21 / 30

第21話

 あれは一体なんだったんだろう。  僕はヴァレリオに背負われたまま別荘まで帰ってきた。背負われている間、僕はうとうととしてしまい、ヴァレリオの背中の温かさを感じながら、少しだけ夢の中を彷徨った。  睡魔に襲われたのは、夕べ、見たかった長編映画をつい最後まで見てしまい、夜更かしをしてしまったからだろう。でも、あの時一瞬意識をなくしたのは、睡眠不足とは関係ないと僕は思っている。それは突発的に起きた、とても不自然な症状のような気がするからだ。  健康診断の結果ってどうだったんだろう……。  僕は自分の体に起きている変化に、その健康診断の結果が関わっているのではないかと興味が湧いた。それは、父親がそこまで心配するような結果だったのだろうかと。でも、徳田は心配するほどではないと判断しているし、もちろん僕もそう思いたい。現に僕は、さっきのおかしな症状の後、ヴァレリオの背中の上で少し仮眠を取ったら、普段通りの自分に戻っているくらいだ。   今、何時だろう……。  僕は自分の部屋の壁に掛けてあるアナログの時計に目を遣ると、時計の針は、約束の時間の十分前を刺していた。ちょうどいい時間だと思い、僕は照との待ち合わせの場所に行くため部屋を出た。   待ち合わせの小屋は、プライベートビーチの端に方に置かれていて、物置兼、ちょっとした休憩所のように作りになっている。子どもの頃この小屋に照と行って、秘密基地のような空間として二人でよく遊んでいた。  砂の上をビーチサンダルで歩くと、脹脛に負荷がかかり、筋トレでもしているような気分になる。運動不足な僕にはちょうど良いのかもしれないと思いながら、小屋に向かった。  そろそろ日が暮れ始めそうな雰囲気のある海岸に目を遣ると、太陽の日差しは勢いを無くしていて、柔らかなオレンジ色の光を水面に写していた。僕はその光景を素直に綺麗だと感じた。  自然の美しさに感動できることは幸せだと思う。アルキロス星とは違う本物の自然に。だからヴァレリオの、地球の自然に対する感動は自分のことのように嬉しかった。地球の良いところを再確認できたみたいで。  久しぶりに訪れた小屋は、海からの潮風によって、全体がかなり錆び付いていた。  最近はほとんど使われていないと管理人さんが言っていたからしょうがない。  管理人さんから借りた鍵で中に入ると、入った瞬間からかび臭い匂いがした。多分、長い間換気すらもされていなかったのだろう。  僕は中に入るなり、すぐ窓を開けて喚気をした。小屋の中は、僕と照が遊んだ時のままで、あの頃の懐かしい思い出がぶわっと胸の中にこみ上がってくる。  海で泳いだ後、この小屋の中でゲームをして遊んだ。無我夢中でゲームをしていたら日が暮れてしまい、父親が凄い剣幕で僕たちを探しに小屋に来たことを思い出す。  あの時はマジで怖かった。僕たちのことを心配してくれた上での怒りなのかもしれないが、あの時の僕は、そんな父親の態度が理解できず、冷めた目で見ていた。今もなんら変わらない。僕に毎日健康診断をさせる父を、僕は理解できずにいる。  キイっとドアが開く音がした。音の方に目を向けると、そこには照が立っていた。  「あ、照……」  僕は笑顔を作ると、照の方に向かって歩いた。 「なあ、照、懐かしいだろう。あの頃のまんまだよ」  僕は少し興奮気味にそう言うと、小屋の中をぐるっと見渡した。 「ここでゲームしたよね……あっ、見て、窓から見える景色も、あの頃のまんまだ」  僕は照と良くゲームをしていたソファーに近づくと、視線の先にある窓の景色を懐かしく見つめた。 「……くっそ」 「え?」  僕は照の言葉に反応し振り返ろうとしたが、そうする前に、照に背後からきつく抱きしめられた。首筋辺りに照の吐息を感じる。その吐息は徐々に耳元までやってきて、湿った空気が耳の穴に入ってくる。 「摩央……俺、やっぱ嫌だわ……」  照は僕の耳元でそう囁くと、更に力を込めて僕を抱きしめた。照の腕は僕の腰に纏わりつき、その手つきは官能さを秘めていて、そのままその手を、自分の核心に向けられたらどうしようという焦りで、僕の心臓はバクバクと暴れ出した。 「な、何が? 嫌なの?」  僕は身を硬くしながら、軽く深呼吸をしてそう言った。 「……明日のヴァレリオとのキスシーン……死ぬほど嫌だ……」  僕は照の言葉に、拍子抜けしたような気分を味わう。 「え? キスシーン? 何言ってんの? それは前から決まってたことじゃん。演技だよ? 演技」  僕は努めて軽くそう言った。でも、僕は確かに演技以外でもう何度もヴァレリオとキスをしている。それもちょっと前に。そう考えると僕という人間は、不本意ながらも、二人の男を翻弄する小悪魔女子みたいではないか。二人が僕を好きなことをいいことに、流されるがままキスをしている。否、それ以上のこともしている。最低ではないか……。 『二人とも好きだから、選べない』と僕が伝えたら、二人は納得してくれるだろうか? そんなこと許されるだろうか。でも、こんな状態をだらだらと続けていては、二人を闇雲に傷付けるだけだ。明日で撮影がすべて終わる。その後、勇気をもって伝えよう。  僕はそう心に決めると、僕の腰に回している照の腕をそっと握った。 「明日のキスシーンは一瞬だよ? 僕と照のキスに比べたら、全然」  僕は明るくそう言うと、照の腕を解こうとした。でも、僕の力ではびくともしない。 「じゃあ、ヴァレリオとは? どんなキスを何回した?」 「え?」  僕はその質問に嫌な汗が背中から流れた。別に隠す必要などないが、今のこのシチュエーションでそれを言ったら、火に油を注ぐような気がしてしまう。 「ど、どんなキスとか、回数なんて……そんなの、良く覚えてな……」  僕がそう言いかけた時、照はいきなり僕の腰を持ち上げると、僕をソファーまで運び、そこに乱暴に放り投げた。 「うわっ、何すんだよ!」  照に放り投げられたせいで、ソファーからホコリが舞い上がった。僕はそれを吸い込んでしまい、こみ上がる咳を必死に我慢する。 「ヴァレリオのキスと、俺のキス、どう違う? どっちが興奮する?」  照はそう言うと、僕の両手首をソファーに強く押さえつけた。 「か、変わらないよ。同じだよ。どっちがよりいいとかない。どっちも……興奮するんじゃないかな、と思う」  僕は恥ずかしさを我慢しながらそう言った。興奮するなんてセリフを人生で使う日が来るなんて、本気で信じられない。  照は、僕の返事に脱力するように力を抜くと、僕の上に覆いかぶさってくる。 「……摩央、そうじゃないだろう?……そこは俺って言うんだよっ。あーもう限界だ。いい加減早く俺を選べっ」  照は眉間に深い皺を寄せると、僕の手首を掴む手に力を入れた。 「摩央、俺を早く選んでくれないとな、今から既成事実作るぞ?」 「は? 既成事実?」  照は意味深なことを言うと、僕の唇をあっという間に手際良く奪った。 「んんっ、ちょ、やめっ」  僕は照に唇を奪われながら、頭をフル回転して既成事実の意味を考える。その間照は、どこで鍛えたのかと憎らしくなるほどの巧みなキスを僕に浴びせるから、僕の頭は上手く働いてくれない。  既成事実、既成事実……。 「あっ……」  僕は両手で照を押し上げると、目をまん丸くさせながら照を見つめた。 「それは無理だ! しかもこんな不潔なところで!」   僕はそう叫ぶと、照から逃げるようにソファーから飛び降りた。 「あ、待て!」  照もソファーから飛び降りると、逃げる僕を追いかけて来る。  僕は必死に照から逃げると、照は急に僕を追いかけるのをやめて、突然笑い出した。 「あはは、その必死な姿、傷つくじゃん! 冗談だよ。冗談」  照は膝に手を当てながら笑いを堪えている。僕は何が起きたのか瞬時には理解できず、呆然と照を見つめた。  「……ひどいよ。照のバカ……」  僕は照に近づくと、照の腕をグーで殴った。一度では収まり切れず何回か続けて。 「……痛いよ。でも、俺の心の方が何倍も痛い……」  照は僕の腕を掴むと、まるで祈るように、僕の手を自分の口元に持って行く。照の唇が僕の手の甲に当たってくすぐったい。 「……痛いよね。本当にごめん……明日で映画の撮影がやっと終わる。ここまで来れたのは本当に照のおかげなんだよ。僕は照に感謝しかない……信じて欲しい。必ず撮影が終わったら答えを出すから。あともう少しだけ待っていてほしい」  僕はそう心を込めて言うと、掴まれている自分の手を強く引っ張り、照を抱き寄せた。 「でもね、たとえその結果が照の納得のいかない結果になっても、僕の気持ちは変わらない。それだけは言っておくね」  僕は照の背中を優しく撫でる。僕の思いが深く伝わるように。 「……俺はその結果を受け入れるしかないんだ……」  照も僕を抱きしめ返すと、そう抑揚なく言った。 「そうだよ。でも、僕にはもう迷いはない……」  僕は二人が好きだ。今まで重ねてきた思い出の数はもちろん照の方が多いし、照に助けられた数も全然多い。だから好きの度合いは照がいつも一歩リードしている。でも、僕はヴァレリオに愛された奇跡を大切にしたい。僕も同じ愛で返したい。三人で繋がれば、僕たちにたくさんの可能性が生まれるような気がして、僕はワクワクと胸が高鳴る。  照はしばらくじっとしていたが、僕をそっと押しやると、僕の手を引きソファーに座るよう促した。 「あの頃みたいにゲームでもする?」  照はそう言うと手首をタップした。現れた画面は、子どもの頃ハマったバトルゲームで、僕のテンションは一気に上がった。 「うわっ、どうやって手に入れたの?」  僕は照の手首を掴むと、ゲームの画面を、目を見開いて見つめた。 「俺のキャラはいつものやつだからな。譲らないぞ」  照はさっさと自分のお気に入りキャラを選ぶと、僕に意地悪な笑みを向ける。 「オッケー。僕はどんなキャラでもいいよ。どうせ僕の勝ちだからね」  僕たちは窓の先にある夕焼けに照らされながら、昔のように、束の間の時間を楽しんだ。

ともだちにシェアしよう!