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第10話

 僕の家に長年勤めているお手伝いの八重さんが、最近ひどい風邪をひいてしまい、心配だからということで、就寝するまでは一緒にいてやりたいから、夜は、大学の近くに住んでいる八重さんの家に泊まりたいという意思を、僕はヴァレリオに伝えた。期間は取り敢えず定めず曖昧にしておいた。このことはもちろん嘘で、八重さんは八十歳近くになるが、今でも僕の家のお手伝いの仕事を、現役でピンピン熟している。  当たり前だが、しばらく照の部屋に泊まることは、もちろん父親には内緒にしている。バレたら面倒なことになるのは分かり切ったことだが、僕は自分の映画を完成させるためなら、どんな嘘でもつける自分に、流石に少し失望している。  ヴァレリオはいつもの無表情な顔で僕の話を聞いていたが、話を聞き終わると、少し不機嫌な顔をして僕を見つめた。 「それはいつまで続く? 俺はひとりでこの広い部屋で過ごさなければならないのか?」 「広いって、そんなこと思ったこともない癖に……取り敢えず八重さんが心配ない状況になるまでだよ。ごめん。急に……」  僕はわざと神妙な顔を作り、少し上目遣いでヴァレリオを見つめた。  取り敢えずまずは、照の部屋に2・3回程泊まれば照も納得してくれるだろう。まさか本当にヴァレリオが僕におかしなことをするわけなどないのだから。多分、アルキロス星には同性愛という概念は生まれた時からないはずだ。AIに管理され、尚且つ遺伝子も操作されてきた合理的なアルキロス星人なら、種の保存に適さない同性愛者は、突然変異でも起きない限り生まれてこないはずだ。  今日僕を見て『奇麗だ』と言い、僕の頬に触れ、僕を抱きかかえたヴァレリオは、運悪く男ばかりの大学に留学することになったせいで、女装した僕を、うっかり本物の女性と錯覚してしまっただけだ。そう。ただそれだけのことなのに。最近の照は何だかおかしい。 「留学してまだ僅かしか経っていないというのに。俺は摩央との時間をもっと大切にしたい。せっかく見つけた、ワクワクするという感情を見失いたくない」  ヴァレリオはまたワクワクするという言葉を使うが、僕はそれに困惑する。 「別にそのワクワクの発生源は僕じゃなくて良くないか? 他に友達を作ればいいじゃん。僕より面白い人間なんてこの大学には五万といるよ?」  僕はヴァレリオから視線を外すとそう言った。本当にそうだ。僕なんて友達の少ないただの映画オタクなのに。 「摩央がいいんだ。摩央でなくてはならない」 「な、何それ……」  僕はヴァレリオの言葉に驚き、思わず声が上ずった。 「と、とにかく、今日から僕は八重さんの家に泊まるから……朝食の時間に会おう」     僕はきっぱりとそう言うと、自分の部屋から出た。  照の部屋は、僕たちの部屋がある棟とは別の棟にある。距離が結構離れているから、僕が照の部屋にいることは多分ヴァレリオに気づかれることはないだろう。それに、照を納得させれば、こんな嘘は2・3日で終わるはずだ。 『コンコン」と僕は照の部屋をノックした。僕は夕食後すぐ来たから風呂にはまだ入っていない。 「僕だよ。摩央だよ……照、いる?」  僕はドアに向かいそう言うと、ドアは驚くほどすぐに開いた。 「来たな……待ってたよ……入れよ」  照はドアを半分開けた状態で、そう早口に言った。 「うん。あ、照は夕飯食べた? 僕食べてからすぐ来ちゃったから、大丈夫だった?」 「いいよ、そんなこと。気にするな」  照はそう言うと、僕の手首を掴んで部屋の中に引き入れた。 「良かった……」  僕が部屋に入るや否や、照は安堵したようにそう呟いた。 「何が?」  僕はそれが不思議でそう聞き返した。 「来てくれなかったらって、不安だったんだよ」 「ああ、だって来なかったら、映画の出演降りるって脅したの照だろう? 僕は自分の映画のためだったら何でもする」 「何でもする?」 「うん。そうだよ。何でも」  僕は真剣な顔でそう言った。この言葉に嘘はない。僕はそういうエゴの塊みたいな人間だから。  「はあ、そうかよ」  照は呆れたようにそう言うと、おもむろに部屋にある冷蔵庫に向かうと扉を開いた。 「飲むか?」  照は冷蔵庫からビールの小瓶を取り出すと、僕に向かって投げようとする。 「いや、まだ風呂入ってないから。後でいい」 「真面目かよ……」   照はおかしそうに笑うと、ビールを冷蔵庫にしまった。 「俺も風呂まだだ……一緒に入るか?」   照はにやりと悪戯めいた顔をして僕を見た。 「は? 冗談だろう? 嫌だよ」 「何で? 時間の節約だよ。この後摩央に、俺のおススメの映画見せてやろうと思ったのに……夜は短いぞ?」 「え? そうなの?……じゃあ、まあ、狭いけど一緒に入るか……」  僕は照のおススメの映画が気になってしまい、渋々それを承知した。  照の部屋には風呂がある。理由は、照は共同の風呂を使うことが生理的に無理だからだ。こう見えてこの男はかなりの潔癖症だ。高い寮費を払ってでも、風呂のある部屋だけは絶対に譲れないらしい。でも、そんな潔癖症が僕と一緒に風呂に入るのは平気なのだろうか?  照と僕は脱衣所に入ると、二人で服を脱ぎ始めた。照と風呂に入るのはこれが初めてではない。それは遠い記憶だが、多分、小学校の頃の修学旅行やスキー合宿あたりだ。でも、さすがに二人きりで入るのはこれが初めてで、僕はそのことに気づいたら、急に落ち着かない気持ちになった。  照は大胆に一瞬で全裸になると、まだズボンと上着しか脱いでいない僕を見つめた。 「早く脱げよ」 「え?……あ、ああ」  照の体は引き締まっていてすべてが完璧だった。肌もきめ細かく美しい。僕はここで自分の体を曝け出す自信を無くしそうになる。そんな完璧な照の裸体の前で、僕のこの貧相な体を見せるのは敗北感しかない。 「分かったから、み、見るな」  僕は照に背を向け、思い切って全裸になると、僕の目の前には洗面台の鏡があった。僕は自分の裸体を見て、その貧弱さに泣きそうになる。  「あー、僕も照みたいに筋肉付けたいな。これじゃあかっこ悪すぎる」  僕は自分の体を鏡で見ながら、力こぶをわざと作り自虐的に呟いた。 「いいよ。そのままで」 「え?」 「摩央はそれでいい。ずっとそのままでいてくれ」  照は意味深なことを言うと、『ほら、入ろう』と言い、僕の手を取り、浴室のドアを開けた。  分かっていたことだが、浴室は脱衣所より狭かった。一応バスタブはあるがお湯は張っていない。  浴室に入るや否や、照はボディーソープを手に取ると素早く泡立て始め、自分の体を洗い始めた。僕はそんな照の様子を見て、自分もそうしようとボディーソープに手をかけた。 「俺が洗ってやるよ」 「え?」   照は、僕を強引に後ろ向きにさせると、僕の背後から、自分のボディーソープの泡を手で掬い、僕の体に撫でつける。  「やっ、いいよ! 自分で洗うから!」  僕は焦って照から体を離したが、照は僕に自分の体を密着させると、僕の耳元に唇を近づけて囁いた。 「何勘違いしてるんだよ……ったく、これは演技レッスンだよ」 「演技レッスン?! って、どういう意味……」 「映画のためなら何でもするってさっき摩央言ったよな? 摩央は女を演じるんだろう? だったら、今から女になりきるためのレッスンを始めようぜ……じゃないと、所詮上っ面な表現しかできないぞ?」 「そ、それは成り行き上そうなっただけでっ」 「はあ? 監督……監督がその程度の覚悟でいいのか? 映画舐めてんの?」  照は冷ややかな声でそう言うと、素早くボディーソープを足して泡を立て始める。僕は照の言葉に固まり何も言えなかった。頭の中で『映画舐めてんの?』という言葉がグルグルと渦を巻いてる。 「女になりきって感じてみろよ。俺が感じさせてやる。あ……勘違いするなよ、これは親友としての行為だ。ここまでのことをしてくれる親友が他にいるか? いないよな?」  照が僕の耳元に吐息交じりにそう囁くと、僕の体は憎らしいほど正直に、ゾクゾクと首筋辺りを粟立たせた。 「やっ、やめっ」  照は、ぬるぬるとした泡を使って僕の体を背後から撫で回した。その手は緩急をつけながら僕の体の上をいやらしく這い回る。首筋を通り脇腹へ、脇腹から腰へ、腰から内太ももへと流れるように手を滑らせていく。その手の動きはひどくこなれていて、多分照は、こんな風に、女性と淫らに戯れている可能性はとても大きい。 「うっ……」  僕は照のいやらしい指の動きに抵抗できないでいる。まだ僕の頭の中には、『映画舐めてんの?』という照の言葉が、とぐろを巻いた蛇のように居座っていて、僕から抵抗する気力を奪おうとする。  「ここは……-?」  照はそう言うと、僕の胸の突起辺りを、わざと確信を避けるようにくるくると指を這わせた。 「そ、そこは……いやだっ」 「動くな、摩央……演技レッスンだってこと忘れるな」  何でこんなことに……。  僕の頭の中は、照から与えられる快感と、この状況が理解できず困惑している感情とでぐちゃぐちゃになっている。  「あっ」  その時、照の指が、僕の両胸の突起を僅かに掠めた。その刺激を、僕は自分でも驚くほど敏感にキャッチしてしまう。 「摩央……感じてるの?」  照はそう言うと、今度は確実に僕の胸の突起をくるくると指先で捏ねり始めた。 「はあっ! うっ、やめっ」  その瞬間、久しぶりに僕の中心に熱かこもるのが分かった。普段あまりそういう衝動が強い方ではないから、僕の自慰行為の数は少ない。だから自分は性的なことに淡白な方だと思っていたが、照から与えられる刺激に、僕のそれは水を得た魚のように硬度を増してしまい、逃げ出したいほど恥ずかしくなる。  照は執拗に僕の胸の突起を弄った。そのやり方はバリエーションを変えながら、快感を途切れさせることなく行われ、そのせいで僕の中心は、今すぐ触られたら、あっという間に果ててしまいそうなほどまで高まってしまう。  「て、照……はあ、はあ、こ、こなんこともう、やめてくれっ」  僕は膝から崩れ落ちそうになるのを堪えながら、照に懇願した。 「すごい……勃ってる」  照は興奮をしているような、熱のこもった声で僕の耳元に囁いた。その時、僕の臀部辺りに硬い何かが当たるのを感じ、僕は驚いて腰を引いた。 「逃げるな。まだレッスンは終わってない」  照は低い声でそう言うと、僕の腰を掴み引き寄せた。その時、多分照のものであるそれが、僕の臀部の割れ目辺りに押し当てられる。  これは何だ? 何で照がこんなに硬くなってるんだ?!  僕は自身の中心がそうなってしまっていることより、背後に感じる照のそれの様子の方に強いショックを受けた。照は完全ノーマルなはずだ。女性が好きで、女性にもてて、今まで彼女を欠かしたことなど一度もない男なのに。 「摩央……レッスン成功だな。ちゃんと感じてんじゃん」  照の息が徐々に荒くなっていくのが分かると、僕は恐怖で心臓がドクドクと跳ね上がっていく。 「て、照……何でそんなになってんの?」  僕は震える声で問いかけた。 「ああ、確かに……摩央は何でだと思う?」 「わ、分からない……」 「だろうな……摩央はいつも自分のことしか考えてないもんな」  僕はその言葉に傷つき、自分の今までの行動を走馬灯のように顧みた。 「そう、だね……確かに」  僕はそんな自分に落ち込み、項垂れながらそう言った。 「おいおい、やめろよ、萎えるじゃん。せっかくお互い昂ってんのに……まあ、でも、そんなところが俺は好きだよ」 「好き?」 「そう、俺は摩央が好きだ……」  照はそう言うと、僕の顎を掴み、口づけをしようとしてきた。僕は慌てて顔を背けると、照を思い切り突き飛ばす。 「ご、ごめん!……と、とりあえず、今日は帰る!」  僕は震える声でそれだけを言うと、泡のついた濡れたままの体で下着だけを履いた。  嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だあー!!  僕は心の中でそう絶叫しながらパジャマを掴み取ると、転びそうになる勢いで、照の部屋を飛び出した。

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