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第5話
僕が映画というものに興味を持ったのは、物心がついたと頃、亡くなった母の部屋にあったコレクションがきっかけだった。
母親が亡くなってからの僕の生活は、多忙な父親が仕事で家を空けることが多く、そんな僕の世話は、六〇代の八重さんという女性のお手伝いさんがしてくれた。八重さんは僕にとても優しくしてくれたけど、まだ幼かった僕は、どうしようもなく寂しくなると、母親の部屋にこっそりと忍びこみ、部屋にある母親の私物を介しながら、母親の面影と繋がろうとした。
ある日の午後。閉められたカーテンから、強い西日が差しこむ薄暗い母親の部屋で、僕はあるものを見つけた。それは戸棚の奥にしまわれていた沢山の映画のDVDだった。
母親がこのDVDを集め始めたのは、この家に嫁ぐ前か後か。後だとしたら、今からだいたい三十年ぐらい前だと想定する。その頃DVDを収集するというのは、DVDが主流だった平成時代を懐かしむ、平成レトロ好きなオタクの趣味という扱いだったと思う。その頃の自分は幼かったから、そんな母親のオタク趣味に対して何も理解していなかったが、今思えば、僕のこのオタク気質は、漏れなく母親譲りなのかもしれない。なんて、勝手に母親をオタク扱いしているけど、でも僕はそう強く思いたい。だって、父親は母親のことを何も話してくれないのに、どうやって僕は母親のことを知れば良いというのだ。だからこそ、自分との共通点を見つけたような気がして嬉しい僕の気持ちを、誰か分かってほしい。
実際僕はこの母親のコレクションを見つけた時、頭に稲妻が走ったような衝撃を受け、訳もなく心がワクワクした。今でもありありとあの時の記憶を思い出すことができるくらいに。
DVDの脇には、今ではだいぶ型の古いプロジェクターとDVDデッキがあった。僕はその二つの使い方など全く分からないから、八重さんに頼んで使い方を教えてもらおうとした。八重さんは、僕に映画を見せて良いものかと悩んだが、僕のことを不憫に思い協力しようとしてくれた。ただ、それには条件があって、父親の許可を得ることと、映画を見るのは一日一本という決まりを守ることだった。
その頃の僕と父親の関係は正直希薄なもので、父親にとって自分など、きっとどうでも良い存在なのだと思い込んでいた。だからきっと許してもらえないと僕は思っていた。でも、母親が死んで明らかに元気のない息子を心配した父親は、それを渋々受け入れてくれた。
僕は毎日母親の部屋で映画を見た。一日一本という制約に地団駄を踏みたかったがしょうがなく我慢した。スポンジが水を吸収するように僕は古今東西の映画を見た。それくらい母親の映画のコレクションは多義に渡っていた。
僕は父親に感謝するとしたら、この事以外にない。そりゃ毎日何不自由なく暮らせることに対する感謝を忘れてはいないが、それ以上に、この経験が今の僕を作り上げてくれたのは事実だからだ。でも、父親は僕をこの大学に押し込めた。映画監督などバカらしいと僕の夢を嘲笑った。何故だろう。母親が映画を愛していたことは父親だって分かっていたはずなのに。その息子が、まるで母親の遺伝子を引き継いだように映画にハマる姿に喜びはないのだろうか? むしろそれが父親に不快感を与えているのだとしたら。僕にはもうずっとその理由が分からない。
夕食を終わらせ、ヴァレリオと一緒に部屋に戻ると、ヴァレリオはすぐさま洗浄カプセルの中に入った。僕も、照が来る前に風呂に入ってしまおうと考え、着たくもないいつものパジャマを手に取ると、浴室に入った。
僕はシャワーで、ヴァレリオはカプセルで体の洗浄をしている。星が違うとこうも違う。おかしなものだなと思いながら僕はシャワーを浴びる。
僕は急いでシャワー済ませると、パジャマに着替え浴室から出た。すると、まるで示し合わせたみたいに、ヴァレリオもカプセルからちょうど出るところだった。僕は思わずヴァレリオを見つめた。僕の視線に気づいたヴァレリオも僕を見つめ返す。僕はヴァレリオを見て、まるでペアルックみたいに同じパジャマを着ている自分たちの姿に、改めて愕然としてしまう。
「何だ? 何をそんなに見ている?」
ヴァレリオは自分の体を見下ろしながら、不思議そうに問いかけた。
「い、いや別に……」
そう言った後僕ははっとした。また言ってしまった。『いや、別に』を。
「これで3回目だ」
ヴァレリオは目ざとくそう言うと、偉そうに腕を組みながら、自分の勉強机の椅子に腰かけた。
「はあ、そうだね。でもそれは、日本人というか僕の口癖だ」
僕はそれを素直に認める。僕は今まで、人との会話をそうやって終わらせてきた。自分の気持ちを押し込め敢えて言わないことで、人との関わりを避けてきた。自分の世界に閉じこもる時間を確保したくて。でも、照だけは違う。照は僕が小学五年生の時に突然仲良くなった友人だ。それは照も、僕ほどではないが、映画が好きだということが分かったのがきっかけで。
良く考えてみたら、いや、良く考えなくても、僕には照以外の友人がいない。本当に寂しい奴だな。僕はそれを今改めて痛感する。
「どうした? 急に様子が変わったように見えるが」
ヴァレリオはおもむろに椅子から立ち上がると僕に近づいた。その瞬間、僕は俯いていたはずなのに、自分の意志に反して、顔が上へと持ち上げられていくことに気づく。
何だ?!
「なぜ急にそういう顔をする? 摩央は何を考えているか全く謎だ」
僕は、僕を見つめるヴァレリオの目に完全ロックオンされてしまい、全く体が動かない。
これはあれか。テレキネシスか? 嘘だろう? 人間にも通用するなんて!
僕は驚きのあまり声も出ない。ヴァレリオは僕が動けないことをいいことに、僕の頬に触れようとそっと手を伸ばす。
「ストーップ!」
その時、良く通る声が耳に響いた。そのおかげで、僕の体に自由が戻り、僕は慌てて声のする方に顔を向けた。
「おい、おい、おい、何かおかしな雰囲気漂ってるけど、どうした?」
部屋の扉の前には照がいた。憮然とした顔で、僕ではなくヴァレリオを見つめている。
「ヴァレリオ、お前、摩央に何しようとした?」
照は、僕が今まで聞いた中で、一番ぐらいきつい口調でそう言った。
「……お前」
ヴァレリオはそう一言言うと、照の方に近づいた。
「テレキネシスを使った……ところで照、不思議なのだが、相手が俺を『お前』と呼ぶ時は、蔑みや怒り、敵意などが含まれると摩央から聞いたが、どうしてそれを照が使う?」
「はっ、しらばっくれて良く言うわ。ヴァレリオ、その力人間に使ったら、この地球では一発アウトだぞ? いくらアルキロス星の王子でも通用しねーから」
照は僕に近づくと、僕をヴァレリオから遠ざけるように引っ張った。
「テレキネシスを使うつもりはなかった。ただ、摩央の様子が急に変わったように見えたから不思議に思った。その理由を知りたい欲求に、俺の理性が少しだけ弱まっただけだ」
僕はヴァレリオの言葉を聞いてゾッとする。そんな簡単に理性が弱まるなんてたまったものじゃない。こんな自己中的な王子様と一緒の部屋で生活するなんて、もう恐怖でしかない。
「ヴァレリオ。もう二度とこんなことはやめてくれ。でないと、父親に頼んでルームメイトを解消してもらう」
僕は威圧的にそう言ったが、ヴァレリオ相手では多分様になっていないことは容易に想像がつく。そして多分、父親にヴァレリオのテレキネシスの話をすると、余計面倒なことになることも。
僕は昨日、いきなり父親から、ヴァレリオに対し絶対に失礼な態度は取るなと強く念を押された。アルキロス星の王家が保有する『特別な資源』を日本政府は必ず手に入れたいらしく、父親は日本政府から、今回の留学で、アルキロス星の王家と繋がれたチャンスを絶対に無駄にするなという強いお達しを受けたらしい。
ヴァレリオからは特別扱いせず普通に接してほしいと言われていたから、僕はその言葉通り気を遣わずヴァレリオを扱っていたが、その辺も難しくなってきた。僕が、この留学生活でヴァレリオの機嫌を損ねることは、どうやらかなり一大事らしい。
僕はそのことをまだ照に伝えていない。早く伝えなければ。照は意外と気が短いところがあるから。もしヴァレリオに対して危害を加えるなんてことになったら、照の人生を無茶苦茶にしてしまう。
「解った。使わないと約束する」
ヴァレリオは意外にも素直にそう言った。でも、多分僕も照も、その言葉をあまり信用していない。
「じゃあ、照、もうこの話は終わりだ。さてと、その……」
僕はその先の言葉を濁した。自分からこの間のショートムービーの感想を聞くことに、どうしても臆病になってしまう。
「全く……アルキロス星人はとんだ危険人物だよ……」
照は厭味ったらしくそう言うと、ぼすっと僕のベッドに勢いをつけて座った。
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