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第22話
ついにこの日が来た。待ち望んでいた日が。短編ではあるが、僕が本格的に取り組んだ記念すべき映画だ。それも宇宙人が主演をやるという想定外なトラブル込みで。
最初は絶望的な気持ちを味わったが、ヴァレリオの感情が成長するとともに、映画が良い意味で化学反応を起こしてくれた。今まで撮影してきた映像を編集しながら、僕はヴァレリオの表現者としての魅力を何度も発見した。ヴァレリオは演技において素人だ。でも、素人なりの粗削りな魅力が画面に弾けていた。それは人を惹きつけて離さない強い力がある。それは照も同じで、急に役が変わっても、役のキャラを瞬時に見極め、それを忠実に表現できる才能がある。尚且つ、元々花のあるそのビジュアルは、スクリーンを通すと、更に魅力的に輝くことができる。本当に照は天性の役者だと僕は思っているのだが、本人は役者をやるのは僕のためだと言って聞かない。
『じゃあ、本当に宇宙飛行士になって女性にモテまくる人生を歩むの?』と、前に僕が嫌味を込めて聞いたら、気まずそうな顔をして適当にはぐらかされてしまった。だから僕は照に強く伝えようと思う。『照は絶対に役者になるべきだ!』と。
今日もとてもいい天気だった。日差しがかなり強いので、涼しくなる時間帯に撮影することにした。それまで適当に時間を潰してもらい、撮影予定時間は二、三時間と見て、午後二時に、撮影場所である、別荘近くの海岸沿いの堤防に集合してもらうことにした。
今日は照の出番はなかったが、照は撮影現場に遅れて現れた。僕は照の姿を見て嫌な緊張が走ったが、多分、照が撮影現場に来ることには大きな意味があると自分なりに悟った。多分照は、僕がどちらか二人を選べないことに気づいたのかもしれない。撮影現場で僕とヴァレリオのキスシーンを目にし、自分なりに乗り越えようとしているのではないか……。なんて、そんな自分本位な考えをする自分に僕は呆れた。
撮影は順調に進み、キスシーンも無事撮り終えた。ヴァレリオとはもう何度もキスをしていたから緊張はしなかった。ただ、彼女の感情をこのキスシーンに載せるのが難しかった。姉と恋人に対する罪悪感と、彼との初めてのキスの幸福感。その相反する感情を表現するには、やはり僕では無理なのかもしれない。でも、そんな僕でも、何とか出し切れたとのではないかと思いたい。
僕は今映像を確認しながら、オッケーを出した。
「お疲れ! みんなありがとう!! これで完成だよ!!」
僕は大きな声を張り上げて叫ぶと、その拍子に涙がぽろぽろと零れた。自分でも緊張の糸が途切れたみたいに、堰を切ったように涙が溢れてくる。
近くにいたヴァレリオがそんな僕に気づくと、僕の肩を抱き寄せ、恐る恐る僕の涙を指で拭った。
「何故泣いている?」
ヴァレリオは心底不思議そうに僕に問いかけた。僕は、ヴァレリオが僕の泣いている意味を理解できていないことに驚いた。ヴァレリオ感情は未だ進化途中なのだと思うと、僕はおかしくなってきて、泣きながら笑うという奇妙な行動をしてしまう。
「バーカ、ヴァレリオ。摩央が泣いてるのはな、映画の撮影が無事終わって感動してるんだよ。そのくらいも分かんないのか? もう、アルキロス星に帰ったら?」
気が付くと、照が僕の近くに来ていてそう言った。その言い方は喧嘩を売るような態度ではなく、どちらかというと心底呆れているような感じだ。
「感動? なるほど。地球人は感動をすると涙が出るものなのか……」
ヴァレリオは僕の目から零れる涙をしみじみ見つめると、またそれを指でそっと掬う。
「奇麗な涙だ。摩央の感動が、この涙に詰まっているのか……」
僕はヴァレリオの言葉の表現力にぎゅっと胸を掴まれる。この進化途中の宇宙人は突然僕を感動させる言葉を吐く。だのに、僕が泣いている意味を理解できない。そのちぐはぐさがとても愛おしくて、僕は自分の指で涙を乱暴に拭うと、二人の肩に腕を回した。僕は自分が捕らわれた宇宙人のようになっていることに気づきながらも、背伸びをして二人を引き寄せる。
「本当にありがとう。照。ヴァレリオ……僕は今最高に幸せだよ」
僕はありったけの心を込めて二人に感謝の言葉を伝えた。
「よし! 今日は打ち上げにみんなでバーベキューをしよう!」
照は周りの協力者にそう呼び掛けた。ヴァレリオは『バーベキューとは何だ?』とSPに問いかけている。
僕たちはバーベキューの準備をするため、すぐに撮影現場から撤収し、別荘まで戻った。協力者の一人が、俺たちでバーベキューの準備をするから、三人はゆっくりしていてくれと言ってくれた。
僕は、それは申し訳ないと伝えると、ただで別荘に泊まらせてもらえているお礼だと言って聞かなかった。でもそれは映画の撮影を手伝ってくれたお礼だと伝えても、彼らは、自分たちも良い経験をさせてもらったからと言ってくれて、僕はまた泣きそうになった。
協力者たちがバーベキューの買い出しに行っている間、僕と照とヴァレリオで、プライベートビーチに行こうということになった。僕と照も本当は泳ぐのが大好きだから、撮影の間、海に入りたくてずっとうずうずしていた。でも、ヴァレリオは水が怖いから、もちろん海で泳ぐことはできない。砂浜にビーチベッドを置いて横になり、暮れてゆく海を見つめるぐらいしかできない。
僕は『先行くね』と二人に声をかけて走り出すと、海に向かって一目散に飛び込んだ。飛び込んだ瞬間、海水が気持ちよく体に纏わりつく。僕は久しぶりに泳ぐのと、撮影が無事終わったことの解放感で、海に入った瞬間タガが外れたように泳ぎまくった。
水が怖いヴァレリオが僕は気の毒になった。僕は水と戯れていると、自分が自分じゃないような気持ちを味わうことができる。この、水と一体化したような気分になれることが、僕にとっての最高のリフレッシュ方法だ。ヴァレリオにもその感覚を味わってもらいたかった。
僕がそんなことを考えながら泳いでいると、突然異変が起こった。今まで普通にクロールで泳いでいたのに、おもりでもつけられたみたいに足に力が入らなくなる。
自分に何が起きたのか。僕は頭がパニックになりながら、まだかろうじて動く腕をバシャバシャと必死に動かした。
まずい!!
僕は必死に腕を動かして息継ぎをしようとするが、その腕も徐々に力が入らなくなる。
何が起きてるんだ?!
僕は酸素を吸えない状態に陥り、意識が朦朧とし始めてしまった。これではいけないと分かっているのに、全く体に力が入らない。
死にたくない!!
そう心の中で叫ぶ気持ちとは裏腹に、僕は、自分の体が海の中へ沈んでいくのが分かった。
ああ、なんでこんなことに……。
かろうじて残る意識の中で、僕は死の可能性を絶望的に悟った。でもその時、僕は誰かに、強い力で海面に引っ張り上げられる。
「摩央!! しっかりしろ!!」
僕を抱えながら、僕に強く呼びかけたのは照だった。
僕は激しく咳き込みながら、照の目を必死に見つめた。本当は照にしがみつきたいが、今の自分にはそれができない。
「良かった!……そのまま、力入れるな!」
照の言葉に、逆にその方が良いのだと思いながら、僕は照に抱えられたまま体を波に預けた。
「良かった……本当に良かった……あと少し気づくのが遅かったら……」
泣きそうな顔でそう言う照を、僕はぼんやりと見上げた。すぐにでも『ありがとう』と伝えたいのに、僕の意識はまだ朧気で、ちゃんと話すこともできない。
僕がこんなことになってしまったのは、絶対に自分の体に良くないことが起こっている証拠だ。僕はその事実をもう無視できない。
照は僕を抱えて泳ぎながら、無事浜辺まで運んでくれた。僕と照は浜辺に仰向けで寝ころびながら、息を整えた。
そこに、真っ青な顔をしたヴァレリオが現れた。ヴァレリオは僕の体に脇に膝まずくと、僕の頬を両手で挟み、僕が生きていることを何度も確認してくる。
「摩央……摩央……」
こんな悲壮感漂うヴァレリオを見られるとは。僕は本当に自分が死んでしまうかもしれない状況になったことを改めて実感し、恐怖で体が震えだした。
「何があったんだ? 摩央」
照はゆっくりと体を起こすと、僕にそう問いかけた。
「……急に体に力が入らなくなったんだ」
僕は自分が普通に話せていることに驚いた。気が付くと、さっきまでの自分の体が嘘のように、普通に動かすことができる。
「あ、動く! 今は全然大丈夫だ!」
僕はそう言って体を起こそうとしたが、二人にやめろと止められた。
「俺が摩央を部屋まで運ぶ……照、お前は休んでろ……」
ヴァレリオは低い声でそう言うと、テレキネシスを使っているのか、僕の体がいきなり宙に浮いた。
「動くな。力を抜け」
ヴァレリオはそう言うと、僕の体の下に両手を差し入れ、僕を運んだ。ヴァレリオの手と僕の体は触れていない。でも、遠くから見たら、お姫様抱っこをされているように見えて、恥ずかしい。
「待って、俺も行く……」
照は僕たちの後を付いて来ると、僕を心配そうに見下ろした。
僕は濡れた体をタオルでグルグル巻きにされ、そのまま自分のベッドに寝かされた。まるでミイラみたいだと明るく言っても、二人の表情は今まで見たどの顔よりも硬かった。
「本当にごめん……久しぶりに泳ぐのに、準備運動もしないで海に入ったのがいけなかったね。多分、力が入り過ぎて、筋肉が硬直しちゃったのかもしれない……」
僕はこの重い空気をどうにかしたくて、なるべく心配をかけないような言葉を選んだ。
「本当にそう思うのか? 自分で最近おかしなことはないのか?」
照は僕を真剣に見つめながらそう言った。その目を見ると、僕はさっき照に助けられた時のことを思い出してしまい、また体が恐怖で震え始める。
「……ごめん。今は何も考えられない」
僕は照から目を逸らすと、巻かれたバスタオルを解いた。
「でも、照……照は僕の命の恩人だよ。僕は映画完成間近で死ぬとこだったんだよ……助けてくれて、本当にありがとう」
震えていることがバレないように、僕は自分の手に力を入れながら照の手をそっと握った。
その時、突然ヴァレリオが、僕の寝ているベッドを強く叩いた。
「俺は最低だ……本当に何もできなかった。テレキネシスを使うことさえも。摩央を助けようと迷いなく海に飛び込む照を、ただ茫然と見つめることしかできなかった……俺では摩央を助けられなかった……」
ヴァレリオはそう言うと、ベッドの脇に膝を突き項垂れた。僕はそんなヴァレリオの肩にそっと手を置く。
「何言ってるの? 最低なんかじゃないよ。だってヴァレリオは水が怖いんだよ? それはしょうがないことじゃないか。だからそんなこと気にしないでほしい……」
僕は自分の思いが届くように、ヴァレリオの肩を強く掴んだ。
「そうだよ。ヴァレリオ……お前が助けに行けなかったのにはちゃんと理由があるじゃないか。どのみちアルキロス星人には無理だったんだよ。テレキネシスだってあの距離じゃ使えないだろう?」
照は意外にも落ち込むヴァレリオを励ました。今までの照なら、上から目線でヴァレリオをバカにしたに違いない。
「やめろ。余計惨めになる……摩央、俺にはお前を愛する資格などない……お前は迷わず、照を選べ……」
ヴァレリオは抑揚のない低い声でそう言うと、僕と目を合わさず、部屋から出ていこうとする。
「待って! それを決めるのは僕だ。ヴァレリオじゃない!」
僕は素早く起き上がりベッドから降りると、ドアに向かうヴァレリオを追いかけた。足元はまだおぼつかないが、泳いでいた時のような異変は、今は自分の体にはないとはっきりと分かる。
「摩央!」
照が僕を心配して体を支えてくれた。僕は照に体を預けながら、部屋を出ようとするヴァレリオの腕を掴んだ。
「君は今、どんな気持ちなの? 今ヴァレリオを苦しませているその感情は、初めての感情? だとしたら、君の感情は本当に驚くほど成長している。君は自分が僕に相応しくないと思えるほど、自分を許せないんでしょ?……それって本当に僕を好きだってことだよね? そうだよね? それはね、ヴァレリオには人を愛する感情がちゃんとあるって証拠なんだよ」
僕はそう言いながらヴァレリオの背中にしがみついた。このままこの部屋から出ては行かせない。ヴァレリオに、そんな辛い感情を持たせたままにするのは絶対に嫌だ。
「……明日、ちゃんと答えを出す。夜の九時に、二人で僕の部屋に来てくれ……」
僕はハッキリと、二人に向かってそう言った。照は驚いたように目を丸くすると、先に『分かった』と返事をした。
「ヴァレリオは? 分かった?」
僕は念を押すようにヴァレリオの背中を突ついた。ヴァレリオは何かを口にしたが、声が小さすぎて、僕には聞き取れなかった。
『聞こえないよ』と伝えようとした時には既に、ヴァレリオは僕の部屋から姿を消していた……。
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