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第19話

 別荘に着いたのは午後三時を回った頃だった。僕たちは今、それぞれ割り当てられた部屋に行き、荷解きしている。僕の部屋は二階の一番西側にあるせいで、部屋の中は西日で眩しいくらい照らされている。僕の隣の部屋がヴァレリオ。その隣が照の部屋になっている。ちなみにヴァレリオの三人のSPたちは、部屋数の都合上ヴァレリオの部屋の廊下を挟んだ向かい側の部屋に押し込まれている。それ以外の協力者たちは一階の部屋を使ってもらう。  僕は電動垂直着陸機に乗ったせいで、完全に疲れ切ってしまい、今すぐにでもベッドに倒れこんでしまいたかった。でも、それをしてしまったらきっと朝まで起きられないような気がして、ぐっと我慢をした。  部屋の窓は大きく海が良く見える。海岸沿いに建てられたこの別荘は、平成初期の頃に建てられたもので、何となくレトロな雰囲気が漂う。僕はそれが好きだから、とても落ち着く。この部屋は僕がこの別荘に来るたびに使う僕専用の部屋だ。西日だけがきつくて嫌だが、この部屋からの眺めが好きなのと、壁紙や、ベッドなどのインテリアのセンスが良くてお気に入りだ。後から聞いた話だと、この部屋は母親も好きで使っていたらしい。僕はそれを八重さんに教えてもらった時、自分の中に母親と同じ遺伝子があることを実感し、嬉しく感じたことを思いだす。  今日のこれからの予定は特に何もない。撮影は明日から始める。夕食は一階のダイニングルームで、別荘の管理人さんが作る料理を食べる。でも、ヴァレリオたちはあの独特な色をしたゼリーやカプセルを飲むだけだろうか。でも、以前ヴァレリオに僕の好きなカレーをすすめたら、最初の反応はイマイチだったが、最近では好んで食べるようになっている。   アルキロス星人の体に地球の食べ物が合うかどうかのチェックは留学をする前に行われているから、食べても大丈夫なことは分かっている。でも、きっと僕もそうだが、食わず嫌いは宇宙共通なのかもしれない。ヴァレリオはまだカレーしか口にしていない。   夕食の時間は多分一八時だった気がする。今日のメニューは多分カレーだ。管理人さんは僕の好みを知っているから。そして多分、週三ペースでカレーが出ることは間違いないだろう。 「コンコン」  その時、僕の部屋にノック音が響いた。僕はベッドから立ち上がると、ドアの方に向かった。  誰だろう?   僕は照かヴァレリオのどちらかだと思ったから、「今開ける」と軽い口調でそう言い、ドアを開けた。 「やあ」  目の前にいたのは予想外に徳田だった。僕は一瞬面くらい反応が遅れた。 「あ、と、徳田さん……どうしたましたか?」  僕は慌ててそう言った。 「いや、休んでるとこ悪いね。ちょっといいかな?」  徳田は申し訳なさそうにそう言った。 「はい。どうぞ」  僕はそう言い徳田を部屋に招き入れた。 「あれ? この部屋素敵だね。やっぱ摩央君だけは特別扱いか。当たり前だけど」  徳田は僕の部屋に入るなり、ぐるっと部屋を見渡しながらそう言った。 「すみません。僕がこの部屋以外は嫌で……我儘ですよね」 「何で謝るのさ。摩央くんちの別荘なんだもん当たり前じゃないか……あ、僕も嫌味っぽいこと言ってごめんね」  徳田はそう言って優しく微笑むと、「座って話さない?」と言った。    僕たちは部屋に置いてあるテーブルと椅子に腰かけ、向かい合って座った。 「撮影旅行に僕がついてきたこと、驚いたでしょ?」  徳田は椅子に座るなり僕にそう言った。 「はい。でも、大事な星賓のヴァレリオに何かあった時のためですから。とても有難いです」 「ま、彼にはSPがいるからね。彼らはかなりのスペシャリストだから、正直僕は必要ないかな。でも、僕はこれでも医師免許は持ってるんだよ。でも、激務は嫌だから、大学の看護師兼カウンセラーとして働いてる」 「はあ、そうなんですね」  この会話にどんな意味がるのかと思いながら、僕はそう返事をした。 「ヴァレリオ君は大丈夫として、僕が心配なのは摩央君だよ」 「僕? どうして?」 「この間の健康診断の結果を摩央君のお父さんが気にしてね。僕はそんな神経質になるような数値ではないと言ったんだけど、かなり心配されて」 「それで徳田さんを?」  僕は驚きながらそう言った。 「そうだよ。だから僕は毎日君の健康診断をしなければならない。これは理事長からの命令だから僕は逆らえないんだ。ということで、まずは心音聞かせて」  徳田は軽くウインクをして見せると、持ってきたバッグから聴診器を取り出した。そして、それを手に取ると、自分の椅子を僕の前に移動させる。  まさか、僕を心配して徳田を撮影旅行に行かせたとは。僕は父親の真意を知り、複雑な気持ちになった。過保護なくせに、僕の夢をいつも冷たく見下し、応援してくれたことなど一度もないのに。意味が分からない。僕は急に怒りが込み上がってきて、それを抑えられなくなる。 「余計なお世話だ……」  僕は思わず、低い声でそう言った。 「え?」  徳田は僕の言葉を聞いて、聴診器を耳にかける手を止めた。 「あ、いや、すみません。徳田さんに言ったんじゃないです。父親に対してです」  僕は溜息交じりにそう言うと、「服は脱いだ方がいいですか?」と聞いた。 「ああ、服の上からで大丈夫……まあ、摩央君はまだ若いから、父親を鬱陶しいと思うかもだけど、こんなに心配してくれるってことはね、かなり愛されてるってことだからね。感謝を忘れないように」  徳田は聴診器を耳にかけると、僕を窘めるように優しく言った。 「……そうですね。感謝、ですよね」   僕は俯きながらそう言った。 「そう。感謝が大事……あ、そうだ、最近体調悪いとかない?」  徳田は、僕の胸に聴診器を当てながらそう問いかけた。 「体調ですか?……いや、大丈夫です」 「そうか。良かった。でも、毎日健康診断するからね。よろしくね」  徳田はそう言うと、僕を後ろに向かせ、背中に聴診器を当てた。それは服の上からでもひんやりとした冷たさが伝わってきて、僕は少しだけ悲しい気持ちになった。 「よし。心音異常なし。今日は早く寝て明日からの撮影に備えるんだよ……なんか摩央君、男二人に挟まれて大変そうだからね」 「え? 何でそう思うんですか?」  僕は慌てて徳田の方に体を向けると、上ずった声でそう言った。 「いや、分かるんじゃない? 相当鈍感な奴でない限り。あの二人が摩央君を好きだってことをさ……」 「そ、そうですか……」  僕は、こんな三角関係を他人に知られたことに愕然とする。でも、これは別に恥ずべきことじゃないとすぐに思い直す。確かに同性同士というセンシティブな関係ではあるが、これは僕たち三人の問題であって、別に他人には何も迷惑をかけていない。 「……悩んでるの? どっちか選べとか言われて?」  徳田の勘の良さに僕は驚いてしまい、思わずあんぐりと口を開けてしまった。でも、それが答えとなってしまったみたいだ。 「あはは、図星かよー」  徳田はおかしそうに笑いながら僕の両肩を掴むと、僕の体を前後に揺さぶった。 「で? 答えは決めてるの?」  徳田は急に真顔を作ると、僕の目を真剣に覗き込んで来る。その変化に僕は戸惑う。徳田をどこまで信じてよいか正直分からないからだ。このままここでの話が父親に筒抜けになるのは御免だ。でも、徳田の目は、僕の悩みを真摯に受け止めようとしてくれている気がする。忘れていた。彼はカウンセラーでもあることを。 「……決めてません。というか決められないです。僕は二人のうち一人を、選べない」 「そうなんだ。でも、二人はもちろんどちらかを選んで欲しいんでしょ? 僕だってきっとそう思う。でも、よく考えたらさ、別に選ばなきゃいけないルールなんてないよね?」  徳田は深い思考でもするように、瞳を宙に彷徨わせた。 「そうなんでしょうか」  僕は徳田の瞳を目で追いながら、そう問いかけた。その言葉に僕の心は僅かに熱を持ったからだ。 「だってどっちも好きなんでしょ? 同じくらい」  そうだと思う。僕は二人が同じくらい好きだ。僕は二人と性的なことをすると幸せだと感じるし、二人からたくさん刺激を受けている。 失いたくないと強く思えるほど二人が大切だし、何より二人は、こんな我儘な僕を良く理解してくれる。でも、僕はどうだろう。僕は彼らに愛を与えているだろうか。自分の夢のことしか考えていないこんな僕は、彼らに同じくらいの愛を返せるのだろうか。 「……はい。多分二人のこと同じくらい好きなんだと思います。あ、いや、若干照が上回るけど……なので僕は、どちらかを選ぶことはできません……でも、正直言うと、僕は自分の気持ちに自信がないんです。僕のこの二人を好きという感情は、彼らの思いに応えられるほど大きいのかって……考えちゃうんです」  僕は素直な気持ちを徳田に伝えた。 「何故自信が持てないのか。多分、摩央君は真面目だから、色々考え過ぎちゃうんだろうね……あのね、僕が強く言いたいのはね、摩央君はそのままでいいということだよ……だって、二人はそんな摩央君が好きなんだから。あっちが勝手に好きになったんだから。翻弄されてるのは摩央君の方なんだよ? 摩央君は今芽生えているのその好きという感情を、大事に焦らず育てていけばいい。多分摩央君、恋愛経験ゼロだよね?」 「え?……そ、それは……言いたくないです」  僕はまた徳田に見透かされてしまい、悔しさと恥ずかしさが同時にこみ上がる。 「あはは、また図星だね。摩央君分かりやすすぎだよ……あのね、もう既に摩央君は答えを出してるんだろう? だったら、あとは余計なことを考えず、その感情に素直に従えばいいと僕は思うよ」  徳田はそう言って椅子から立ち上がると、僕の頭をぽんっと叩いた。 「摩央君はあんないい男たち愛されてるんだから凄いよ。それだけ魅力的ってことなんだから。自信もって」  徳田はそう言うと、持ってきた鞄を掴み、僕の部屋から出ていった。

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