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第34話 Vanilla Sky〜Dask Till Dawn
一緒に住むことになった陽大 と蒼空 は、新しい部屋を探すまで蒼空の家で暮らすことになった。今の蒼空の部屋でも二人で暮らすには十分だが、やはりもう少し広い部屋で新婚のような雰囲気にしたいという陽大の希望もあり、蒼空はカフェを改築して住居を増設しようかと考えていた。
秦 の回復は順調で、それに伴って徐々に相原が事件のいきさつを話し始めており、ようやく明るい兆しが見えてきていた。夏休みの旅行から帰ってきて一週間が過ぎ、いつもの忙しい日常が戻ってきていた頃だった。
「都築 さんに会いたいという女性が来ています」
七月も終わろうとしていたある日の午後、陽大のもとに見覚えのある女性が訪ねてきた。
「君は……」
「覚えていますか」
きりっとした目元は確かに見覚えがあった。奥入瀬のリゾートホテルの近くで姉を事故で亡くし、泣いていた女性だ。
「岡崎さん」
「さすが刑事さんですね。覚えててくれたんだ」
「なぜここに?」
「名刺をくれたじゃないですか」
「あ、だから、札幌までわざわざ来るような事でもあったんですか? 電話ですまないような」
「私、札幌に住んでるんです。それに、電話じゃ伝わらないから」
「そうなんですね。話はお姉さんのことですか?」
「それ以外に警察に用なんかありません」
何を言っても突っかかってくるような物言いだったが、その瞳には強い意志が感じられた。おそらく、何か調べてほしいことがあるのだろう。
「わかりました。場所を変えましょう」
「……取調室とか?」
「まさか。参考人でもないのに」
陽大は少しだけ表情を和らげた。
「コーヒーでも飲みながら、お話を聞きましょう」
陽大が奥入瀬で会った女性、岡崎すみれを自分のカフェに連れてきた理由は、だいたい想像がついた。それが事故に関する仕事内容だとしても、自分の知らないところで二人で会い、話が進むとやきもちを妬かれると思ったからだろう。
蒼空は何となく見透かされているような感じが気に障り、思いきり薄いコーヒーにしてやろうかとも思ったが、思い詰めたように硬い表情をしているすみれを見て、二人に意地悪をすることはやめた。
「どうします? コーヒー、めっちゃ薄くします?」
カウンターの中で従業員の咲良 が蒼空に耳打ちする。
「何でそんなことを」
「だって、都築さんが美人と一緒に来たから店長は内心穏やかじゃないんでしょ?」
「バカなこと言ってないで、あっちのお客さんのグラスに水足してきたら」
「いいんですよ、やきもち妬くのは恥ずかしいことじゃありません」
「だから違うってば。だいたい、ここに連れてきたってことは俺に隠し事をしないってことの表れだろ」
「まぁ、そうとも言えますね」
「それより、例の改修工事のことだけど…」
「ああ、ここに店長と都築さんの愛の巣を増設するって計画ですね」
「ち、違うって、併設してた方が何かと楽だし、広めの家がほしいから」
「全然オッケーですよ。三ヶ月くらいですよね? その間、ちょっと旅に出てみます」
「旅?」
「ええ。あちこち、まだ行ったことない国とか」
「でも、彼氏は? 一緒に行くの?」
「あ、彼とは別れました」
「え? 別れたって……」
「やっぱり違うかなって感じになって。だから旅をしながら新しい恋を探すのもいいかも」
「まぁ、まだ若いからね……」
「年齢なんか関係ないですよ。店長たちは歳をとったから落ち着いた恋愛をしようと思ってつきあってるんですか?」
「いや、そんなんじゃないけど……」
「好きだからでしょ? 私は好きじゃなくなった、それだけです」
あっけらかんと言い切った咲良を蒼空はやや感嘆したように見つめた。そうは言っても、やはり切り替えられるのは若いからだと思った。そして、男である自分を受け入れ、愛してくれている陽大との出会いはもしかしたら運命なのかもしれないと柄にもないことを考えていた。
「……蒼空、聞いてるか?
カウンター席にすみれと並んで座って話し込んでいた陽大は、どうやら蒼空にも話を振っていたらしかった。
「え? あ、ごめん、ちょっとコーヒー淹れてて……」
「仕事の邪魔して悪いな。手が空いたら、おまえもこの写真を見てくれ」
そう言うと、すみれはスマホの画面を蒼空に見せた。
「姉のSNSです。これは非公開なので、フォローしている人しか見れません」
「これ、この前ホテルでも見せてもらった写真だね」
「もう一枚あります」
姉のあおいがラウンジらしき場所で自撮りをし、後ろに男性の手元だけが映り込んでいる写真だ。同じような角度だが、男性の顔は写さずにもう少し手とシャツの部分がはっきり見えている。
「奥入瀬に到着した日に撮られたものです。私にも旅行に来てるってメッセージよこしてました」
「この写真は送られてこなかったの? この男の人の顔が写ってるような写真とか」
「それはきてません。でも男の人と一緒の旅行というのは仄めかしてました」
「そうなんだ……それで、君はなぜ陽大のところに?」
「捜査してほしいらしい」
「捜査? だって、管轄が違うから無理でしょ」
「現地の警察ではすでに事故として処理されました。お葬式も終わって、もう姉のことはみんな忘れ始めてます」
「世間なんか関係なく、家族の君が覚えていてあげればいい」
すみれはバッグの中から封筒を取り出してカウンターの上に置いた。
「解剖結果です」
「解剖?」
「事件か事故か状況だけで判断が難しかったから司法解剖を実施したらしい」
「何か不審な点でもあった?」
「私は専門的なことはわかりません。これが参考になるかと思って持ってきたんです」
「陽大、どうするの?」
「管轄が違うし、解剖の結果、事故で処理されている以上はかなり難しい」
「でも、おかしいでしょ? 姉はこの男の人と一緒に旅行に行ったんですよ? 顔を写さないっていうことは、もしかしたら世間には知られちゃいけないつきあいだったのかもしれないけど……でも、少なくとも一緒に行った相手が亡くなっているのに、この男の人は知らんぷりしたまま。そんなのおかしい。だって姉が転倒した時に一緒にいたかもしれないのに」
陽大は仕事をしながら、一日中、昨日のすみれの言葉を反芻していた。
確かに言われてみれば不自然ではある。普通であれば一緒に旅行にいった女性が大怪我をしたのなら、すぐに救急車を呼ぶはずだ。例えば仮に男性が既婚者で不倫旅行だったとしても、もし事故当時一緒にいたなら放置していればもちろん犯罪だ。何らかの理由でその時は一緒にいなかったとしても、戻ってこなければ心配するだろう。
警察も、同行者の有無は調べたはずだが、事故として片付けたということは、一緒に泊まったり行動していた証拠が出なかったのだろう。すみれの言う通り、あおいが誰かと一緒に旅行に行っていたのなら、その相手はできるだけ人に見られないように行動していたことになる。おそらく、世間に知られたくない関係だったのだろう。
陽大はパソコンの画面で、すみれから送ってもらったSNSの写真を眺めていた。姉妹だとすぐにわかる目元だが、姉のあおいの方は優しげで、妹の方ははっきりとした性格の印象を受ける。
「仕事中に女の写真見てるなんて、蒼空に言いつけるぞ」
後ろから覗き込んだ壮介が肩を抱きながら耳元で囁く。
「そんなんじゃない。それに蒼空も知っている」
「何だ、つまらないな」
「おまえな、人の不幸を期待してると自分が足元すくわれるぞ」
「はいはい、わかりましたよ。で、何の関係の写真?」
「ただ……旅行先で知り合っただけだ」
今は壮介に何と説明したらいいかわからない。もう少し様子を見てからにしようと、陽大はパソコンの画面を仕事の書類に切り替えた。
久しぶりに外で食べようと陽大に誘われ、蒼空はあまり行くことのないお洒落な雰囲気のレストランに向かった。日はとっくに暮れ、煌びやかな灯りがあちこちで輝いている。レストランが入っているビルの入り口で、陽大がポケットに片手をポケットに入れて立っていた。
蒼空は足を止め、10mほど離れた場所から恋人を眺める。実家が裕福な育ちのためか、こういう場所に違和感なく馴染むその姿は、贔屓目に見てもかなりかっこいい部類に入ると蒼空は密かに思った。自分とほぼ変わらない身長だが、すらりと伸びた脚、薄いブルーのシャツの上からでもわかる逞しい胸筋、綺麗な鼻筋とすっきりとした顎のライン…。
思わず見惚れていた蒼空に気づいた陽大が、にっこり笑って片手を上げた。蒼空も笑顔を返し、足早に陽大のもとへと近づいていくと、そのままじゃれるように抱きついた。
「どうしたんだ」
驚きながらも嬉しそうに陽大が蒼空の腰を抱く。
「俺の恋人はかっこいいなと思って」
「それはこっちのセリフだよ」
二人は笑い合いながらビルの中へと入っていった。
レストランは落ち着いた雰囲気で、客層もそれなりにの階級が多い感じだ。蒼空と陽大はカフェに増築する家の間取りや家具についてあれこれ話しながら、洗練された味付けのフレンチを味わっていた。
途中トイレに立った蒼空が、ついでに内装や手を洗う場所に使われている洗面ボウルの素材などを手を洗いながら参考に見ていると、奥から用を済ませた男性が出てきて隣で手を洗い始めた。何の気なしに横目で見た蒼空は、どこかで見覚えがあるような気がして、気づかれないようにその男の全身を盗み見た。そしてその手首にはめられている時計を見て、一瞬動きが止まった。
あの時計は……。
そしてその瞬間、どこで見たかをはっきりと思い出した。
蒼空は急いでスマホを取り出すと、ランダムにその辺の写真を撮り始めた。壁、洗面台、蛇口……。男性は怪訝そうな顔でこちらを見ている。
慌てて作り笑いをすると、蒼空は電話をかけているふりをした。
「もしもし、ここのトイレの内装が俺たちの新しいお店のイメージとぴったりだよ。写真撮ったからすぐ送る」
その言葉に軽く肩をすくめ、男性はトイレを出ていった。蒼空は大きく息を吐く。そっと後を追っていくと、幸い自分たちのテーブルが見えにくい席に男性は座った。向かいには派手なワンピースを着た女性が座ってワイングラスを口にしている。
蒼空はテーブルに戻ると、陽大の顔を見つめた。
「どうした?」
「引き受けて」
「え?」
「あのすみれって子の依頼、引き受けて」
「どうしたんだ、急に」
蒼空はスマホの画面に先ほど撮った写真を出して陽大の前に出した。
「これは?」
「今トイレで一緒になった人。俺たちのテーブルの左斜め奥の方に座ってる」
「写真を撮ったのか? 何で?」
「内装見てるふりしてね。その時計、ウブロのビッグバンだよ」
「まさかこれが欲しいとか?」
「違うってば。ほら、これ」
スクロールしてすみれから送ってもらった写真を見せる。
「同じ時計」
「本当だ。よく気づいたな」
「そのモデルは珍しいからね。その人と俺はホテルで会ってる」
「何だって?」
「正確には俺がその人をラウンジで見かけたんだ。綺麗な女性と一緒にいた。指輪をしていたからおそらく夫婦だと思う」
「どういうことだ?」
「その男の人と、さっきトイレで会ったんだよ。あの時のホテルで一緒だった女の人と、今ここで食事してる」
「つまり……」
「すみれのお姉さんと旅行に行ったはずの男が、姉が亡くなった翌日に奥さんらしき人とホテルにいたってこと」
「でも、SNSには顔が写ってないし、同じ時計ってだけじゃ決めつけられない」
「そうだけど、こんな高級腕時計をして、奥入瀬に旅行に行ってて、しかもリゾートホテルに泊まってたとか、偶然だとしても調べてみる価値はあると思うけど」
陽大は必死に頭を整理しながら、手元の写真を眺めていた。
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