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第6話
僕は照に、父親から聞いた話をなかなか話せない状況にやきもきしたが、もし照がヴァレリオに対して好戦的な態度を取ったら、すぐに鎮めようと心に決めていた。これは日本政府のためでもヴァレリオのためでもない。ぼくの唯一の親友、照のためだ。
照は少し落ち着いたのか、僕たちの部屋をぐるっと一望すると、一言『センスわるっ』と言った。僕も最初は同じ印象を受けたが、まだ一晩しか過ごしていないのに、この部屋のセンスに慣れてしまっている自分にがっかりする。
「あ、でも、ここはいいな」
照はそう言うとバルコニーに近づいた。僕もこの部屋でそこだけが一番良いと思ったから、照も同じなのが嬉しかった。
照はバルコニーに出る観音扉を両手で勢い良く開くと、生暖かい夜風がぶわっと室内に入り込んできた。
「おー見てみろよ。月がきれいだぞ。摩央」
照はバルコニーの手すりを両手で掴みながら、天を仰いでいる。僕もバルコニーに出ると、照の隣に立ち、同じように天を仰いだ。
「ほんとだ。凄いきれい」
僕は満点の星空の中に、丸く輝く月に目を奪われる。今日は見事な満月で、月明かりが漆黒の闇に隠れている山や木々を、ぼんやりと浮かび上がらせている。僕はその景色に心がすっとときめくのを感じた。
「月か……地球の衛星。この地球が、地球らしくあるためになくてはならない存在」
「え?」
気が付くと僕の隣にはヴァレリオがいた。僕は、『こいつは瞬間移動もできるのか?』と一瞬驚いたが、もうアルキロス星人なら何でもありだなと、半ば諦めのような気持ちになってしまうくらい、僕の感覚は既に麻痺してきている。
「地球が羨ましい。我々の星とは違う」
ヴァレリオも同じように月を見上げながら、そう低い声で言った。
「そう? この地球もだいぶ住みにくくなってるよ。まあ、我々人類のせいでもあるけど」
僕は本当にそう思っているくせに、恥ずかしながら、特にこれといって持続可能な社会を目指す開発目標に貢献していない。僕の頭の中は、常に映画監督なることでいっぱいだから。
「確かにな。この先地球はどうなっていくんだか。まあ、俺には関係ない」
照はそうきっぱりと言うと、バルコニーの椅子に腰かけた。
「二人も座れよ……」
照に促されて、僕が三つ置かれた椅子の真ん中の、照の隣に座り、ヴァレリオは僕の隣に座った。
「さてと、映画だ。摩央の撮ったショートムービーを見た感想」
僕はその言葉にいきなり現実に戻された気分になり、心臓が跳ね上がった。
「あ、そ、そうだな。で……どう、だった?」
照は僕の言葉を無視すると、透明ディスプレイを手首から出した。
「ヴァレリオも見て。これが映画ってやつだから……まあ、映画って言ってもこれはショートムービーだから。普通の映画よりは短いよ。普通の映画はね、平均二時間ぐらいってとこかな」
照は僕とヴァレリオにも見えるように、わざと透明ディスプレイを大きくした。僕はひどい辱めを受けているようで、この場から走って逃げ出したくなる。
「その前にまず、映画というものを端的に説明するとこうだ……物語を映像で表現すること」
照は、いったん映像を止めてそう言うと、長い足を面倒そうに組み替えた。
「詳しくは未来の映画監督。工藤摩央が説明して」
照は僕の方を見てにやりと笑った。
「やめろよ。からかうの。えーと、映画について話し出したら止まらないけどいい? まず、物語を映像で表現するっていうのは実に分かりやすい説明だね。ただ、物語だけじゃない。物語は空想のお話。映画は、空想でないリアルな現実世界を表現することもある。物語はフィクション。リアルな現実世界はノンフィクションと呼ぶ」
僕はどちらのジャンルも好きだけど、僕が目指すのは物語を映像で表現する映画監督だ。何でも自分でやりたい僕は脚本も自分で書きたい。
「そして、映画というのは、脚本という物語の筋となるものを作成し、俳優や監督などの映像キャストが、協力してその物語を作り上げることなんだ。映画には、コメディやラブストーリー。ファンタジーやミステリー。サスペンスやホラーなどの様々なジャンルがあってね、そこには社会的メッセージや芸術性が込められていたりもする。映画は時に、見た人に多大な影響を与え、その人の人生までも変える力を持っているんだ。そういう意味では、映画というのはとても貴重なコンテンツであると言えるね。世界中で、色んな物語を映像で表現したい人がいれば、それに呼応するように、色んな物語を映像で見たい人が沢山いる。その関係性は今日(こんにち)まで廃ることなく地球上で続いていて、この映画というエンターテインメントは、確実に人々の生活には無くてはならないものとして存在している。でも時に、見なきゃ良かったってくらいつまらない作品や、心にどす黒い影となって残るトラウマ級の物語もある。そんな作品に出会うと、本当に映画の無駄使いだ! って、たまに憤るけど、もちろんその逆もある。いつまでも自分の心にきらめきとなって消えない素晴らしい作品に出会えた時、僕はいつも思うんだ。自分でもそんな映画を作ってみたいって」
僕は地球で作られたすべての映画の多分十分の一も見ていないから偉そうなことは言えないが、その数えきれない映画の中で、強く心に残るほどの作品って意外と少ないことを知っている。だからいつか、僕が誰かの人生を変えてしまうくらい心に響く映画を作ってみたいという欲望が、もうずっと前から僕の中で渦巻いている。
「だから、僕はその夢を叶えるために、今こっそり映画監督になるための勉強をしてるんだ。でも、父親は何故か僕の夢を壊そうする。この大学に入ったのだって、父親に強引に入れられたから僕の意志じゃない。僕は今全く興味のない宇宙工学を学んでるけど、本当はそんなことしたくないのに、何で父親は僕の気持ちを分かってくれないなんだろう……」
僕はため息交じりにそう言った。そんな愚痴をここで吐いて、二人から同情を得たいわけではない。ただ、どうして父親が僕の夢を否定し壊そうとするのかが分からなくて、つい愚痴となって零れてしまう。
「それは単純に親のエゴだろ? 映画監督なんて不安定な仕事やめとけよって。お前は俺の言う通りにしとけばいいんだよ! みたいなさ」
照はそう言うが、僕は親というものが父親しかいないから良く分からないが、世間一般的に親というものは、子どもの夢を尊重し応援するものではないのだろうか。
「分からないな。ただこんな時母親がいたら違ってたのかなとは思うけど、今更たらればの話をしてもしょうがないしね」
僕は割り切るようにそう言うと、照を上目遣いで見つめた。
「何? もう映画の話終わり?」
照は不思議そうに僕を見つめ返した。
「取り敢えず……」
「ふーん。了解。じゃあ、ヴァレリオ。これが摩央の撮った映画だよ」
今まで静かに僕たちの話を聞いていたヴァレリオが、興味津々に身を乗り出して映像を見つめた。
今回僕は、大学生の映画コンクールに応募するため、照に協力してもらいながら短編映画を撮った。このコンクールで金賞を撮ると、審査員を務める有名映画監督に弟子入りができるというチャンスを得られる。僕はどんなチャンスでも逃したくない。絶対に映画監督になりたいから。
今回のコンクール用の映画も、必死に時間をやり繰りして撮った。必要単位数が異常に多いこの大学は、勉強する時間を減らすと自分の首を絞めることになるから、撮影時間を捻出するのが本当に大変だった。出来れば大学構外でも撮影をしたかったが、週末に外出して撮影するにも、この大学がある辺鄙な山奥から街場に出るまで、陸を走る普通自動車では往復五時間はかかる。と言うか、その前に僕も照も車を持っていない。
大学には数台の『電動垂直着陸機』通称『空飛ぶ車』はあるが、学生にはもちろん貸してくれない。さらに、交通機関を使うと駅までは遠いし、普通自動車よりも時間がかかる。またさらに、門限が信じられないことに、一八時という中学生女子のような時間設定になっている。その理由は、この大学を卒業するためには、週末に遊ぶ余裕などないはずだという父親からの無言の圧だ。本当に最低なクソおやじだ。そんな状況から必然的に、撮影は大学構内でしかできないというのがとてもネックになっていた。
また、他の登場人物は顔の広い照の友達に出演してもらったが、女性の登場人物は、男しかいない大学では無理で、しょうがなく、きゃしゃな男性に女性役をやってもらうことにした。さすがに顔だけは、AIが作った女性の顔を、モーションキャプチャーのアプリを使って差し替えることで誤魔化した。
撮影場所もCGを駆使すれば良いのだろうが、そうしてしまうとやはり不自然な仕上がりになってしまう。女性役だけは最新技術を利用することに目を瞑ったが、それ以外は、違和感のない自然な表現をすることにどうしてもこだわりたかった。そんなわけで、かなり制限付きの撮影だったけど、脚本には自信を持っていたから、それでも良い映画を撮れている自信を、僕は密かに持っていた。
映画の所要時間は一時間程度。僕はその間、まな板の鯛のような心境で時間が過ぎるのを待った。または、座りの悪い椅子に腰かけてグラグラと落ち着きなく揺れているような感じ。
その間ヴァレリオは無言で僕の撮った映画を見ていた。
アルキロス星では映画という娯楽は存在しないのだろうか? だとしたら、どうやって普段の生活のストレスを飼いならしているのだろうか。地球人は、自分の好きな世界で、刺激や癒しを得ることで元気が回復するが、見たところアルキロス星人は、見た目にも差異がないことを考えると、人と比べて落ち込むなどといった精神的ダメージが少ない星なのかもしれない。ということは、娯楽によって落ち込んだ心を回復させる必要がないということに繋がる。
しかし、アルキロス星のような星がこの宇宙に存在することに僕は感嘆してしまう。もし今度生まれ変わるなら、アルキロス星も悪くはないが、僕はやっぱり、『映画』というものがある地球がいいなと思ってしまう。
そんなことを僕がぼんやり考えていると、照がプツンと透明ディスプレイを消した。
「はい。終わり……さてと、ヴァレリオ。映画というものがどんなものかだいたい分かったか?」
照は身を乗り出すようにして顔をヴァレリオに向けると、若干上から目線な感じでそう言った。
「……分からない」
「え?」
僕はその言葉にすぐさま反応した。
「何も心に伝わらない……これが映画というものなのか?」
僕は絶句してしまった。ヴァレリオの言葉の意味を必死に考えるが、その答えを知りたくない気持ちに負けてしまう。
「……なるほどな」
照が月を見上げながら意味深に頷いた。
「あのさ……俺の感想言っていい? 今回の摩央の映画は、脚本はとても良いと思う。それは自分でも自信があるだろう? ただ、それを映像にした時、見る人をぐっと引き寄せる引力がない。まあ、俺の演技力にも問題あるかもだけど、それとは別に、摩央の監督としての構成力・演出力がまだまだ甘い気がするんだ」
照はそうはっきりと言ったが、僕はもう二人の感想に、胸に針を何本も刺されたみたいに痛くて、返す言葉が見つからない。
「……摩央、今回の脚本には二人の女性が出てくるだろう? やっぱりAIで作った顔を当てる表現には限界がある」
そんなことは分かっている。でも、今のこの状況ではこの方法しかないではないか。それは照も納得したことであるのに、今更何故そんなことを言うのだろう。
「……摩央。俺にいいアイデアあるんだ」
照はニヤリと不気味な笑顔を僕に向けた。
「何?」
僕は期待しながら聞き返した。
「せめて、準主役の女役を……摩央がやればいい」
「はああ?! 僕?」
「そう。女装するんだよ。摩央ならできる」
照は何故か自信満々に僕を見つめながらそう言った。
「む、無理だよ! 僕演技の経験ないし!」
「あっそ、じゃあ、今から脚本変えるか? 女性が出てこない話にすればいいだけだろう?」
照は凄く意地の悪い顔を作ると、僕の肩を抱きながらそう言い淀む。
「それは嫌だ! 今回の脚本は僕の自信作だから!」
「じゃあ、やるしかないな」
「そんな……」
僕は照からの晴天の霹靂過ぎる提案に激しく戸惑う。でも、ヴァレリオと照の正直な感想を受け止めるならば、僕のこのショートムービーには、改善の余地が多くあるということなのだろう。心に響かせたい映画を撮りたいのに、その真逆の感想を言われてしまっては、映画監督になりたい者としては、その事実から目を逸らすわけにはいかない。
「……分かったよ。めちゃくちゃ抵抗あるけど、やってみる」
僕は心を決めてそう言ったが、自分の書いた脚本通りに映画を撮るとなると、憂鬱なシーンが何か所もあることに気づき、やはり決断が揺らぎそうになる。
「俺も映画に出演させろ」
その時、ヴァレリオが予想外のことを言った。
「え?」
僕と照が同時に驚き、ヴァレリオの方に高速で顔を向けた。
「俺にはこの映画の良さが今一つ分からない。まあ、映画というものを初めて見たのもあるが、それ以上に我々は地球人と違って感情というものが乏しい。だから俺は今、摩央の映画で感情というものを役者として表現してみたいと感じている……照の役がいい。照から俺に変えろ」
ヴァレリオは無表情のまま、淡々ととんでもない言葉を並べた。
「え? ちょ、ちょっと待て。演技ド素人のヴァレリオに俺の役が演じられるわけないだろう。それに日本語をちゃんと発音するのなんか絶対無理だ。片言とか格好悪すぎる……ヴァレリオは摩央のコンクールの邪魔がしたいのか? いくらなんでも無理だ。諦めろ」
照は慌てたようにそう言うと、この話を終わりにしたいのか、部屋の中に戻ろうと立ち上がった。
「待て。待たないとテレキネシスを使うぞ」
ヴァレリオの言葉に、照は体を硬直させると、上からヴァレリオをきつく睨んだ。
「はあ? 俺を脅すのか? いい根性した宇宙人だな。お前が王子とか俺には関係ないから。そんな脅しにはのらないぞ?」
照はヴァレリオの前に立つと、今にも胸倉を掴みそうな勢いで手を伸ばした。
「待って! 照、暴力はやめてくれ……分かったよ……ヴァレリオの頼みを聞く。照は照の友人が演じている役に回ってもらう……すまない。照。僕、絶対頑張って最高の映画作るから。これからも協力を頼む……」
「摩央……」
照は諦めたように僕を見つめるが、その目はひどく困惑しているように見えた。僕に裏切られたと感じているような目だ。やめてほしい。そんな目で見つめられるのはとてもつらい。
「……自分の部屋に戻る」
照は怒りを抑えたような声でそう言うと、バルコニーのドアを乱暴に開けて部屋に戻ると、そのまま自室に帰っていった。
何てこった。何でこうなった。照はヴァレリオの申し出を受け入れた僕に失望しただろうか? でも、ヴァレリオの言うことを聞かないわけにはいかないのだ。この男を無下にすることは、日本政府が許さない。
「摩央……大丈夫か?」
ヴァレリオは、脱落したように椅子に座る僕の腕を掴んで立たせようとする。
「離して……大丈夫だから」
僕はヴァレリオの手を払うと、頭上に輝く黄色い月を、しばらく睨みつけた。
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