緩めながら入ってきた。どうやら今日も上に絞られてきたようだった。  「班長」  「何だ」  陽大は周囲を気にしながら相原のそばに行き、小声で聞いた。  「秦のことなんですが…」  「秦? 何かあったのか?」  「ちょっと気になることがあって…」  壮介がそばに寄ってくる。  「非常に真面目な奴だぞ。三年前にここに配属になって、遅刻や無断欠勤もないし、規律違反もしていない。模範のような警官だ」  「何か過去に問題を起こしたとか、そういうことは?」  「聞いたことはないが……ただ、家族に不幸があったらしい」  「家族に?」  「今の親は再婚同士らしいが、新しい母親の連れ子が秦の二つ上の姉となったが、その後、自殺したそうだ」  「自殺? 理由はわかりますか?」  「いや、そこまではわからない。ここに来る、もっと前のことだったらしいからな」  陽大はじっと考え込んだ。  「どうしたんだ、陽大。何か気になるのか?」  「班長、実は防犯カメラの映像が意図的に削除されている可能性があります」  「何だと? どういうことだ」  「殺害された店員が勤めていた花屋の売り上げ票と映像を照らし合わせたところ、レシートでは薔薇の花を買っているのにその部分の映像がないんです。しかも赤い薔薇と、ピンクの薔薇です」  「映像がないって……」  「よく見てみると、タイム表示が飛んでいました。明らかに削除されています。それと、バーのアルバイトが殺害される前日の映像もなくなっていました」  「あの映像は確か、もともとなかったはずだが」  「それは秦がそう言ってたんですよね? もしそれも、丸ごと削除されていたら?」  「まさか……」  話を聞いていた壮介が、ハッとしたように顔をあげた。  「嘘だろ」  「どうした、壮介」  「瀬那……今日は秦に瀬那を家に送るよう頼んだんだ」  そういえばさっきそんなことを言ってたが……。  「まさか、いや、いくら何でもそんなことは……」  「班長、大至急応援を頼みます!」  「どこにだ?」  「瀬那の家です、秦が彼女を車で送ってるんです!」  「セナ?」  壮介は真っ青になりながら急いで駐車場へと走っていった。  「壮介の大切な友人です。秦に家に送ってもらうよう頼んだそうです。班長、秦の家の捜索もお願いします」  「わかった、二手に分かれて動いてくれ」  頼む、間違いであってくれ。秦が犯人だなんて、どうかそんなこと間違いであってくれ……。  男は車の窓を少し開け、シートに深くもたれた。  明るい日差しの中、奥のレストランからウェイトレス姿の女性が花屋にやってくる。鮮やかなオレンジ色のユニフォームは、あの日、この花屋の店員に買わせたオレンジ色の薔薇の花を思い出させた。  ――気分を明るくする色の花束を買ってきますね。私、花屋で働いてるから選ぶのも上手なんですよ。  そう言って女は楽しそうに通りすがりに立ち寄った花屋に向かった。  ウェイトレスは何やら花屋の店長と店先で話しながら、時折その背中をさすってやっていた。おそらく慰めているのだろう。  あのウェイトレスは何度か見たことがある。女性の格好をしているが、実際は男性だ。体型は割と華奢で、えくぼのある可愛らしい顔立ちをしている。  男はサングラス越しにウェイトレスを眺めながら、頭の中でその服を脱がしていく。きっと恥ずかしがりながら脱ぐのだろう。下着は女物をつけているのだろうか。だとしたらどこまで脱がせようか。  バーの少年に着せたキャミソールはとてもよく似合っていた。あの時は家にあった物を持ってきたが、他にもまだあっただろうか。彼女の思い出の品の中に。  想像の中でベッドに横たわらせた時、花屋の向かいのカフェから男が出てきた。すらりと長い足に短いカフェエプロンをしている。あのカフェの店長だろう。シックな色合いのシャツから伸びた腕が透き通るように白い。  男はやや身を乗り出し、にこやかに彼女たちにコーヒーを手渡すその整った顔立ちを見つめた。  美しい。白い肌やふっくらした唇、はにかむように笑う仕草、ボタンを外した首元から覗く鎖骨の形……。  男の頭の中で、ターゲットが入れ替わる。彼は恥ずかしそうに身を捩りつつ、頬を赤らめてこちらを見つめるはずだ。ベッドの端に座らせ、ズボンだけ脱がせる。もちろん下着もだ。シャツ一枚だけで腰かける彼の太腿を優しく撫で、少しずつ股を開かせる。  ああ、今度は我慢できずに挿入してしまうかもしれない。コンドームを使って痕跡を消さなければいけない。あの綺麗な顔が快楽と苦痛に歪み、懇願してくるだろう。  ――もうやめて……。  なぜやめてほしくないのに、やめてと言うのだろう。  ――そんな表情をしないでくれ、姉さん  ――やめて、私はあなたの姉さんなんかじゃない  ――どうして?いいじゃないか、姉さんと呼んだって  ――もうやめて……いや……  なぜそんなふうに泣きながら懇願するのだろう。嫌だと言いながら、こうして自分に抱かれているというのに。  男は小さくため息をついた。  さて、彼には何色の薔薇を送ろうか。彼こそピンクが似合うのに、もう使ってしまった。あと使っていない色は? マニキュアも買わなくては。何色が似合うだろう。黄色? 白?  「ソラさん!」  カフェに戻ろうとした男性を、ウェイトレスが呼び止めた。その声が、開いた窓から入ってくる。  ソラ……。ソラという名前なのか。  男は満足そうに微笑んだ。  素晴らしい。君にぴったりの薔薇を思いついたよ。青い薔薇だ。君には青い薔薇を贈ろう。

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