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忘れてたよ、これ
俺の隣へ越してきてからたった数ヶ月。よく判らない場所へ天川は連れて行かれ、
天川は一切弁明や、自分の心証を良くするための証言をまるで残そうとしなかったらしい。
そのまま、言質 を審判で受け容れられてしまって、
年を経て、俄かに信じられない宣告を受けた。
その間、俺の道程 も何事もなかったかのように進んでいく。
空白となってしまった机の隣で、ぼんやり雲みたいな心境で勉強して、引退試合をして、試験を受けて。
天川に言った通りどの会社でも通用しそうな当たり障りのない学部と学科がある大学に入った。
サークル活動で遠征した帰り、電車の車窓からそれが行き過ぎそうだったから、弾かれたように途中下車していた。
遠く離れた天川が、いま居住をしている場所。
地上からちっぽけな虫になったような心境で見上げて、立ち尽くす。
まるで要塞だ。
本当に、あの鉄壁みたいな塔の天辺 に、天川はいるのだろうか。
今日行こう、いつか行ってみよう。ぐらぐらした気持ちのままリュックに忍ばせていた眼鏡を取り出す。
そもそも、これもう必要ないんじゃないか。
そして今更、俺なんかに会ってくれるのか、会いたくないんじゃないのか。
眼前に迫る巨塔の厳然さも連なり、けれど俺がいつも一歩踏み出せなかったのは、きっとこんな理由だ。
この眼鏡を本当に渡し終えてしまったら、俺と天川の繋がりは、完全に途切れてしまうような気がしたのだ。
そしてそんなこと、本当はある筈ないんだけど、
いつか、直接本人を目の前にして渡せるような、霞のような希みを、何故か捨てきれなかったんだ。
たった独りブランコから飛び降りた天川へ、どんな表情 をして目を合わせたら良いのか、解らない俺の臆病さが一番だったと思うけど。
また春が巡る。初めて隣になったあの日、彼は校庭の桜を眺めていた。
就活も順調に段階を進められて、スーツ姿で休憩に公園へ立ち寄り、ああ、今年も桜が咲いたのかとこころが和んで、スマホのネットニュースを確認する。
見出しが目に留まり、胸を摘 まれたような予感が掠めたが、タップした。法務大臣が一仕事終えたっていう、事後報告。
画面の文字以外が色を失った気がした。
よく知った名前をその記事のなかに見つけて、
俺は、空を仰いだ。
空は、変わらない透 きとおった蒼だった。
人生は流転の繰り返しだ。
誰だってこころのなかに消し去ることのかなわない黒点があるし、ブランコから飛び降りた先を正確に予測することなんて出来ない。
天川は、一足より大分先に、ひとが最終的に終着する地へと、光のように越してしまった。
取り返しのつかない過ちを犯してしまったとしても、俺が隣りで知っていた天川は、
眼鏡をすちゃと掛け、ギャルのあしらいもまずまずで、控えめにはにかみつつこっそり毒も吐く、いい奴だった。
だから、いつかこの先どこかで会ったとして、俺の知ってる天川は、その天川だけだから、
もう臆したりせず、あの朝の続きのまま、お前の眼鏡を差し出して俺はこう声を掛けてやるつもりなんだ。
インフル、大変だったな。
そんなことより、もっともっと大変なこと、あっただろうけど。
なあ、これ忘れてたよ。もう使わないかも知れないけど。
そんなシチュ、もうないかも知れないけどさ。
またその眼鏡掛けて、俺に何か教えてくれよ。
そうやってお前が俺の隣りに居てくれたの、結構好きだったんだからさ。
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