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第20話
撮影日初日からずっと良い天気だった。僕たちは熱中症に気をつけながら、休憩をこまめに取り撮影を行ってきた。そのせいで結構時間はかかったけど、僕としてはかなり順調に撮影が進み、とても満足している。
最初の頃ヴァレリオは、初めての海にかなりびびっていて、僕はそんなギャップのある姿に迂闊にもときめいた。海岸に波が押し寄せるたび、硬直した猫みたいにフリーズする姿がかわいい。いや、猫というよりはライオンだろう。あのヴァレリオの大きな体で恐怖を体現する姿が、僕はかなりツボにはまっている。
そして更に、日本の暑さは異常で、それにヴァレリオたちが耐えられるのか心配していたが、アルキロス星人は意外にも暑さに強く、撮影が順調に進んだのもそういった幸運が重なったことが大きい。
ヴァレリオの演技も照の演技も申し分なく、どちらかというと僕の演技が一番不安要素ではあったが、照からは毎回「良かったよ」と言ってもらえて、僕はそれを励みに頑張ることができた。
徳田との健康診断も毎日行われている。昨日は血液検査もして、採取した血液を病院にも送っている。そこまでする必要があるのかとは思うが、徳田は父親には逆らえないからしょうがない。
今日の撮影が終われば、明日はついにラストーシーンを撮ることになる。ラストには僕とヴァレリオのキスシーンがあるから、正直かなり微妙だ。照がどう思っているか考えると憂鬱になるが、ラストのお互いの愛を確かめ合うシーンは、僕自身も心を込めて臨みたいと考えている。
最後のシーンは、彼は彼女に、『君の心の傷も含めて、君が自分を許せるよう、僕が永遠に君を愛する』と誓う。彼女はその言葉に涙するが、多分一生自分を許すことはできず、自分だけが心から幸せになることはないと悟っている。それでも、彼女の涙は、彼を愛し、彼に愛される幸せを実感している。そのジレンマを彼女がどう乗り越えていくかは鑑賞者の想像に任せることになる。そんな彼女の心を、僕が演技と演出で表現する。
うまくできるかな……。
徳田に恋愛経験ゼロだと見透かされた僕が演じるにはかなりハードルが高いけど、僕は彼女の気持ちになりきると心に決めている。
彼と出会ったことで知ってしまった、愛するという幸せ。それと同時に、姉と姉の恋人の気持ちを理解してしまう苦しみ。その板挟みとともに、彼女はずっと生きていかなければならないという悲しみ。
辛いなあ……。
自分で作った話なのに、これは完全フィクションなのに、まるで自分のことのように胸が痛くなり、思わず僕は、自分の胸にそっと手を当てた。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
隣にいる照が心配そうに僕を見つめた。
「いや、大丈夫だよ……我ながら自分の書いた話、ほんと暗いなあって、しみじみ思ってただけ」
僕はそう言うと、撮影現場である墓地から一望できる海を見下ろした。真っ青な海は、太陽の光に照らされキラキラと水面を揺らしている。
この墓地は高台にあり海を見渡せる。周りは木々に覆われていて、とても雰囲気がいい。墓地に対して雰囲気がいいというのはおかしいが、自分が埋葬されるならここがいいなと思わせてくれるような、不思議と癒される場所だ。
「まあな。確かに……でも、俺は好きだよ。この話……だからこそ「彼」の役を演じたかったなあ」
照は拗ねたようにそう言うと、僕の手をいきなり握った。
「……そうだよね。ごめんね。こんなことになって」
カメラのアングルを確認している最中に、僕たちはこんな会話をしている。
今日は照と僕が、彼女の姉の墓参りに来たシーンを撮る。ヴァレリオは登場しないが、撮影にはついてきているから、今まさに、ひしひしと鋭い視線を浴びていて辛い。
ここに来てから今日まで、僕たちは毎日暑い中での撮影が続き、自分の部屋に戻ると、そのまま朝まで寝てしまうような生活が続いている。折角の別荘生活なのに、照ともヴァレリオともヴァカンス的な触れ合いはないし、もちろん性的なこともしていない。だから余計ヴァレリオはフラストレーションが溜まっているような気がする。
「撮影始めるよ!」
カメラマンの子が大きな声を張り上げる。それを合図に僕と照は、墓参りの演技を始める。二人が死んでしまった姉を思いながら、和解していくシーン。彼女は姉の恋人に許してもらえた安堵はあれど、彼をどんどん好きなっていく自分に激しい罪悪感を覚えていく。
「はいカット!」
自分の代わりにそう叫ぶカメラマンのもとに僕はすぐさま駆け寄ると、今撮影された映像を確認する。
「うん。いいと思う……よし、今日の撮影はこれで終わりにしよう。明日はついにラストシーンだよ。みんな気合入れていこうね! ありがとう。お疲れ様!」
僕はその場で深々とお辞儀をしながらそう言うと、照に向かって指でグッドポーズを作った。
「お疲れ、摩央。やっとここまで来たな」
照も僕と同じポーズをすると、いきなり、ポーズをしていない方の腕で僕の肩を抱き寄せた。
僕は、ヴァレリオが見ている前では過剰なスキンシップをやめてもらいたかったが、照はわざとヴァレリオを煽るかのように、僕の肩を抱き寄せ離さない。
「離して、照。ヴァレリオが見てるよ」
僕は小声でそう言うと、照は僕の頼みに反し、わざと僕の肩に回した手に力を込めた。僕は近づいて来るヴァレリオに戦々恐々しながら体を硬直させた。ここでまた喧嘩でもしてしまったら、今度こそその事実が、SPや徳田から父親の耳に入ってしまうかもしれない。明日で撮影が終わるというのに、それだけは絶対に避けたい。
「ちょっと話がある……いいかな?」
「え? 話?」
照は僕の耳元にそう囁くと、僕からパッと体を離した。
「そう。別荘の海岸で話がしたい。俺は十七時くらいに行くから。先に行って待ってて。あそこ覚えてる? 昔遊んだ小屋があるだろう?」
昔、僕の別荘に照が小学生の頃遊びに来たことがある。懐かしいとても良い思い出だ。僕はその記憶を呼び起こすと、照が言った小屋がぼんやりと頭に浮かんだ。
「ああ、あの小屋か……分かった」
僕がそう言い返すのと同時に、誰かに強く腕を掴まれ振り向かされた。
「何をコソコソ話している?」
僕の目の前にいたのは想像通りヴァレリオで、僕はその威圧感にドキンと心臓を鳴らした。
「い、いや、あの」
僕は咄嗟に言葉が出てこず、しどろもどろになってしまう。
「ああ、ヴァレリオ良かった。摩央の体調が良くないみたいで、別荘まで送ってくれないか?」
照はそう言うと、僕の手をヴァレリオに差し出した。
「そうなのか? 摩央、今すぐ俺の部屋で休め」
ヴァレリオは心配そうに僕を見下ろしながらそう言うと、近くにいたSPに『先に帰る』と素早く伝え、すかさず僕の手を掴んだ。
はあ? なんでそうなる?
僕はヴァレリオに心の中でツッコミを入れる。
「いや、いや、何でヴァレリオの部屋で休む必要があるんだよ。いーから早く、摩央を別荘まで送り届けろよ」
照は少し乱暴にそう言うと、僕に軽く目配せをしてくる。さすが照だ。ヴァレリオを上手く扱っている。
僕は軽く溜息を吐くと、ヴァレリオに手を引かれるがまま、別荘まで歩き始めた。
「大丈夫か? 歩けるか?」
ヴァレリオは僕の手を強く握りながらそう言った。その手は温かく、じんわりとエネルギーのようなものが伝わってくる気がする。
「歩けるよ……大げさだなあ」
僕はそう言って笑ったけど、何となく足元がふらつくような気がするのは気のせいだろうか? 知らぬ間に熱中症の症状が出始めているとか?
僕は一瞬そう思ったが、すぐに気のせいだと思い直し、ヴァレリオを騙すために体調の悪い演技を始めた。
道の途中、ヴァレリオは突然立ち止まると、海の方へ視線を向けた。僕もつられるように海に視線を向ける。
「海というものは綺麗だな……これが地球というものなのだな。アルキロス星では自然はすべて幻影だ。本物は素晴らしい。俺は地球に来られて良かった。摩央に出会えて良かった……」
ヴァレリオの口調はいつものように淡々とクールだが、ヴァレリオの表情は感情というものが存在するのを証明するかのように生き生きと輝いている。瞳は潤み、口元は僅かに緩んでいる。僕はその表情をしばらくうっとりと眺めてしまった。本当に美しいと感じてしまったから。
「地球に来てくれてありがとう」
僕は感動したままそう言うと、思わずヴァレリオの頬を掴み、その顔を食い入るように見つめた。
「どうした? 摩央」
ヴァレリオは不思議そうに僕を見つめ返した。
「嬉しいんだ。ヴァレリオの感情がどんどん豊かになっていくことが。僕は今とても感動している」
心の底から湧き上がる感動に、僕は息が苦しくなる。第一印象最悪なこの宇宙人に、自分がこんなにも感動する日が訪れるとは想像もしていなかった。
「すまない。体調が悪いのは分かっている。でも、我慢できない……」
ヴァレリオは、今まで輝かせていた顔を苦しそうに歪ませると、今度は僕の方が、ヴァレリオに頬を挟まれキスをされそうになる。
「やめろよっ、こんなところで……」
僕は素早く顔をそむけたが、強い力で顔を引き寄せられ、あっという間に唇を奪われてしまう。
「ふっ、んん」
そんなつもりではなかった。でも、認めたくはないが、僕は自分に欲情するヴァレリオを嬉しいと感じている。こんな自分の気持ちが信じられないが、今こうやってヴァレリオとキスを交わす僕は、ヴァレリオによって誘発された、隠されたもう一人の自分なのだろうか。
「ヴァ、ヴァレリオ……んっ」
僕は自らヴァレリオの首に手を回すと、口を開け、角度を変え、キスをせがんだ。傍から見たら、かなりビッチな女だと思われるほど僕は今乱れているかもしれない。
「摩央……んっ、好きだ」
ヴァレリオと僕は暑さのせいもあってか、熱に浮かされたようにキスを求め合った。
やめないと……。
そう思った瞬間、ふっと意識が遠のいた。やはり自分は熱中症になってしまったのかと思ったが、何となく違うような気もする。
「摩央! 摩央! しっかりしろ!」
僕はヴァレリオに抱き留められると、軽く頬を叩かれた。
「んん、ああ……僕、どうした、んだ?」
僕はヴァレリオの腕の中で意識を戻すと、ヴァレリオは今にも泣きそうな顔で僕を見下ろしている。
「摩央、本当にすまない……俺はバカ
だ……」
ヴァレリオはそう言って僕を強く抱きしめると、いきなり地面に膝を付いて、僕に自分の背中に乗るよう促した。
「い、いいよ。歩けるよ」
僕はそれを慌てて断ったが、ヴァレリオは無理やり僕の腕を掴み僕を背負うと、無言のまま別荘へと歩き出してしまった……。
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