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第7話
ヴァレリオがこの大学に来て一か月が過ぎた。その間僕たちは、お互いを理解しようと努力はしているが、いまいちかみ合わないという日々が続いている。
何故僕がヴァレリオのことを理解しようとしているのかというと、それは自分の映画のためだ。監督である僕がヴァレリオを主役と決めたからには、俳優として信頼し、心を通わせなければならない。相手のことを苦手と決めつけ、興味を持たないでいたら、その薄っぺらの人間関係が映画に表出してしまう。
映画は監督一人の作品じゃない。俳優の演技やカメラワークや音響などが重なり合う総合芸術だ。それをまとめる指揮者のような存在が映画監督だ。僕が自分勝手に指揮棒を振るっても、良い映画は作れない。
などと偉そうなことを言っているが、正直どうしてこんなことになってしまったのかということに、日々悶々としている。ヴァレリオが僕の映画で主役を務めることになってしまった事実に。そして僕が、女装をして女役をやるという事実に……。
「ヴァレリオ、渡した台本どこまで覚えた?」
僕は自室で勉強をしている時に、同じく僕の隣で勉強らしきことをしているヴァレリオに唐突に尋ねた。
ヴァレリオに映画の台本を渡してから、二人で一緒に台詞を声に出して読み、日本語の発音を教えてきたが、ヴァレリオは想像通り覚えが早く、奇麗な日本語を話せるようになるのに時間は要らなかった。ただ、台詞はクリアできても、肝心の自分の役の心情を理解することはできているだろうか。
「ああ、台詞はすべて完璧に覚えた。意味が分からないところもあるが取り敢えず」
「へー、もう? さすがアルキロス星人だ」
「ああ。あの程度の量なら朝飯前だ」
ヴァレリオは得意げにそう言うと、自分の台本を僕に渡した。
「線が引いてある台詞が、俺がいまいち理解できないところだ」
僕はパラパラと台本をめくると、そこには数えきれないほどの線が引いてある。
「殆どじゃん!」
僕は呆れてそう言うと、ヴァレリオの顔をまじまじと見つめた。
これは困った。どうしよう。こんなにもアルキロス星人は地球人の僕の書いた物語を理解していない。見た目にはそれほどの違いはないのに、感情という面ではこうも差がある。一体アルキロス星人は日々何を考えながら生きているのだろうか。
「どうした? またそんなに見つめて……」
「いや、どうしてヴァレリオは、この物語の主人公の感情が分からないのかと思って。ヴァレリオは誰かを好きになったことはないの?」
僕は我慢できずに、プライベートなことにまで言及してしまう。
「我々の星でも、男女が番になって結婚をして子どもを作る。結婚適齢期になれば、AIが自分に適した相手を識別してくれるからだ。それが最も効率的で無駄がない」
「うわ、出た、超絶管理社会だ……」
僕は声を震わせながら言った。そんなことが現実に行われている星が存在しているなんて、俄かに信じがたい。
「え? じゃあ、AIが選んでくれた人をヴァレリオは好きになれるの?」
「好き? 好きという感情を我々は重視していない。我々はただAIに当てがわれた相手と穏やかな関係を築くだけだ。その好きという感情に執着してしまうことの愚かさを、我々は過去の経験から学んできた。その執着を排除する究極の社会システムが、アルキロス星では機能している。ただそれだけのことだ」
アルキロス星はユートピアなのかディストピアなのかどっちなのだろう。結局、感情というものに支配されてしまうことの愚かさをアルキロス星人は解っている。それが人を不幸にするということも。
「でも、その管理社会はアルキロス星人だから可能なのだと思う。留学生を見た限り、アルキロス星人は多分、個人の見た目や能力的にも、地球人のように差異がないように見える。そんな人類ならきっと、感情というものは自然と乏しくなっていくものなのかな? 感情的にならない人類は争いを起こさない……とても理想的な世界だね。地球とは違う」
僕は、ヴァレリオの台本を埋込式端末にコピーしながらそう言った。この台本の現状は、監督として良く把握しておかなければならない。ヴァレリオは、僕の行動を不思議そうに見つめている。
「確かにそうだ。アルキロス星人は皆似たような風貌をしていて、能力も、生活水準も一定だ。もちろん顔のつくりはコロニーによってそれぞれの個性があるが、地球では、ここ日本という国民の中でもここまでの違いがあるということに、留学してから驚きを隠せないでいる」
ヴァレリオはそう言うと、いきなり机から立ち上がり、ベッドに勢いをつけて仰向けに横になった。僕はそんなヴァレリオを見つめながらが、台本のコピーを取り続ける。
「そうだね。地球はアルキロス星とは明らかに違う。人間は一定ではなく、色んな個性を持った人がいるから。極端に言えば、美形か醜悪か。優秀か無能か。金持ちか貧乏かみたいな。そんな様々な違いがある地球に生きていたら、感情が乏しくなるはずがないんだよ。相手と自分を比べては傷ついたり、幸せそうな人間を妬んでみたり。または、自分より優れた人に憧れを持ったり、自分にないものを持つ魅力的な人を好きになったり……」
僕は今までの自分の人生で、そんな気持ちになったことがあっただろうかと反芻する。でも、いまひとつ記憶にない。むしろ数え切れないほど見てきた映画の世界には、そんな感情が沢山蠢いていた。だから、僕が地球人の感情のことを語るには余りにも見合っていないと、情けない気持ちになる。でも、僕はヴァレリオに伝えなければならない。ヴァレリオが僕の映画で主人公を演じる限り、僕は、地球人の感情をヴァレリオに伝える義務がある。
「僕たち地球人は感情的な人類だから、アルキロス星のような管理社会を機能させることはできないと思う。それこそ地球人の遺伝子を組み換えて、感情の乏しい人類に変えてしまわない限りね。でも、豊かな感情があるからこそ人は、快楽や、喜び、感謝といった幸福な感情を味わうことができるんだよ。そしてそれらの感情は、それとは全く正反対の、悲しみや怒り、恐怖といった不幸の感情があるからこそより際立つんだ。その陰と陽の拮抗の世界で負けずに生き抜くことに、僕ら地球人は、密かに誇りを持っているんじゃないかな……きっと誰しもが辛い人生を経験するんだと思う。でも、もちろん辛いだけじゃないんだ。苦しみを乗り越えた先にある幸せが一番、自分の人生を輝かせてくれるって、僕はそう信じたいんだよね……」
「なるほど……摩央の話を聞いていると、俺は益々地球人に興味が湧いてくる」
ヴァレリオは手首から透明ディスプレイを出すと、いつものように僕との会話を記憶させた。その真剣な眼差しから、僕はヴァレリオという人間は、自分が思っているよりもずっとまともな人間なのかもしれないと思えてくる。
僕は台本のコピーを取り終わると、それをヴァレリオが寝ているベッドに置いた。それに気づいたヴァレリオは、素早く台本を手に取ると、また真剣な眼差しでそれを見つめる。
「摩央に話すのは初めてだが、我々人類は、長い時間をかけながら、個体に差異がないように遺伝子操作がされてきた。その結果我々は、豊かな感情を必要としない、無機質な、悪い言い方をすればロボットのような人類に変容していった。それが今のアルキロス星の管理社会に繋がっている。そんな管理社会のアルキロス星には娯楽というものは存在しない。ただ、それに近いものがあるとするならば、それは飽くなき知識の探求や、論理的なパズルやゲームによる知能開発。テクノロジーを駆使したアート作品の創造といった、特に感情を必要としないものばかりだ……だから、映画のような娯楽は、本当に新鮮で興味深い」
「そっか……やっぱり映画のような娯楽は、アルキロス星にはないんだね……」
僕はしみじみとそう口にした。
「もし、この映画というものを我が星に持ち帰ったら、どんなことが起こるのか、俺はそれを造像してしまう。日本に来てから俺はそんなことばかりを考えている。でも、その行為は絶対許されるものではないことを知っている。王である俺の父が許すわけがない」
ヴァレリオは台本をベッドの上に置くと、勢いを付けて起き上がり、僕を真っすぐ見つめた。
「そりゃそうだよ。現に平和なアルキロス星には、余計な異分子は必要ないもの」
僕は見つめられるのが落ち着かなくて、目を泳がせながらそう言った。
「本当にそうだろうか?」
ヴァレリオは意味深に呟くと、またベッドに横になる。
「どういう意味?」
僕はそれが気になって問いかける。
「深い意味はない」
ヴァレリオはそう言い捨てると、台本を声に出して読み始めた。
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